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言葉よりも背景を見る           ~才能の裏と奥義の開眼~

今日の記事は、

今後の記事をより良く理解して頂く為の、

補足として書いたものになります。

ただ、内容的にはかなりハードなので、

転換する覚悟がある方のみ、

読むことをお勧めします。

ご理解のある方に読んで頂ければと思います。

🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟

言葉よりも背景。

大事なことはこれ。

そう思う。

多くの人は、

人の話を聞くが、

その人の背景を考えて、

人の話を聞く人は少ない。

背景とは、

その人の人生観や生き方のこと。

多くの人は、

自身に囚われている。

自身に囚われている自覚もないから厄介。

だから、

話の内容が核心に到達するほどに、

言葉が届かなくなる。

自身の都合の良い言葉に魅了され、

無自覚の内に、自身の価値観に、

都合の良いように理解を繋げ、

無意識の内に、囚われて行く。

自身の想いが先に来て、

相手の背景は、そうして見えなくなる。

何でこの人は、

そんなことを知っているんだろう?

と言う不思議を、考えられなくなる。

人の話を聞く上で何より大切なことは、

その内容よりも、背景で、

背景を知ることが、

物事を理解する、核心になる。

核心は感覚となり、

認められない感覚こそ、

事実の裏返しになる。

裏は、

上辺ではなく、真相。

真相とは、背景や人生観のこと。

相手のエネルギーが、その真実を写し出す。

何度も言うが、

何でこの人は、そんなことを知っているんだろう?

これこそ、最大のキーポイント。

話の内容よりも、

何故そんな話ができるのか?

どうやったら、その領域まで行けるのか?

そういうことが、

なりよりの理解。

事実より、非事実こそ、理解の真髄。

内容よりも、成り立ちこそが、理解の核。

だけど、

多くの人がそこを忘れる。

学問的に捉えることは、道のりの一つで、

知識は道のり、知恵は結果となり、

盲点を付くことが、答えとなる。

答えは、盲点であり、

盲点は、核心だからこそ、

受け入れることが、難しくなる。

そう考えると、

知識は、簡単(結果)、

知恵は、難関(成果)、

答えは、超難関(転換)となる。

だからこそ、

話の内容が核心に到達する程に、

そこを否定する様になる。

超難関とは、簡単には分からないこと。

簡単に分からないことは、理屈を越えているもの。

理屈を越えているものは、否定の定め。

でも、否定するからこそ、

そこには「何か」があり、

否定すらないものこそ、

そこには何もない。

否定は肯定の裏返しで、

否定の中にこそ、本当の「何か」がある。

否定は、受け入れ方を知ることが大切で、

それができると、物事の捉え方は一変する。

簡単なことの中には、何もなくて、

難しいことの中にこそ、「何か」がある。

本質は本来これだけ。

その「何か」があるからこそ、

否定は面白かったりもする。

何事も捉え方で、

分からないことが、恐怖に変わる?

分からないことに、絶望を感じる?

そんなに臆病でいたら、

分かることなんて、ないと思う。

自身を必要以上に守り過ぎることは、

愚か者しか生まないと思う。

本当の科学者や、哲学者は、

分からないからこそ、そういう事を何より大切にする。

裏を返せば、

無謀な者ほど、切れ者とも言える。

最早、何でも構わないのかもしれない。

囚われているものは、

そういう域にまでは、到達できない。

だから結局、何も変わらない。

そういう思いの裏を知ることだけが、

人を未知の領域に誘うもの。

自身が分かる範囲のことで、

行ける領域は、知れている。

知れているからこそ、今の自分がいる。

だから何事も、

囚われないことが大切。

囚われない為に何ができるのか?

それこそ、最大の学び。

形ない理解こそ、最大の恩恵。

形に囚われるものは、

それが、囚われていることだと、

認めることができない。

認識すらできていないのかも知れない。

形に囚われることは、ある種の才能で、

才能に囚われることは、

才能の裏に行けないことになる。

才能の裏にこそ、本当に大切な事実がある。

何事も裏を理解してこそのもので、

裏を知らない理解は、

浅いものにしかならない。

偉人達は常に、

この才能の裏を知っている。

理の裏を知っている。

人の疑問の裏を見抜いている。

だからこそ、

目の前の現実だけに、囚われることはない。

現実は、都合の良いことばかり求め、

非現実は、都合の悪いことを捉えるもの。

そういう教養のあり方が、

人が知らないことを知っている要因になる。

表ではなく、裏を重要視している。

見えるものではなく、見えないものを見ている。

聞こえるものではなく、聞こえない声を聞いている。

自身の内側の声に、耳を傾けている。

相手ではなく、自身が問題だと知っている。

謙虚になれることが、

真の答えに繋がると、理解している。

分別を付けられる者だけが、

物事を見極める目を養える。

分別こそ、最大の教養。

頭だけの理解は、

そこには到達できない。

分別よりも自身に囚われる傾向が強いから。

頭だけではなく、身体の感覚。

それこそ、分別の鍵。

分別は、繋がりではなく、

転換。

転換は、全体。

全体は、奥義。

自身に囚われない者だけが、

この領域まで到達できる。

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