見出し画像

自信を持って世界に逆行していこう

食べ物の値段が上がっていますね、何かのジョークかと思うほどに。もう私の知っているキャベツの値段ではない。北欧のスーパーにでも迷い込んだような気分です。スーパーによっては値段が外国人向け設定と、現地の日本人向け設定の2つに分かれている。この現象は発展途上国によく見られ、ダブルスタンダードと言います。

ちょうど今週からカンボジアでの生活が始まりますが、この国はかなり以前から外国人向けとカンボジア人向けに値段設定が変わります。

ローカルのレストランに行くとメニューが2つ用意されていて、現地の方に出すメニューと外国人向けに出すメニューが変わるわけです。なぜこのようなことが起きるのかというと、外国人を基準に値段設定をしてしまうとカンボジア人の首を自分たちで締めてしまうことになるからです。

この現象には長い解説が必要ですが、簡単に言うと、物差しを2つ用意してカンボジア人の経済圏、外国人の経済圏とを分けて、現地の経済規模がカンボジア人にとってちょうど良い感じになるように調整しているのです。

この市場では外国人を目にすることはない。食べ物の値段は実に良心的。

なので1番賢いビジネス方法は、外国人向けにビジネスを展開してカンボジア人の経済圏に生きるということです。英語、中国語、フランス語あたりを話せるかどうかが資産形成の大きな鍵となります。

そして日本のことを考えてみると、、、

ビジネス系のYouTube「〇〇の虎」などを見ていると「高所得者向けのビジネスを展開」「情弱向けビジネスを展開」など、すでに日本でもダブルスタンダードが当たり前になりつつある。

以前は一部のお金持ちがいて、基本的には値段設定はほぼ同じでした。しかし最近では同じスケールで生きていくことが困難なレベルに達しています。キャベツが一玉500円以上するのはクレイジーとしか言いようがない。田舎にいればほぼタダで手に入るのにです。

カンボジアではダブルスタンダードシステムがしっかり動いていますが、日本は日本人のコミュニティ内でダブルスタンダードが起きている。これは結構やばいことで、例えばキャベツが一玉500円の世界が基準となって税金が設定されたりしたら生きていけない人が続出するわけです。

全てのサービスが高額になった時、全体の生活水準や教育水準は下がり、歓迎できない一つの現象として狂気的な犯罪が増えます。現に日本はそうなりつつあります。日本は、真っ直ぐ発展途上国に向かっている、そんな気がしてなりません。

値段をなるべく高くするのは経済合理性を高める行為とされていますが、それ自体は一時的な富を生み出せても長期的、全体的には疲弊していきます。結果的に経済規模が大きくなりすぎて、働いても働いても時間がない、一向にお金はたまらない、投資しろと言われてもお金の動きがイマイチよく分からない、という人も増えていくのです。

ダブルスタンダードが日本人コミュニティ内で拡張していく中、苛烈な競争は免れません。この状態は、競争嫌いな私にとって良いことがあまりない。

私ごとですが、これからは、いかに経済規模を小さくしていくか、経済規模ミニマリストを目指していく。人間にとって最も価値のある資産は食べ物と水、それから愛すべき仲間やパートナーです。

お金は我々人類にとって最も価値のあるものなのか?資産を膨らませていくことが真の豊かさを我々に与えてくれるのか?あらゆる定義を一度0ベースにして、自分の望む生き方を追求したい。

カンボジアの市場を歩くと、魚屋、八百屋、肉屋がひしめき合って賑う。食物は量り売りされ、プラスチックは必要以上に出ません。値段も良心的なので曜日を問わず人で溢れかえる。赤道に近い国は食料がそもそも多いので保存に気を使う必要があまりないというアドバンテージもありますが、この穏やかさは貴重なカンボジア文化です。

カンボジアの市場で買い物

シェムリアプの街の陽は傾きはじめ、ローカルストリートのあちこちから宴会の賑やかな笑い声が聞こえてきます。郊外のアパートに戻ると佐久でクライミングを楽しむ子供たちからビデオ通話がかかってきました。みんな楽しそうな様子をみると安心しますね。ということでそろそろ私もビールの時間です。今日も良い1日に感謝。

カンボジア、シェムリアプ郊外のアパートメント。周囲は自然に囲まれて静かな雰囲気。


いいなと思ったら応援しよう!

ASAI Nature Climbing
よろしければサポートお願いします。いただいたサポートはクライミングセンター運営費に使わせていただきます。