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恐怖とクライミング

恐怖とクライミングの関係

今回はクライミングと恐怖の関係について考え、また、これから恐怖とどう向き合っていくのか?私の経験も含めた観点から話を進めていこうと思います。

著書『Death「死」とは何か』の中でシェリーケーガン教授は言います。理にかなった感情としての恐怖は何か?この本のテーマは死を哲学的に考察することですが、その中で恐怖と死との関係性について話す場面があります。

「クライミング中に滑落してしまうのでは?」という考えを抱いた人は少なくないはずです。逆にそういった疑念や恐怖を一切感じた事のないクライマーが居るとすれば、それはある意味で大変危険な(危機意識が低い)クライマーと言えるかもしれません。

シェリーケーガン教授によると恐怖が理にかなった状態というのは3つの条件が揃った時だ、ということです。

1、人はどんなときに恐怖を感じるのか?アイスクリームを食べてしまう事を恐れるのは理にかなわないが、それにより太ることを恐れるのは理にかなっている。 2、悪い事が身に降りかかってくる可能性がある程度大きい。 3、不確定要素がある。確実に悪い事が起こるのではなく、ランダムに起きる。可能性としては高いが、悪い事がいつ起こるのかは不確定な状態。

この3つの条件に加え『釣り合い条件』というのがあり、恐怖の量が悪い事の大きさに釣り合っていなければ理にかなった状態とはいえないとも言っています。

私も同じような感覚で恐怖を感じています。そして、クライミングの中ではこの恐怖の感覚をひとつの危険回避センサーの役割として、シェリーケーガン教授の言葉を借りれば「理にかなっているか否か」という分析を常に行っています。

今回は私なりのクライミングと恐怖の関係について、恐怖と行動のバランスと、恐怖を一種のセンサーとして役立てる方法までを5つの項目に分けて紹介しようと思います。

毛無岩最終ピッチ


感じるべき恐怖と感じる必要のない恐怖


ボルト間隔が1m程度のクライミングジムでのクライミングで、墜落死のことを考えて恐怖を感じるのは理にかなっているとは言えません。これは感じる必要のない恐怖です。一方で、10m近くランナウトしたスラブルートや、岩質の脆いルートなどで墜落死のことを考えて恐怖を感じるのは理にかなっています。

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これは極端な例ですが、分かり難い場合もあります。

例えばボルトに関することです。クライミングジムでリードクライミングを練習したクライマーが、アウトドアクライミングで強度のあるボルトとそうでないものの見分けが出来ずに、怪我や、場合によっては死亡事故を引き起こしてしまうというのは、知識の少なさから感じるべき恐怖を感じることが出来ずに、危険な境域に足を踏み入れてしまった結果と言えるでしょう。

湯の沢渓谷上部岩壁

恐怖はネガティブな感情ではありますが、人間が事前に危険を察知し、その危険から身を遠ざける為に必要なセンサーのようなものです。

センサーを働かせるためには、感じるべき恐怖と感じる必要のない恐怖を常に分けて考える必要があります。恐怖を分けて考える、あるいは感じることで冷静さを保ち、クライマーをより安全な領域に留めてくれます。そしてそれらを知るためには知識と経験を身に付けなければなりません。


感じるべき恐怖に遭遇した場合の対処


知識もついて、経験もそれなりになってくると、本当に危ないことが分かるようになってきます。クライミング中に「これはヤバイ」と思ったら、それは感じるべき恐怖に遭遇した瞬間です。このとき大切なことは必要以上に怖がってはいけないということです。

ランナウトしたスラブを例にしてみます。最後のクリップから5m以上登ったところで、粒子のような細かいスタンスに高く足を上げて、そこにジワジワと荷重分散しながら体重を移していかなければならない場面に遭遇したとしましょう。

毛無岩上部岩壁

そしてその場面で焦ってしまった場合、とても大きな恐怖を感じると思います。この時、足がガクガク震えてしまう場合があります。これを「ミシンを踏む」と言いますが、ミシンを踏む状態になってしまうと、せっかく良いスタンスに足をのせていたとしても震えによって少しずつ場所がズレていってしまい、最悪はスリップして滑落してしまいます。

また、滑落までいかなくても、無駄な力を浪費してしまう原因に繋がってきます。こんなときは、まずはゆっくり呼吸をしましょう。なるべく深く長く呼吸します。焦ってしまうと、気付かないうちに早い呼吸になります。ゆっくり呼吸することで、脳に酸素をたくさん供給できます。酸素が行きわたれば体も少しずつリラックスしていきます。

次に可能であればクライムダウンします。これは墜落係数をなるべく下げるためです。ランナウトの距離が長ければ長いほど墜落の衝撃は大きくなります。また10mを超えるような墜落の場合、墜落している最中に体にロープが絡まるリスクが高まります。ロープの絡まる場所が悪ければ岩に頭を打ち付けたり、首に絡まってしまえば場合によっては死亡事故につながります。

安定する場所まで来たら、ムーブを細分化します。「高く足を上げる」という一言を細かく分けるのです。右足を上げる前には左足に荷重が移るはずです。その左足のスタンスが大きければ体重の100%を預けることができますが、スタンスの形状によっては70%程度でスリップする場合もあります。その時は手でホールドを保持して残りの30%を補う必要があります。

中央岩稜下部スラブ

そういった物理的な解釈をもってムーブを細かく分けて構築します。ムーブの構築が済んだら、実行する際には何も考えてはいけません。無心でこなします。左足に荷重を移す→ホールドの保持に集中→骨盤を良いポジションで固定→右足を上げる→・・・・といったように、一つ一つの動きだけに集中してこなします。ここで別のことを考えてしまうと、それを脳がキャッチして体の動きに悪影響を及ぼします。

【感じるべき恐怖に遭遇した場合の対処方法】1、呼吸を整える。2、安全な場所までクライムダウン、もしくはその場で安定したポジションを探す。3、ムーブの細分化


感じる必要のない恐怖との付き合い方

高いところがとにかく苦手、高所恐怖症など自覚している人ですら、クライミングの技術が向上すると恐怖が消えていくことがよくあります。これは、クライミング技術を身に付ける前は『恐怖>技術』という構図だったものが、クライミング技術を身に付けた事によって『恐怖<技術』という構図に変化した例です。おそらく多くの人が抱いている高さに対する恐怖は、技術と知識を身に付けることで許容できるレベルに変化します。

ただこの時に気をつけなければいけないのが、合理的な技術と知識を身に付けることです。理論的に曖昧な慣例や「先輩や知り合いがそう言ったから」など、理論と実践が見合っていない技術を完全に信じ切ることは危険です。クライミングの技術には必ず物理的に理にかなった理由があります。そのことをしっかりと理解することが重要です。その上で、感じる必要のない恐怖を知っていくことです。

毛無岩取付きから烏帽子岩を見上げる


恐怖は重要なセンサー

このように恐怖には基本的な働きとしての危険回避能力が備わっています。昔から「怖くないというクライマーが一番怖い」と言われるように、危険が見えていないということはクライマーとして最も危険な状態です。しかし、必要以上に怖がってしまっては、出来ることが少なくなってしまい、クライミング自体の質が下がってしまいます。

クライマーそれぞれに持っている技術や知識、また体のつくりから年齢まで千差万別です。自分自身がどんなスタイルのクライミングを望んでいるのか、そのクライミングを実行するにあたって、どんな恐怖を感じるのか?

本を見て、ネットを見て、情報からクライミングの世界に入る事も良いですが、人間本来が持っている危険回避能力としての恐怖心に目を向ける事で、自分にあった技術の習得をすることが出来ます。

めんべ岩リード


まとめ

怖がること、臆すること、これらはネガティブな感情として処理されることが多く、あまりポジティブな見方をされることがありません。

しかし私は、恐怖は言語と同じように状況によって使い分けるツール(センサー)のようなものだと感じています。

画一的な正しさを求めているだけだと、その方法が合っているのか合っていないのか見極めるのが難しくなります。しかし個人個人にそれぞれに身についている恐怖というセンサーをうまく利用することで、自分にとって何が必要で何が不必要なのかが分かってきます。

「怖い」と感じた時こそがステップアップのためのターニングポイントです。

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