声を大にして言いたいこと。1
私は3児のシングルマザーである。
飛び出すように離婚し、実家からも「出ていってほしい」と言われたので、母子支援施設にて生活をしているのだが、私は声を大にして言いたいことがある。
まずは、私の子ども達について聞いてほしい。
長男の話。
現在4歳の長男は、3歳の頃に療育センターにて「知的ありの広汎性発達障害グレー」との診断を受けている。
グレーというのは通常児と軽度の間らしく、「今後の成長に期待しましょう!」ということらしい。
正直、一歳半くらいの頃から怪しいなと思っていた節はあった。
小学生の頃、かつてドラマにもなった戸部けいこ先生の「光とともに…〜自閉症児を抱えて〜」が図書室に置いてあり、何度も何度も借りては読み、ドハマりした私は大人になってから全巻買った。
そのくらい読み込んでいたおかげか、「あれ?」と思う部分が多かったのである。
些細なこだわりが激しかったり、耳や首を触られることを極度に嫌がり、遠くの方から聞こえてくるサイレンに耳を塞いだり、掃除機をかければ大癇癪を起こしたり。
しっかりとした発語も全然無く、2歳までほぼ喃語で話していたし、してほしいことがあれば、私の手をそこへ持っていくクレーン現象なるものもあった。
まぁこれに関しては、普通の子も成長過程であるみたいだが。
兎にも角にも「何かがおかしいぞ!」と感じた私は、検診や小児科受診の度にそれを伝えるのだが、聞いた方は揃いも揃って「この年齢は個人差があるから〜」と一刀両断。
一歳半検診のときに唯一「療育センターに連絡して、後日資料を送付しますね」と笑顔で言われたこともあったが、待てど暮らせど資料が届くことは無かった。おい。
やっとの思いで福祉センターで行われている発達相談を受けることが出来たのは、2歳の頃。
なぜここに来てやっと受けれたのかと言うと、長女の出生届を提出するついでに、長男の新生児訪問をしてくれてから何かと気にかけてくれている保健師さんに会いに行ったときのこと。
話している間も落ち着きのなかった長男は、廊下で元旦那と一緒に待っていたのだが、「帰るよ」という言葉を聞いて大癇癪を起こした。
切り替えが大の苦手な長男は、こういうことが度々ある。ていうか毎日ある。ご飯を食べたり、お風呂に入ろうとしたりする度にこうなる。私の感覚は既に麻痺していた。
その様子を目の当たりにした保健師さんは「…よくこうなるの?」と神妙な面持ちで声をかけてきたので「え?はい。いつもこうです。ワハハ」と返すと、「検診のときに何も言われなかった?」と。
一度、資料を送りますねと言われたことはありますが、待てど暮らせど資料が来ません。と言うと、呆れたような顔をした保健師さんは「発達相談の予約をとりますね」と口にした。
え?!いいんですか?!ヤッター!!ありがとう!!ありがとう保健師様!!ありがとう!!
さすがにそんなことを言える雰囲気ではなかったけど、私の心境はまさにこんな感じ。
それから話は早かった。あっという間に辿り着けた。あの頃の私が何よりも来たかった療育センターで診察を受けることが出来たのだ。
私はあの保健師さんのことが大好きなのである。
離婚してから保育園へ
診察を受け、療育を提案されたものの、離婚やらなんやらでタイミングが合わず、やっと受けることが出来たのは離婚後、保育園に入所してからのことだった。
保育園の担任の先生は幸運にも療育経験のある方で、何というか、少し変わった人である。
「私ね、育てがいのある子が大好きで。だから(長男)くんに会えてとっても嬉しいんです。もう本当に大好きです。ありがとうございます、お母さん。私、毎日がとても楽しいんです。」と、大癇癪を起こす息子を傍らに、笑顔で言い放ってしまうような先生だった。もう大好き。この先生大好き。
そして保育園と同時に始まったのは、月一の頻度での個別療育。
偶然にも担当の先生は、保育園の担任の先生とかつて一緒に働いたことがあるという人だった。これが運命か。
この先生も何というか…少し変わった人であり、長男が動くだけで「ヤダ〜!!可愛い〜!!可愛すぎる〜!!」と悶絶するのだ。
療育にはこんな先生しかいないのか、と思ってしまうくらいに子どもが大好きな褒め上手の先生だった。
個別療育中や終わってからも「お母さん大丈夫?心配なこととかない?」とよく気にかけてくれ、少し不安なことを漏らせば「そうなの!お母さんの言う通り!ここが苦手だよね、次回はこういうことをしてみよっか!」と即座に改善する道を提案してくれたり。
出来るようになったことがあれば、長男はもちろん「お母さんよく頑張ったね!」と、私まで褒めてくれる先生で、私も長男もそれはそれはよく懐いた。
呪いの言葉
そんな療育の先生に、一度だけ、ポロリと弱音を吐いてしまったことがある。
元旦那と離婚するとなったとき、「母さんだってお前を良く思っていない!」と、見せてきたのは元姑とのLINEだった。
そこには私を責める内容がつらつらと書き連ねてあったのだが、その中に「(長男)をグレーにしているのは、(私)よ!」というものがあったのだ。
当時は「何言ってんだあの若作りババア」としか思わなかったが、その呪いの言葉はどうやら遅効性だったようで。離婚してから私の心を蝕んできた。
私の母親としての至らなさを発達障害としているのではないか。
そう思うようになったのである。
今となっては「何言ってんだあの若作りババア。息子の子育て失敗したくせに、押し付けてきてんじゃねえぞ」と思えるのだが、当時の私は病んでいた。そりゃもう、あの元姑の言葉を真に受けるくらいには病んでいた。
そんなこんなで限界を迎えていた私は、いつも通り「心配なことはない?」と気にかけてくれた先生に「あの、この子をグレーにしているのは私ですか?」と聞いてしまったのである。
一瞬、先生の笑顔が強ばった。
そしてその後すぐ、真剣な顔で「それ、誰に言われたの?」と。
「離婚前、元姑が元旦那に言っているLINEを見せられて」と苦笑すると、「そんなことない。そんなことないんだよ、お母さん。むしろこんなに早く気づけるなんて、お母さんがしっかり長男くんを見ている証拠なの。」と、真剣な声色の先生。
私は、先生の顔を見ることが出来なかった。
自分がどんな顔をしているのかもわからなかった。
ただ、涙は止まらなかった。
「私ね、こんなに発達について勉強しているお母さんって見たことないんだよ。アドバイスするよりも先に全部試してるお母さん初めてだよ。そんな人が子どもをグレーにしてるなんてとんでもないよ。」
「今すぐその人のとこに行って、ぶん殴って説教してやりたい。」
「…ずっとずっと、その言葉に苦しめられてきたんだね。言ってくれてありがとう。」
ボロボロ泣いた。泣きじゃくった。
人前で泣くのは苦手な私だが、それでもボロボロ泣いた。
そうか、私、ちゃんと出来てたんだ。
ちゃんと母親としてやるべきことが出来てたんだ。
そう思えるようになった瞬間、長男の顔がキラキラ輝いて見えるようになった。
きっと私はその呪いの言葉に惑わされて、長男そのものから目を背けようとしていたのだろう。
呪縛を解いてくれた先生には、本当に感謝してもしきれないほどの恩がある。
現在の長男
冒頭にも話した通り、現在4歳の長男。
年中になり、大好きな先生とクラスは離れたものの、今のクラスも楽しいらしく、元気に通っている。
「可愛い…ねぇママ、何でこんなに可愛いの…?」と、妹たちの寝顔を撫でくりまわしながら言うほどのシスコンであり、イヤイヤ期真っ只中の長女を「じゃあこっちしてみよっか?ほら見て、くまさんいるよ」と、立派に子育ての駆け引きも出来るようになった。
母はそこまで求めてないぞ、息子よ。
コロナで自粛中の今、仕事がない家庭は登園を自粛してくださいとの通達があったため、職場が休みになっている我が家も自粛生活の真っ只中だ。2ヶ月目に突入することに恐怖を覚えている。いろいろな意味で。
彼は保育園が何よりも大好きなので「明日は保育園?あーあ、保育園行きたかったんに〜」と今日も独特な愚痴を漏らすのだった。
さて、次回は長女の話をしようと思う。
長女の次には、次女が待ち構えているわけだが、最後までお付き合い頂けたら嬉しい。
そして出来れば、それらを聞いた上で、私の想いを聞いてほしい。その方が伝わる気がするから。