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地球儀のまわし方

色んなところでひずみができていますね。
この暑い中で拷問を強いられる人もいる。それを当たり前だと反論し
そしてまたその人もそれが拷問だと感じている。
なんてまあ・・・馬鹿らしいことです。

それくらいいいじゃない?の合言葉は美味しい蜜です。
一人でもそれがあれば簡単です。
ほら、あの子も我慢しているでしょ?小さい頃によく聞いたフレーズが
今も多数の人によく効きます。
ほんの少し我慢すれば、ほんの少しならいい、という嘘が
あらゆることで利用されています。

問題と解決、問題と感情、それぞれがきちんと考慮されないからこそ
どんどんおかしくなります。

また某ワードや色んなものが出てきましたね。
嘲笑することで溜飲をおろしてきた人たちの中で、何かが壊れ
それに蓋をするために新しい嘲笑などを繰り返す。

絶対にそうでなくてはならない、という言葉がどちらにしても危険ではある。だからこそ、それを扱う時に少し距離を置く必要がある。
でも嘲笑したり拒絶する必要もない。
正しくはそれをどのように扱うか、だけ。

カタカナのアレも同じ。もうきっと馬鹿にしてきた人が騒いでいるから
耳には入っているはず。
さて・・・どのように反応するでしょうか?
全部馬鹿にしてきた人たちになすりつけて、自分たちは回避できるのでしょうか?
流されることを知っている連中がどのようにしてきたのか、まだ理解していないのなら、同じことをされるでしょうね。

周りを固めて、あなたは馬鹿ではないでしょう?と言われれば、有無を言わずに従うでしょう?
だって馬鹿にしてきた人と同じになりたくないから、今もなお馬鹿にしているんだから。

それに便利な言葉もできましたよね。私は〇〇ではないから。
気を付けないといけません。
みんなひっかかるところ。
言葉は大変便利なもの。

もしあなたが変わりたいと思うなら、一度全部取っ払って
考え方を改めるといい。
そうすれば見えなかったものも見えるようになる。
自分で枷をつけていることに気づければ、それを外す日が来るのも早くなる。