「オチ」という苦行

大阪で生まれ育ったので、小さい頃からお笑いが身近にあった。テレビを付ければ漫才の番組、土曜の昼からは新喜劇。昔は松竹新喜劇もテレビでやっていた。藤山寛美、面白かったなぁ。やすしきよし、阪神巨人…歳がバレそうだが、しゃべくり漫才も大好きだ。

そして、家族や友達との会話にもお笑いがあった。会話の中心となる者は、最後は笑いで〆るという、暗黙の了解があった。とにかく、笑わせてなんぼ。な世界で育った。
なので、もちろん自分の子育てにもそれは反映されることとなったが、子供達がもう10代も後半になった頃突然、「うちの家は話にオチがないとあかんよな〜もしオチがなかったら、ほんで?だから?と、オチがつくまで話を終わらせてもらえへんかったよな〜めっちゃ嫌やった。」とカミングアウトされた。衝撃的であった。当たり前過ぎて、気付かなかった。
さらに下の子においては、友達にもオチを求めるようになってしまい、嫌がられているらしい…

かくして、笑いのスパルタ教育を受けたうちの子供達は、今では周りの人達を結構笑わせているようだ。

知らんけど

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