私の生き様1:公的な文章でも丸飲みせずに疑って読むようにしている
あなたはWEBのニュースや取材記事、全国紙の新聞、本屋さんに並んでいる単行本など、ほぼ信用できると思われる公的な文字情報をどの程度信用していますか?
私は18歳で大学に進学して、一部だけ当時の70年安保の学生運動に関わり、政治の欺瞞性を垣間見て、それ以降、10代から50年間余り、
ずっと「懐疑的(疑いを持つ)目線」で、これらの公的文字を読み、判断してきました。
政治そのもの、政治家、警察、医者、お坊さん、経営者、行政の窓口など
どこも公平に同じ目線です。
最終的には、
「間違った判断をして後悔したくない。自分の見識を強いものにしたい」
と考えたうえでの必要なノウハウでした。
書き手の意思で文字はどのようにも化けます。
都合の良いことは強調し、都合の悪いことは伏せて出しません。
そこをしっかり見定めることは、ある意味快感でもあります。
🌰何が言いたいか、本当に正しいか、
真意はどこにあるか、疑いの目で読む
私のPCにある新しいタブ(Microsoft Start)の多くの記事は、
いつも若者たちを扇動するやらせ記事が多い。
どうでもいいことを必要以上に強調する。若者を煽り立てる。
公的記事のふりをして、有料でCM効果を出そうとしているのは明らか。
(私もこの手で時々本を買わされている?!笑)
多くの場合、基本は、本や新聞のように活字になっているから信用できる。
WEB情報のトップページにあるから嘘はないだろうと、デジタル文字も
信用する。
しかしどこであっても、執筆者が人間である限り、意図的に扇動する言葉が仕込まれていると考えたほうが正確と思います。
そして、多くの人が、若い時と今の私も含めて、踊らされています。
ここに、こう書いているから正しい、は まず間違いも含んでいます。
文字の丸飲みは、実に危険です。
🌰著者の意図は何かを探る
日本政府も野党も含めて、政治的な文章は「100%」意図だらけです。
都合の良いことは5倍10倍に強調し、都合の悪いことはひた隠しにする
傾向が強いと思います。
維新の会の鈴木宗男さんは、ロシアから帰ったあとの言い訳が、
「秘書が渡航の連絡を出し忘れた」という始末。
維新の会がこのガン細胞議員をどう処遇するかによって、党の意思が
ハッキリ見えます。
私にとって、政治家は信用できない代表的な生き物です。
この世に完璧な政治がない限り、文章の中に「著者の都合」が込められていると思うのです。
日本の政治はまさに政治家のための政治であり、欧州の多くの国にある
国民のための政治とは、質的に大きな違いがあります。
自らの手で勝ち取った民主主義でなく、占領地政策でアメリカからもらった
民主主義は、まだその価値をわかっていないと思うのです。
「何をどうしたいから、こう言っている」ということを、
しっかり見極めながら読み進めるべきと思います。
🌰公平性や信用度が何%あるかを判断する
公的文字の代表格の全国紙の新聞でも、その正確さや、意図は、
各紙で大きく違うと思います。
特に全国紙、地方紙などの新聞は、すべて信頼に値すると思いがちですが、明確に「その主張」を込めた仕上がりになっています。
そしてそれは、社説に明確に現れます。
土の付いたごぼうや大根の土を洗い流したら、本体が見えるように、
余分な言葉を払いのけると、その文章の意図がわかり、公平性や信用度が、どれくらいあるか判断できます。
ものによっては、あとから後悔しないために、
こういう感じで、見極めないと、利用された、判断を間違えたと、
なりかねないのです。
🌰著者や媒体の主張の傾向を記憶する
一度傾向をつかむと、次からは、その経験を土台にしたよ見方ができますから、実に楽です。
今後ますます、文字を判断することが多くなります。
人の意見に相乗りする前に、まず自分で判断してみる。
そして、
相乗りした場合は、あとで間違ったかなと思っても、
相手にとやかく言う前に、自分で「自己責任」であることを、ちゃんと
覚えておきましょう。
少し難解な投稿になりましたが、
避けて通れないのが、公的な文章の判断と意思決定です。
生きている限り、続くことです。
負けず、少しずつ取り組みましょう。
(了)