絵はマーケティングを超える
このnoteを書いてる
2023年10月末。
僕は一旦、
活動をお休みします。
ただの休息宣言には
したくなかったので、
これまで絵師として
思い続けてきた
について
思いの丈を残そうと思う。
ライティングなんて気にせず
思いのままに書いていくので
読みにくい表現
読みづらい構成
になることをご理解下さい。
今、絵やイラストで
のための
迷い立ち止まったときの道しるべ
となれたなら嬉しいです。
人の感情の正体とは
人には感情があります。
そして、
絵には感情が込められています。
すべての感情は
喜び、楽しみ、哀しみ、怒り
のどれか4つに分類され
その中でも特に
哀しみと怒りの感情を
不満
と訳す場合があります。
不満とは
満たされない状態・感情
だと理解されることが多いのですが
僕はこの概念とは
真逆の概念を持っています。
つまり
人の感情は常に満たされている
のだと。
なぜなら
人の行動はすべて
感情が伴っていて
なんらかの感情が
エネルギーとなり
人を動かす原動力となっているから。
逆に言えば
この感情が
不足している状態=不満
では
人は行動を起こせない
しかし、
怒って暴力を奮ったり
哀しみで涙するのは
人の心が
負の感情で満たされ
溢れ出た瞬間に行動に表れる
僕はそう思っています。
人の心は
喜怒哀楽のどれかの感情によって
常に100%以上に満たされている
感情が自分のコップから
不足すると補おうとし
溢れ出ると抑えようとする
そのギャップを埋めようとするとき
人は何かを欲し、何かに悩む
これが感情の正体なんだと
僕は思う。
絵に込められる価値とは
人の感情は喜怒哀楽の
4つに含まれます。
感情のコップの中に
喜怒哀楽4色の感情が
混ざったり
混ざらなかったりして
常に100%以上に
満たされています。
絵は人が描くから
その絵にも
感情が込められています。
絵には
人が言葉にできない感情を表す
という価値があります。
楽しいときには
楽しい感情で描かれる
旅先で
似顔絵を描く絵師さんを
見たことはありませんか?
彼らは
お客様の旅の一時を
写真では表現できない
笑顔で描きます。
お客様との会話の中から
最高の笑顔を引き出し
その
写真でも
捉えることのできない一瞬
最高の笑顔を
写真は
その瞬間を〝点〟
でしか表現できず
その一瞬を逃すと
一生出会うことができない
彼らの描く絵は
会話や旅の一時から
その瞬間を〝面〟で捉え
時の経過を描くことができる
つまり
5年後10年後に見返したとき
その瞬間の思い出が
昨日のことのように
思い出される
絵は感情を面で描くことができる
怒りの沸点が
100度を超えたとき
その感情を描く
graffitiアーティストとして
脚光を浴びたバンクシー
彼は
政治、人権、戦争…
人々のあらゆる負満を
壁という大きな
キャンバスへ描いた
伝えたいメッセージがあるから
敢えて違法行為となる
壁に描くことで
人の注目をさらった。
ステンシルという
技法を選んだのも
正体を明かすこと無く
素早く描き去るため
絵は世の中の負満の声を代弁する
癒えることのない哀しみを
明るい未来へ変換する
人の哀しみの中で
もっとも深いのは
最愛の人の死
その癒えることのない哀しみは
風化するとなく
いつまでも
深く影を落とす
もし、今
妻が生きていたら
どんな言葉をかけてくれるのだろうか
もし、あの時
この子が事故に合わなければ
どんな大人になっていただろうか
遺された家族や友の哀しみを
未来に変換する
絵師がいます。
絆画(きずなえ)
ご存知ですか?
もし、あの子が生きていたら
今日は入学式だったんだね
もし、生きていたら
20歳の成人式
25歳のウェディング
30歳で子供が産まれ
40歳で家族旅行に
ご遺族が紡ぎたかった
未来の故人の顔を描く
癒えることのない哀しみを
未来への思い出に変えることができる
僕の描く絵は
どうだったのだろうか
少し振り返らせて下さい。
実は
最初に紹介した
似顔絵アーティストが所属する会社の
似顔絵教室で学んでいました。
少しずつ上達し
家族や友人にプレゼントしたり
喜んでくれることが
僕の心を癒してくれていました。
いつしか
この絵をたくさんの方へ
届けたいと思い
アイコンを描いたり
イラストを描いたり
していましたが
自分が思うような活動が
できませんでした。
理由は自覚していました。
僕の描く絵には
感情が乗らない
絵のスキルは人並みに上達し
見映えもするけど
人の心には届かない。
なぜなら
僕自身の感情コップには
重い重いフタに覆われていたから
僕の描く絵は
いつも感情が乗らず
誰かの作品を
模倣したかのような絵だと
自分自身がいつも感じていたから。
絵を見て人が感動するのは
絵師の感情フィルターを通して
見てくれた人の感情が
再現され、代弁され、変換されたとき
家族や友人から
『とても素敵な絵をありがとう』
『あなたの描く絵はかわいいタッチが似合ってるね』
などと褒めてもらえるのは
そんな僕の内面を
深く知ってくれていて
たぶん
絵を描いている僕の気持ちや
絵を描いてる僕の姿を
思い起こしてくれるから。
1度乗ったコップのフタは
なかなか外すことができず
フタの上に感情が積み重なり
さらに重くなる。
コップの中の
本来持っている自分の感情を
はき出すことができなかった。
あなたにはそうなって欲しくない
絵の本当の価値とは
絵を描いた絵師の感情フィルターを通して
感情の再現・感情の代弁・感情の変換
すること
絵はマーケティングを超える
と僕は本気で思っています。
絵やイラストで食べていきたい
そんな思い胸に描き始めて
なかなか売れず
絵の売り方や
絵で稼ぐ方法
を探している人もいるでしょう。
絵の稼ぎ方を教えてる人は
その99%以上が
無料でも学べる
マーケティング
を教えています。
絵の売り方を教えてる人の大半は
こんなふれ込みであなたを誘い
高額なコンサルへ誘導してきます。
そこで教えられるのは
自分が〝描ける絵〟を
欲しがってる人を
リサーチで探しだし
その人へ売る
という方法、たったこれだけ。
一見すると正当に思えるし
売れる気がする
いや、
実際に売れるかもしれない。
けどどう?
生活のための手段として
絵を選んだのなら
それで十分かも知れない。
だけど
そうでないなら、
自分の〝描きたい絵〟で
心の底から絵が好きで
心の底から絵の価値を届けたい
純粋な絵に対するあなたの心は
それで満たされるのだろうか?
僕は
絵の本当の価値を
伝えることができれば
マーケティングという
売るためのテクニックなんて
必要ないと思ってる
僕が大好きな
似顔絵、バンクシー、絆画、東京幻想、田村大さん
彼ら自身は
マーケティングを超えた
想いや情熱を絵に込めて
ことで共感を得られている。
絵を通して
伝えたい想いに価値が宿り
伝わったときに共感される。
そこに
マーケティングは不要。
最後に
ここまで読んでいただけた方へ
感謝いたします。
僕がXの絵のアカウントを
お休みするのは
父の介護のためです。
3か月前に
足が不自由になり
その後、年単位で
全身が不自由になる難病
と診断されました。
その3か月間に
転倒し右手を骨折
肺炎を患い入院
と目の前に
介護の現実が迫り
絵を描く気持ちを
どうしても呼び起こすことが
できなかった。
実はその1、2年前までは
嫁さんのお義母さんの介護もしており
やっと家族で
ホッと一息つける矢先でした。
もう、
僕たち家族の生活をジャマしないで欲しい
そんな負満を抱えて
コップのフタの上にさらにのしかかり
フタを外せなくなった。
ポジティブでいれば
ポジティブを引き寄せ
ネガティブも然り…
だから
努めて明るく過ごせ
とXではよく言われるけど
そんなことは100も承知で
そうするための
絵を描く時間を
奪われてしまった。
それを
『もうこうなったら好きなことなんでできないんだから』
と嫁さんが気付かせてくれた。
僕はいつもこう思っている。
いつか
苦労は人への優しさへと変わり
哀しみは人への喜びに繋がる
明日かもしれない、
来週、来月、来年?
5年後10年後?
また会えたときは
よろしくお願いしますね。
もし、それでも
絵のご依頼をいただける
心優しい方がいれば
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