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月の葉書

ずっと太陽にあこがれていた。思えば小学校に入る前から、遊びの中ではぐんを抜いて『日向ぼっこ』がすきだった。席替えでは誰の隣になるかよりも、居眠りできる後ろの席になるかよりも、太陽を浴びながら空をぼんやりと見上げられる、窓側の席になるよう念じていた。
少し話を盛ったかもしれない。すきなひとの隣は、緊張して授業に集中できないから、ならないように念じるのが最初だった。窓側への願いはその後だ。どこまでも馬鹿真面目で小心者で笑ってしまう。。。

今でも、太陽のような人を見ると、老若男女変わらずあこがれるし、皆が活動している時間、皆を絶えず照らしてくれる太陽がすきですきで、仕方ない。時々羨ましくなるし。

きっと誰しも太陽のような一面を持っていると思う。
だいすきな仲間とサッカーしている時、仕事で納品が完了した時、お気に入りの歌を歌っている時、美味しい料理をふるまう時、皆を笑顔にする時、
明るくて、眩しくて、輝いてい見えるそんな一面を。

「夢を追っている時」「夢中になっている時」「高め合っている時」
社会に所属していると、どうしてもそんな時に評価されてしまいがちな気がする。そんなこと言うと、誰かに世間の何を知っているんだって怒られるかもしれないけれど。
でも、私は人の弱い部分にも、これ以上ない美しさが宿っていると信じている。
涙で枕を濡らす夜もあると思う。人と比較して途方に暮れる時も、何をしたらいいかわからない時も、時に逃げたくなって、全て投げ出してしまうことも。

そんな人間らしさが垣間見える一瞬がすごく、美しい瞬間だと思う。
そして、そんな瞬間を皆が隠すことなく、さらけ出せるような、どんな弱い部分も受け入れることのできる月のような存在になりたい。
太陽に心のやすらぎを与えられる、そんな月になりたい。

誰かを思って見上げた空も、夢をあきらめ語った言葉も、すべて、全て、受け入れるから、皆のこと、見守ることしかできないけれど、ゆっくりやさしく見守れる、そんな月に私はなりたいんだな。

そして、いつでも、どんな人にも、おかえりっていつも通り声をかけられるそんな場所を生涯かけてつくりたい。

一日の終わりにでも、喧嘩した帰り道でも、再会の場所としてでも、そこには変わらないものがあるから。
どんだけ月日がたっても、ここに戻ってきたらあの時と同じ香りがして、あの時と同じ時間が流れて、あの時のアルバム片手に乾杯して、そんな場所をつくろう。

沢山転んで、自分もきっと沢山の人を頼って、たくさん泣いて、沢山笑って、時に逃げたくなって、でも、かなえたい夢がある。

3年後の自分がこの記事を見ながら笑っていることを信じ続けて。


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