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美の多様性

土曜ナイトドラマ『妖怪シェアハウスー帰ってきたん怪ー』はご存じですか?
小芝風花さん演じる幸薄な女性・目黒澪が人間界で悪事を働いている妖怪たちに騙されるところを、お世話好きな妖怪シェアハウスの住人妖怪たちに助けられる、といったお話です。

ちなみに、私は第1シリーズからみていました。
第1シリーズと第2シリーズの違いは、澪が騙される相手が人間から妖怪に変わったこと。
ただ、妖怪は悪魔や幽霊と異なりあくまで善良な存在として描かれています。そもそも妖怪とは人間が誕生するよりも古くから存在し、山や川、海といった自然界の番人や疫病から身を守る精霊のような立場にあります。具体的にはアマビエがイメージしやすいと思います。
そんな妖怪たちが悪事を働くようになってしまう背景には、自然界の秩序を崩し、文明と科学技術の発展に邁進する人間の欲望が妖怪たちとの共存をないがしろにしてしまったから、があります。
NHKで放送されていたドラマ『大江戸もののけ物語』の構成も人間と妖怪の共存をテーマに描かれています。

「妖怪」というと、夏の怪談話からおどろおどろしいイメージを持たれている方も多いかもしれませんが、基本的には人間の悪意の感情から生まれた以外は善良な存在、むしろ私たちを守ってくれる側面が強いともいえます。
(妖怪に関する知識はまだまだ足りませんので、あくまで個人の考え方程度に受け止めてください)

だからこそ、『妖怪シェアハウスー帰ってきたん怪ー』には悪意に染まった妖怪たちを通して私たち人間社会の歪みが明らかとなる構造があると思います。
今回の第2話のテーマは「美の多様性」で、登場した妖怪は「お歯黒べったり」でした。
見た目はのっぺらぼうの女性にお歯黒の口元だけ。
かなりインパクトある見た目です。
そもそもお歯黒とは、その名の通り歯を黒く染める化粧で江戸時代まで既婚女性の証として行われていた風習でした。
しかし、明治になると旧習とされ、禁止令も出されたために衰退していきます。ドラマではペリーの来航とともに廃れていったのだと嘆いている場面がありました。

ペリーの来航といえば、まさに「文明開化」。
日本が西洋の文化にどんどん触れて、模倣を通して発展していく時代です。
日本が海外から吸収したものには社会秩序や技術系以外にも「美意識」がありました。
服装から髪形、顔の造形からなにもかも異なる海外の人々がきらきらして見えるのも、憧れてしまうのも無理はありません。
美の価値観も遡ってみればどんどん変化していくものなので変わって当たり前ですが、「文明開化」はまさに大きな転換期といえるのではないでしょうか。

ただそこで一点だけ注意したいところがあります。
それは、時代の変化とともに定着していった美のスタンダードをどこまで受け入れるべきか、です。
例えば、長らく日本での美しさ(今回は女性に限定)とは、細くて顔が小さくて目が大きい、ことではなかったでしょうか。
特に若ければ若いほどこの概念は強固なもので、ダイエットに挑戦する・アイプチで二重にする女子学生は後を絶ちません。最近は永久二重を手にするためのプチ整形にも手を出しやすくなりました。
雑誌をめくればリカちゃん人形のような華奢な女の子たちが大きな瞳でこちらを見つめてきますし、奥二重や一重はコンプレックス解消メイクと題して特集されます。
メディアで「かわいい」「美しい」と称される女優さんやモデルさんも一様に美のスタンダードをクリアしている人たちばかり。
そうなると、一般人の私たちは彼女たちのようになりたいとダイエットやメイクを頑張る。
そんな無限ループがあるような気がしていました。

ただ最近、その傾向が少し変わってきたように思います。
それは日本でも「多様性」をもっと認めていこうよ、という動きがあるからです。
例えば、渡辺直美さんが体現されているような「ボディ・ポジティブ」です。彼女は番組を通してダイエット企画にもいく度か挑戦しています。ただ、それは健康的な生活や体型にしよう、といった目的ではなくて、やっぱり痩せたら綺麗になるよねという世間の美の価値観、こんなダイエットは効果的だよといった宣伝が根底にある企画だと思います。
そんな過酷なダイエット企画にも果敢に挑戦した渡辺さんですが、今は「PUNYUS」というアパレルブランドのプロデュースもしていますよね。

どんなスタイルでも「かわいくなりたい」「おしゃれしたい」という気持ちがあるのは当たり前。そんな女の子を中心(もちろん女の子以外でも大歓迎)に素敵なお洋服を提供してくれる「ボディ・ポジティブ」を実現しているブランドです。

「ボディ・ポジティブ」以外にも「ジェンダーレス」やミスコンの廃止など、美の基準をどこまで許容してどこから自由になるのか、はこれからも議論の続くテーマです。
私個人の意見としては、美の基準はある程度残り続けて「美しさ」を武器に人生を切り開いていく人も一定数は存在し続けるだろうし、それはそれで一つの生き方なのかな、と思います。
ただ、グローバルな視点で見つけていけば「美」は多様であるべきで、メディアが発信しやすい美のスタンダードに翻弄されないことも大切です。
顔や体格は選べないからこそ、コンプレックスが生まれやすいものだと思います。そのコンプレックスを解消するために、メイクやダイエット、あるいは整形をする人もいれば、しない人もいます。そこは人それぞれですが、あまりにも過剰に世の美意識に反応してしまって拒食症あるいは過食症、整形依存に陥ってしまうのは、やっぱり悲しいですよね。
また、私も注意しないといけないのですが、美意識があまりにもなさすぎるのもダメだな、と最近反省しております。ある程度の清潔感と美意識がないならないで、健康ぐらいは手に入れておくべきだな、と。

とまぁ、長々と書いてしまいましたが、50%くらいは自分のこと好きかな、と思えるくらいの美意識が自分的にはベストな気がします。

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