たべものコンサル日記62:今70代の生き方を学んでいます~現役高齢コンサルの心境です!
歩いて3分くらいのところにあるコスモスという食品を売っている
ドラッグストアに夕ご飯に使う鶏肉を買いに行った。
レジ横の野菜の棚に2袋だけあったやや時期遅れの干し柿用の柿。
ひと袋10個余り598円を2年ぶりに剥いて、40度の焼酎にくぐらせて
殺菌して紐で吊るしました。
柿の色は秋の実りの象徴の色ですね。(。。もう冬でした)
この柿の皮は、もっと干してカリカリになったら、ぬか味噌の
床に埋めて使います。母から教わったやり方です。
先日細い大根を漬けてぬか味噌が大根臭くなったからです
先週人生で初めてのフィクションを書いて#noteに投稿しました。
3週間かかってストーリーを組み立て、何度も読み返しながら、自分が作中の舞台にいる思いで、膨らませたり、削除したりの書き直しでした。
文章を綴ることは、何か大きな喜びを感じます。
どれが自分の本業か定かでないサラリーマン時代20年間、これと覚悟を決めて命がけで取り組んだコンサル時代30年間、そして70代に入って模索を続けて、いまたどり着こうとしているこの第三の時代。
言うなれば、
<我欲をなだめながら安寧を求める時代→70代高齢者のあるべき姿>
ということが、72歳にしてやっとわかりかけてきています。
鈍いというか、悟りができていないというか、まだまだ俗っぽい自分です。
●お金に対する執念の克服
長いこと水商売要素の飲食業の世界で仕事をしてきたので、
もともと、食えるだけの最低限の収入さえあればそれでいいと考えて
生きてきました。常時てっぺんの生活を望んでいたらコケっぱなし
だったでしょうから。
70年暮らしてきましたが、70歳~72歳の2年間に、コロナ禍と高齢による
受注減が収入減になり、金銭の危機感をひしひしと感じていました。
結局は、この先どこかで外部からの収入が途絶えることは体験するわけ
なので、成り行きを見ようと思い、新たな手を打ちませんでした。
ひと月10万円をわずかに超えるくらいの年金では、山の上の修験者の
ような生活?(*現役の人、例えてすみません)をしないと生活できない
のではと想像しています。
何せ、生活できないとなれば、命にかかわるとみんな考えます。
このお金に対する執着を吹っ切ることに2年間を要したかもしれません。
でもでも、
焦りすぎて、先回りをして、イライラして心が暴走したら、
一番かわいそうなのは、自分自身と思うわけです
何とかなる!何とかする!は持ち続けるべき
と思います。
例えば、
仕事がない!は、生きることだけ考えれば、
贅沢に仕事に希望を入れすぎ、選びすぎだと言えなくもないのです。
<私の行ったこと>
2年かけて生活の質を変えずにスケール感を小さくしていった。
〇持っているものの断捨離
本・釣り道具・食器・趣味のグッズ、今年の最後は維持費も
コスパを考えてマイカーも断捨離。
〇付き合いの断捨離
仕事の繋がりの人たちとの窓口を絞り込んだ.
冠婚葬祭は最小限度にした。
〇仕事の断捨離
自分が納得できる仕事内容のところだけを残した。
(*経営者の方がまじめで前向きに取り組まれる方中心)
〇贅沢外食の断捨離
贅沢な食事から健康な食事へ内容を変更して、
外食先や注文する料理に健康志向を取り入れた。
●仕事に対する執念の克服
男女の性別に関係なく、仕事に一定期間以上情熱を傾けてきた人は、仕事に対する信条や信念、執念があると思います。
私は、コンサルを生業とした40歳から72歳までずっと一貫して、
「命かけて仕事をする」と念じて30年以上ずっと仕事をしてきました。
その影響もあってか、家庭を顧みることなく何度も離婚をしました。
契約先のクライアントさんにも、改善を常に提案し続けました。
例えば、
多額の融資を受けた会社がスタートして経営の支援を開始したとします。
いくら経営者の方でも、筋金入りの創業経営者でない限りは、
心情的に2~3年頑張ると一息入れたくなります。
でも、こちらは、完全黒字体制に確定するまでは絶対に気を抜かないと
決心して取り掛かりますから、相手から見ると、まるでナチスの親衛隊の
ゲシュタポみたいなものだったでしょうね。
今は、いや今からは、これを改めて、相手の気持ちに寄り添うことも
考慮しながら接してゆこうと思います。
(*あれもそれもこれもnoteの投稿とコメントから学びました)
きっと、伝えるのが正論であればあるほど、経営者の方の心の中では、
五寸釘を何本も打たれていたと思います。
<私が考え直したこと>
最終的に相手が喜ぶことをする。のみならず、各プロセスにおいても
感謝をしていただける内容の仕事をする。
命を懸けてする人がいつも頑張りすぎると、相手が苦痛になる場合があると
この年齢で悟った次第。
●生き方や考え方に対する執念の克服
最近多くの文面をネット上で見る機会に思うのは、
70代以上の高齢者がイニシアチブをとり続けると社会が逼塞(ひっそく)
する、進化が阻害されるということを強く感じるようになりました。
「老害」と私自身他の人も含めて思います。
・政治のあるべき姿が見えてなく古い手法で進歩がない
日本は、もう10年も20年も欧米より立ち遅れて、世界でも100位以下の日本になっているのは、政治家と政治無関心層の国民が作っていると
思います。
どの政党でも、「投票しない層」は役に立たないから、
その人たちに向けた役に立つ政策は後回しにするということが、伝わって
いないと思います。
政治家は次にも当選したいので、1票を投じてくれる層を何よりも
重視しています。今回のお金のバラマキも次期選挙のファンづくりです。
・会社・団体・グループすべて
私自身は、20歳以上の成人は1人1票の自己主張の権利を持っていると
いう考えを持っています。
かって30代のころの家庭があった時でも、5歳と10歳と15歳の3人の子供の
いた時も、出かける先を決める時もちゃんと多数決で決めていました。(笑)
まるでロシアのプーチンさんのように1位の役職と2位の役職を高齢者の2人が分け合うような組織もないことはないわけです。むしろ多いかもです。
30代、40代、50代の人々が生き活きと活躍できなかったら、
社会は劣化すると思います。
きれいごとでなく、ヨーロッパの政治家は若い人が多いと感じます。
私は40代以降は自営業でしたので、図らずも自由にすべて発揮できました。
<私の想い>
世のため人のためというときれいごとですが、
理想の形はまだまだできずに、人間臭く頑張ろうと思います。
人並に、聖人君子でもありませんし、自分の許される範囲でわがままを
することは、きっと小さな喜びでしょう。
50代までは自分の人生のために頑張る
60代から先は、若者のお世話をする
70代から先は、若者に席を譲り若者を応援する
そしてそれが積み重なって、社会のためになる
これが、今自分で思うことです。
(了)