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空気感。

気がつけば7月になっていた。

今年も巡ってきた、わたしのだいすきな7月。

そんなこと言いながら、10月になればだいすきな10月と言っているし、1月になれば、だいすきな1月と言っているだろう。
そう。わたしはそういう人間なのだ。


ここ最近、心がふつふつと沸き始めている。

今までにない感覚だ。

ふつふつとした心の色味は、時に淡く、時に混じり合い、そうして新たな色が生み出される。
そうだ。ざわめいている。そんな風の動きが生み出される。
それでも、自然とそのざわめきは心地よい。

東京にいた時、すれ違う人も、挨拶を交わす人も、今の生活より圧倒的に多かった。仕事柄もあると思うが、まいにち、毎日、誰かしらと出会っては、お互い表面すれすれのところで、ちょこんとおじぎをする。

まいにちどれだけの人とすれ違っているんだろうか。

きっと、その中のすれ違う人たちには、素敵な想いの持ち主が何百、何千といたのだろう。
というか、すれ違ったすべての人が素敵な思いの持ち主なんだからね。

そりゃそうだ。みんな生きているんだもん。

それでも、そこまで深く関わる意思がなかった。耳を傾けることができなかった。それは自分の心の余白の問題。

最近、自然の中で深く呼吸する上で気づいたこと。

それは、東京が窮屈だ。は大間違い。

ただ、情報が多過ぎて、人が密集しすぎて、面白いひとと接点を持つ機会が少ないだけ。自分に余裕がないだけ。

だから、都会がいいとか、田舎がいいとか、そういう話ではないいんだなと思うようになった。

山梨、長野、和歌山、兵庫、北海道、静岡、
この数ヶ月でゆっくり、のんびり足を運んでみて思ったこと。

きっと、わたしが大切にしたいことは場所がどうこうじゃなくて。
人との関わりに、自然との関わりに、深みを感じることができるかどうかということ。ここでの記憶が圧倒的鮮明に残っているのは、そんな深みの中に身を置けていたから。

もちろん一緒に過ごした時間の長さもあるだろうけれど、重要なのは、時間の長さだけじゃなくて、深いところで対話ができる空気感。

わたしたちに、何歳だとか、職業はなんだとか、性別がどうでとか、
そんなことはどうでもよかった。

もっと、もっと、根源にある、その人たちが大切にしたい部分を深く、ふかく話せたこと。

純粋に目の前の人と向き合えたこと。

そこにある空気、肌触り。

ありふれたことばだけれど、すごく心地がよかった。

それ以外、何もいらなかった。


とある本に、確かこんなようなことが書いてあった。

”深みのある関係性、相手に心から興味を持って耳を傾ける時、その人の声色は、何年経っても記憶に残り続ける。”って。


確かになあ。一度きりしか会っていなくても、最近ひとの声を覚えることが増えた気がする。

目の前のひとに興味を持つこと。きっとそういうことだったんだ。

人生観に良いも悪いもない。

本気で聴くと、どの人の人生も、ひとつとして同じものなどない、美しいかたちであるから。


興味って、尊敬に繋がるし、尊敬って愛に繋がると思う。
わたしはそうやって信じている。

そんなこと考えてたら、なんだか、いろんな人が頭にぽつり、ぽつりと浮かんできたんだよね。

あの人との時間がすきだったなあ。あの人のことば、忘れられないなあ。

そんなことで溢れていた。

だから、思うのは、この大切な時間を、大切な空気を、しっかり味わうこと。

味わっていったら、きっとここから30歳までの5年間。

もっともっと、すきな自分でいれる気がする。

どうも、3年くらい経った気がしてしまうこの2ヶ月間。
この2ヶ月で本当に心の底からだいすきなひとが増えた。
大切なひとたちをもっと、もっと大切にしたいと思った。


空気のような、そんな関係で、わたしは人を、動物を、自然を、愛していきたいよ。

大切に、大切に。

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