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隣人のゴミを捨てにいくこと
移住者のゴミ問題
移住する前、暮らしの課題としてよく耳にしたのはゴミ問題だった。
「寒い中、ゴミを捨てにいくのに車で集積所まで行かなくてはいけない」
「ゴミの分別が複雑だ」
「年末年始などゴミが出せないと家の中にゴミ袋が溜まる」
「都会で育った人間には苦痛だ」
僕が移住するエリアの隣町が出身地である友人からそんなアドバイスを受けていた。
仰る通りで、東京のマンション暮らしをしていた頃、ゴミはマンション内で24時間出せて、ゴミ袋が家の中に溜まることもなかった。
分別は「燃ゴミ」「陶器・ガラス・金属ゴミ」「資源ゴミ」の3種類。
ゴミ捨てが面倒だとか、煩わしいと思ったことはほとんどなかった。
故に、友人からゴミ問題は面倒だと聞いた時は、気が滅入ることもあった。
実際に住んで見ると、友人の助言は概ね正しい。
・自宅からゴミ集積所は往復徒歩で15分
・ゴミの分別は分別ポスターを見ても覚えられない。
(オープンデータを使ったゴミチェッカーというページもある)
・ゴミ袋が家に溜まる場合もある
しかし苦痛かといえばそうではない。少なくとも美しい山並みを見ながら朝散歩がてらゴミ出しに行くことは想像よりも楽しいものだった。
寒い冬のエピソード
そしてそのゴミ出しにおいて、移住当初で忘れられないエピソードがある。僕の隣人に僕よりも数年早く移住されてきている方がいる。
本当に懐が深くて裏表がない素敵な移住の先輩。ある寒い朝(−10℃くらい)燃えるゴミの収集日でいつものように集積所に向かおうとしたところ、先輩が庭先から声をかけてくれた。
「yskさん、おはようございます。私ちょうど今車で出かけて行くところだから、そのゴミ出しておきますよ」
「え?」
その刹那、都会だったら有り得ないと思いつつ、いくら何でも人の家のゴミを持って行かせるなんてできないと思って、恐らくこんなことを言ったと記憶している。
「そんな風に言えるようになりたいです。またお願いします。今日は散歩がてら自分で行きますね」
もし東京で「お宅のゴミを出しておきますよ」を言われたら本能的に怖いと思うが、彼の物言いは全く自然でそういう感情は一切湧かなかった。隣人にそんな事へ声をかけられることに尊敬の念を抱いた。
その夜、その話を地元の工務店で広報も担当する友人に話した。
共感するかなと思ったが、返ってきた言葉は予想外のものだった。
「yskさん、それ普通の事だと思います。都会に住んでいると何でも一人でやらなくちゃとか、誰かの迷惑になってしまうとか考えてしまいませんか?
こちらの生活では皆助け合っていると思います。隣人の方も本当に出かける用事があってついでに行けるので声を掛けただけ。頼っていいと思います。逆に自分が手が空いているなら声を掛けてお返しすればいいと思います」
そしてこう付け加えた。
「都会と田舎。どちらが正しいとか、どっちがいいという事ではないですから、ブレない”心の体幹”みたいなものを鍛えていきたいですね」と。
きっと僕の友人達は、どこの場所にいても、困っている人がいれば他人に手を差し伸べる。
こちらに居を移して3年目。
寒い朝、モルゲンロートに染まる山を見ながらゴミ出しに行く時、
自分もそんな風に生きていきたいと、時々このエピソードを思い出す。