聴かせてもらえるように、話しかけてみよう

書き出しっていつも迷う。


どうやったら、僕のひとりごとを聴いてもらえるんだろう。耳を傾けてもらえるだろう。なんて考えていて、結局最後に付け足すこともある。話を聴いてもらう、見てもらうって、やっぱりすごく難しい。


ある日の深夜3時。べろべろに酔った友人たちと、既に別件で泥酔して爆睡中の家主の家で、明るくなるまでとりとめもない話をしていたあの夜だ。



「あの時、変に熱い夢を語って、いろんなことしてるのを見て、おれらも火が付いたんだよなぁ~」


おいおい。酔ってるぞ。それ以上飲むんじゃない。


僕の周りの友人は、酔うとやたら褒めてくれる。爆睡したはずの家主も、1時間に一回、口だけ開いて「おまえは、すげえ」と褒めてくれる。



そうか、僕はこんなにも人に色々話してるのか。

確かに、昔から話を聴いてくれる人に恵まれていたのかもしれない。特に最近は、多くの方に聴いてもらえる場が本当に増えた。先日の、『言葉を企画して、何が変わった?』ではリアルタイムで150人以上の人が聴いてくれていた。コメントをいただいたり、それをまたnoteにしてくれたり。本当に人生においてかけがえのない時間を過ごさせてもらってきた。


聴いてくれる人がいるから、僕が言葉にできて、
聴いてくれる人がいるから、僕の意志が新たになって、
聴いてくれる人がいるから、僕が磨かれてきた。

まず、本当にお礼が言いたい。ありがとうみんな。



でもふと思う。

目の前でべろべろに酔った目の前の二人は、いったいどんな人だっけか。もちろん、なんとなくのことは知ってるし、来年どんな所に就職して、今は何やってるくらいは。

でも、それまでに何を思って、どんなことを感じて、今に至ってるのか知らないんだよな。


僕が人に届けてきた「すごい」とかって、いつも結果だけをすくってる気が急にしてきたんだ。



爆睡してる家主、すごいのはお主だ。なぜ、そんなに僕を褒められるのだ。



みんなが僕を知ろうとしてくれているのに、

僕はあなたのことを知らない。



勝手だけどしあわせなことに、この話を書いているだけで何人もの顔が浮かんでる。

特に今年は、いろんな出会いが多かった。来年にはまた、たくさんの人と出会うだろう。



また聴いてもらうだけでいいのか?

話してくれるのを待つのか?

自分だけ話すのか?



知りたいと思ったなら、


「ねえねえ、」


と肩を叩いて、尋ねてみなきゃ。


今日はそんなことを思わせてくれた、

よっぱらいたちと大学生活最後の野球だ。


ひとつでも


褒めたいところ、

推せるところ、

大好きなところが

見つかるといいな。


僕はそんな人たちのやさしさにふれて、
またひとつ大きくなれそうです。

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