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真の信仰者-「迫害」という喜び

 16世紀初頭にドイツから始まった宗教改革は、腐敗したローマ=カトリック教会が絶対的な支配力を持っていたヨーロッパのキリスト教信仰を一変させ、聖書の教えに立ちもどろうとする運動が広がった。
 1553年イングランド女王として即位したメアリ1世は、スペイン王室と結んでカトリック信仰を復活しようと企てる。1555年1月、異端取締法を復活させた彼女はプロテスタント信仰を捨てない者を次々に処刑する弾圧政策をとり、その残酷さはこのように記述されている。

およそ三百人の新教徒の殉教者が、焔の中に死んだ。この処刑は全く目をそむけしむるものであった。傍観者たちは、受刑の苦しみを短縮してやるために、火薬の袋を持って来て、それを犠牲者の首にくくりつけてやったくらいであった。

アンドレ=モロワ/水野成夫·小林正訳『英国史』上 1937 新潮文庫 p325

 ジョン・フーパーは、その熱心なプロテスタント信仰を決して取り下げようとしなかったために、彼女の治世下で最初に焚殺された殉教者だ。2月9日、スミスフィールドの処刑場に向かいながら、フーパーは集まった多くの傍観者に、ともに主の祈りを唱えるよう求め、人々は涙を流しながら祈りを捧げたという。そして、これからまさに自分を焼き尽くそうとする藁の二束を自らの手で受け取り、抱きしめ、口づけしたのち足元におき、やがて火が彼のからだを覆い焼き尽くすまで、堂々たる態度を貫いた。
 
 今回は、処刑される3週間前に彼が友人に宛てたという手紙から、真の信仰者の姿を学びたい。(添付資料p18)

神の恵みがあなたがたにありますように。
    私は先日あなたに手紙を書き、議会が宗教に関してどんな極端な結論を下し、真実を抑圧して人々に偽証を強いているかについてお伝えしました。(中略)
 今こそ、私たちが神と人間のどちらを恐れているのかを知る試練の時です。君主も世も主なる神を認めていた間は、キリストを支持するのは容易なことでした。しかし今、世界は彼を憎んでいます。誰が彼のものであるのかが露わになる本当の試練の時なのです。
 ですから、聖霊の名において、そして聖霊の美徳、強さ、力によって、どんな場合でも逆境に備えていてください。最も戦うべきときに逃げてはいけません。誰も栄冠を得ることができないからです。しかし勇敢に戦う者、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。あなたがたは今、目の前にある危険や苦しみに心を惑わされることなく、この苦しみの後に続く幸いに心を留めておかなければなりません。敵のいるこの世界での一時的な勝利ではなく、永遠に続く神の王国に入れられることを思うべきです。この世の幸福にも悲惨さにも目を奪われないように注意してください。それは、神への真剣な愛や恐れからあなたを遠ざけるものです。
 この世界にとどまり、私に与えられた素晴らしい友人たちの間で静かに過ごせるのは幸いなことです。けれどもそれは、私が神の憎まれる地にとどまり、永遠に火の中で悪魔とともに住むことを意味するのです。(中略)
 逆境についても同じことです。投獄は苦痛ですが、それでも悪条件下での自由はもっと苦痛です。刑務所は悪臭を放ちますが、それでも神への畏れがない「甘い家」ほど酷いものではないでしょう。私はとことん孤独でなければなりません。邪悪な者たちと一緒にいるよりも、私が神とともにあり神が私とともにいてくださるほうが良いのです。物品を失うことは悲しみですが、神の恵みと恩恵を失うことの方がはるかに重大なのです。来るべき日に天と地のすべてものにさらされながら義なる神の前に裸で立つよりも、邪悪で高慢な人々の前で屈辱的な目に遭うほうがはるかに良いのです。
 私は残酷な人の手によって死ぬでしょう。悲惨に満ちたこの人生を失っても、永遠の喜びに生きる道を見つける人は幸いです。友人との別れは悲しみですが、それでもそれほどではありません、
(中略)

Foxe’s Book of Martyrs/John Hooper  1563
  • イエス・キリストを忠実に信じる者は迫害を免れない。なぜなら、聖なる神の御言葉を真剣に聞き義の道にふさわしく歩むとき、罪に満ちた世とは切り離された神の性質が成長するから。それはすべての信仰者が投獄されたり火あぶりにされたりするという意味ではなく、今まさに生きている世と対極に立ち、その潮流に抗って歩むことを経験するということである。

  • ならば教会は、そうした世から憎まれる者たちの集まりであることを覚悟しなければならないし、そうあるべきである。世の流行、価値観に合わせて神の基準を曲げるようなことがあってはならない。

キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。

テモテへの手紙第二3章12節
  • 迫害は、私たち信仰者が試される機会であり、聖なるものへ成長させてキリストの似姿へと導くもの。

  • 迫害は、キリストの苦しみにつながる恵み、特権。

  • 迫害は、神の御霊が留まり永遠に主のものとされる報いに至るもの。

むしろ、キリストの苦難にあずかればあずかるほど、いっそう喜びなさい。キリストの栄光が現れるときにも、歓喜に溢れて喜ぶためです。
もしキリストの名のためにののしられるなら、あなたがたは幸いです。栄光の御霊、すなわち神の御霊があなたがたの上にとどまってくださるからです。

ペテロの手紙第一4章13-14節


あまりにも聖書の基準からズレた価値観が当たり前のように擁護され、その勢いがますます加速する時代にあって、人ではなく神を畏れ、この世ときっぱり決別して生きる覚悟はあるか。世と対峙することで直面する「迫害」を特権として抱きしめる心があるか。ますます声を大にして、救い主イエス・キリストを宣べ伝える情熱が溢れているか・・・。
主の前に自信をもって「はい」と答えられない自分の弱さ、醜さが見え隠れする。
主よ、私は本当に、なんと愚かな人間なのでしょう。大いなるあなたの救いのみわざを知っているはずなのに。

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