95.当たり前を見直す

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こんにちは
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95.当たり前を見直す

※神様の話は出てきません

嫌な人との付き合いや超過残業で
家族の為にと仕事に打ち込む父親

子供を産んだらしたい事全部諦めて
子供に時間と労力を費やす母親

どんなに毒親でも無条件に信頼し頼り愛すのは子供
これが当たり前になったのはいつだろう?
昭和…いやもっと前か?

エコを謳って「みんなでシェアしよう」と
なんでもかんでもリースになった今では
持ち家ですらリースに出来る
リースがいつの間にか当たり前になった

そうやって個人の資産を持たさないようにしてきている
固定資産税や譲与税が出来たのも
この流れに持っていく為だったの?

生きるのに必死にさせて
多くのモノから目を背けさせて
個人には何も持たさない

他国と比べてばっかりで
日本の悪い所ばかり言い合って貶し合うばかり
他国と比べなくても
日本人の今は幸せそうな人が少ない
笑顔と心の余裕が無くなってる

海外の飢餓ばかりに目を向けさせて
本当に困っている日本人の情報は何処にある?
子ども食堂が年々増えているのは何故?
国内で餓死が出ている
老人の万引きが常習化している原因は?

他の国に負けないような!
ではなくて
今いる日本人を笑顔に出来る事を考えて欲しい
今の笑顔が未来を作るんでしょ?

その為には政治がメディアが嘘を吐かず
まともになるのも大切だけれど
それに振り回されてきた民衆の意識改革も必要だと思う

私は現状が自己責任だと思ってきた
どんな時でもどんな事に対してもだ
自己責任って言葉を自己肯定の為に使ってきていた

良い環境や劣悪な環境どちらも想像も出来ていなかったお風呂どころかトイレすらままならない
そんな環境に置かれて初めて
自己責任だけでは解決しない事が存在すると
実感を伴って理解出来ました

そして其処から抜け出す難しさにも直面しました見えてるものしか基準に出来ない浅はかさを知り
自分の知る世界の狭さを感じた

自分が作り上げてきた
「当たり前という名の偏見」が
あまりにも多い事に氣付いた

私が与えられたモノを享受出来た幸せを
私が誰かに何かを与えられるモノがある幸せを
当たり前だと思い過ぎていた
自分の生活を基準にしか考えられていなかった

TVや話題や他人をみて
その人の境遇に想いを馳せても
それは「考えてみている」だけで
「当たり前にある私の享受している世界の基準から
一時期外れた事があるだけの人」であって
「少し頑張れば豊かな生活が直ぐにでも出来る」
と無意識下で思っていた

何でもリースになるのが当たり前で
私みたいな意識が当たり前なら
そりゃお互いの幸せを願えたりしないですよね
人がそれぞれに自分の中にある
「当たり前」と思っている事に目を向けて
それが本当に「当たり前」の意識であっていいのか
それを考える時期にきたように思います

95.当たり前を見直す