「ふっこう」
震災において「復興」はよく使われる言葉だ。
じゃあ、復興ってなんだろう?
震災の跡が無くなることが復興?
復興って本来はポジティブな言葉なんだろうけど、私にはマイナスに感じられることもある。
もしかしたらこれは、数年間放置された土地だったから余計に強く感じる感覚なのかもしれない。
あの日、津波が来て、全てが流された。
家も、家族も、友人も、学校も、全部が流された。
町が全て瓦礫だらけになった。
そして、そのまま数年間放置され続けた。
宮城や岩手の沿岸部が整備されていく中、原発事故の影響を受けた私の地元だけは時が止まったかのように津波の爪痕が残ったままだった。
悲しかった。なぜこの地区は放置されているのか、いつになったら復興することができるのだろうといつも考えていた。
そんな風景にもようやく慣れた頃、瓦礫の解体が始まった。
ここからが本当に早かった。
ある年の夏、お墓参りをしに地元に戻ったら、目の前で船が解体されていた。震災前は毎日のように見ていた漁船が目の前で粉々に壊されていく。言葉が出なかった。
次の年、家の跡地が無くなっていた。
全てが流されたとはいえ、家の基礎は残っていた。残っていたはずなのに。目の前に広がっているのはただの砂利道だった。隣の家との境目すら分からない。ただただ悲しかった。
さらに次の年。堤防の高さが元の倍近くになっていた。海のすぐそばで育ってきた私にとって、海が見えなくなってしまうというのは何よりも悲しいことだった。
見知った土地がどんどん様変わりしていく。
馴染みのある建物が壊され、道すらも変わっていく。
唯一変わることのなかった海でさえ、今は高い堤防に阻まれ見ることはできない。
元の風景を思い出すことすら難しくなっていく。
これが「ふっこう」なの?
前はあんなに復興を望んでいたはずなのに。
こんなに喪失感を感じるのであれば復興なんてしてほしくない。
瓦礫のままの土地でいいから。
これ以上私の知っている土地を壊さないで。
私の地元を「知らない場所」にしないで。
お願いだから。
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9年半が経った今、堤防はしっかりと整備され、大きな白い壁になった。
知っていたはずの建物は、もう学校くらいしか残っていない。
これは聞いた話だが、防災林や公園の工事もかなり進んでいるらしい。
時間はかかったけれど、復興は着実に進んでいるのだと思う。
でもこの町は、私にとって「地元」と言えるのだろうか。
久しぶりに帰った時、懐かしいと感じることはできるのだろうか。
復興が進むにつれて、地元に帰りたいという気持ちが薄れているように感じる。
本当の意味での「ふっこう」とはなんなのか。
そんなことを考える今日この頃。