雨の日。
ぽつり。ぽつり。絶え間ない水の音。
生きているを実感する。
急遽仕事が休みになり、数年ぶりに家で1日を過ごした。
メイクをせず肌をしっかり休ませる。蒸気アイマスクでパソコン疲れの目を労わる。
ぼーっとしている中で、毎日「ていねいな暮らし」に集中しすぎて、かえって肩に力を入れていたのだと気が付く。ひといきつくことを忘れていたなあ。
ギターを弾いて、ピアノを弾いて、だいすきな音楽を聴いて、音に溺れる。
聴覚ではどこか物足りず、本を読み、昨日しっかり太陽光を浴びてもらったお布団のぬくもりを肌で感じる。
今日という世界は何一つしがらみがない。
文字を書こうとすると何かに縛られて、時間に追われて、自分のことばで
こころをどう表現したらいいのかわからず、いつも書くことをやめてしまう。
ただ、今日は何だか文字が書けそうだ。そんな自分を信じて、記録しようと思う。
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雨をひたすら眺めていた。
こんなにも無数の雨なのに、1粒とて降っている瞬間に交わることはない。
水は、生まれては消える、どこか儚く、それさえも美しく。
そんな情景を目にすると、今、私が出会った人々、食べている命、見上げた星空、交わった全ての事象がほんのちっぽけな星の砂程度の奇跡なんだなと思う。
そう考えると、出会うべき人たちに出会っているんだな。
出会うべき事象に出会っているんだな。と身に染みて感じる。
先日とある会に参加した時に、心から思ったこと。
自由。混沌。調和。
点と点、点と線、線と面。混じり合う。更には、深く溶け込み、自分と他者の境界線がなくなる。
そんな場を愛する。そんな人々を愛する。
同感じゃなくていいんだよな。皆生きてきた環境も、出会ったものも違うんだし。
ただ、違うことを受け入れる。共に補い合う。分かち合う。応援する。そんなところ。
そんなところ、そんな人とのつながり。大切なんだよな。
肩書きや常識らしき何かに縛られて、苦しんだり、憎しみあったり、そんなことは必要なくて、心の底から愛する場所がそこにはあった。
私はこの先、自分の中の大切にしている何かが砕けてしまったときがあるかもしれない。
逆に、温かい、見えない大切な何かを分かち合うときがあるかもしれない。
でも、どちらにせよ、そのときどきで出会うべき人に出会っているのだと思う。
そう考えると、全ての事象や出会いがとても意味のあるもので、大切に、大切に、愛していきたいと思った。
今までは奇跡とか偶然とか、あるいは必然とか。そんなことは考えても仕方ないことだし、どこか冷たい目でみていた。
どこか壁を壊せず、一歩離れて見過ごす自分がいた。
でも、
人・もの・想い
有限・無限
光・影
見えるもの・見えないもの
そのどれもが交じり合う、そんな場、そんなところがとてもとても、愛おしくて、大切だって、そう思えた時間だった。
変わらないものが沢山あるけれど、変わり続ける自分も、何か、前に進もうとする自分も、今なら大切にしていける気がする。
私は、ここにある。ここにいる。変わらないものも、変わり続ける世の中も、やがて消えていく儚き命も
全部まるごと愛していきたいと思った。そんな1日でした。
明日は3月11日。少しでもみんなが忘れてはいけないあの日のことを思い出しますように。
気仙沼で買った、大地のキャンドルとともに、心にあかりを灯そうと思います。
大変な世の中の流れはあるけれど、様々なしがらみが川の流れと同様にようやく過ぎ去った春に、また再び、明るい活気のある地球になることを願います。
大丈夫。だいじょうぶ。