滞在許可証の話(就労)

今思えばとんでもなく時間と労力を費やした就労の滞在許可証。
学生の時とは違いより準備が多く必要でした。

いつかはまとめようと思いながら、今まで文字に起こしていませんでした。
少し時間を遡るのでもしかしたら曖昧な部分があるかもしれません。

イタリアの滞在許可証は多くの方が苦労しているように、一筋縄ではいかず、毎年どんどん情報が変わります。
なのでもし滞在許可証を申請、更新される方はこちらの記事を鵜呑みにせず、あくまで参考までに留めておいて頂けると幸いです。


就職が決まった時

就職の前から、既にイタリアの音楽院に在籍して学生の滞在許可証で滞在していました。
音楽院を卒業する少し前にオーケストラのオーディションに合格してtempo indeterminatoのポストを手に入れました。

オーケストラの倍率はとんでもなく高かったし、就労の契約はtempo indeterminato。
失業率が高い就職難のイタリアで外国人が正社員の席を勝ち取るのはそう容易くはありません。
ここまで辿り着いたのだから会社がどうにかしてくれるだろうし、今後イタリアの滞在許可証の心配ないだろうと思っていた私が間違っていました。

正式に入社(入団)するまでが前途多難の道だとはオーディションが終わった時点では思いもしなかった訳です。

まず会社からはいつからは入社出来るかを書いて、書き留めかFAXで送るように言われ送りました。


住居証明

オーディションに合格した時点ではまだ就労の滞在許可証の知識は一応調べた事はあったものの、詳細には知らず大丈夫だろうと楽観的に捉えていました。

まず、雇用を約束するところ一つ大きな問題が発生し、この問題の為にコロナのロックダウン等の書類の進行が中断された期間も含め約1年の歳月を費やす事となりました。

会社が外国人をtempo indeterminatoの契約で雇用する為にはidoneità alloggiativa (住居証明)というものが必要になります。
会社側は、私が住居証明を既に持っているものだと思っていた様で、契約書にサインする数週間前に初めてその書類が必要だと連絡されました。

そんな事位なんで調べなかったのだろうとか、イタリアで働きたいならそれくらい知っておくべきだったとか今になって思いますが、もう後の祭りです。
私は住居証明がどんなものかよくわからなかったので、どうしたらいいか事務の人に話をした結果、geometra (測量士)を呼んで州の基準に満たした家に住んでいる証明をしなければいけない事を知りました。

当時住んでいた家

とにかく住居証明が必要なので測量士を呼んで書類を作成して貰おうとしましたが、ここで早速問題が発生。

私の住んでいたアパートだと家の広さが基準に満たないと言われました。

一人暮らしの人が申請する場合は最低29㎡の家の広さが必要でしたが、私の当時の家は20㎡くらいでした。
日本で一人暮らししていた時は20㎡もない家に快適に住んでいたというのに、そんなに広さないと駄目なの?と思いました。

年々外国人の雇用の基準は厳しくなっている様なので、この住居証明のハードルも上がっているのではと思いますが私の気の所為でしょうか…

住居証明に合う家探し

イタリアで留学生活を始めて数ヶ月の頃、ろくにイタリア語も話せない中なんとか探して契約出来た、古い(綺麗ではないけど)駅の眼の前の便利な場所だったのでそれなりに気に入っていました。
部屋の中だと音漏れが酷いのでトイレの中で長い時は8時間練習したのも海外でサバイバルしてる感じで良い思い出です(笑)

どこのサイトを読んでも、どの測量士さんに話しても同じ結果だったので仕方なく急いで家探しを始めました。

この家探しがまた大変で、住居証明の話をすると、住居証明の条件を満たせる家が全然見つかりません。

住居証明では電気やガスの証明書類が必要です。
他にも部屋の広さ、高さ色々と条件があります。
しかし、古い家だから証明書が古いとか、証明書自体ないからやり直さないといけないとか、余計な書類が必要なら家を貸せない等と断られたりしました。

そんな中、当時住んでいた大家さんが協力的で、他の物件があるからその物件で申請すればという申し出があり、そこで試してみる事にしました。


家の定義

当時住んでいた家の大家さんの別の物件に引っ越し、書類を貰い、測量士の人を呼んで書類作成をお願いしました。

ところが、ここでも問題が発生し、結論から言うと引っ越した家でも住居証明の条件に合う家ではなかったので再び条件に合う家探しをしなければいけなくなりました。

その家は元々大きな家で、それをリフォームして三世帯が住めるようにしていました。
イタリアには古い家だととても大きく、大家族で住むことを前提としたアパートが数多くあります。
そのアパートをリフォームして一人暮らしや核家族家庭向けに住めるようにするのはよくある形式の家ではあります。

私の引っ越した先の家はワンルームの家でしたが、市に既に提出している住居の書類上では三世帯の家をまとめて一つの家としているので、私の部屋だけでの書類作成が非常に困難だった訳です。

助け舟

こうしてオーケストラのオーディション合格から半年も経ってしまい、夏に乗る予定だった公演も滞在許可証の期限が切れた事と住居証明の問題のため参加出来ず家探しを未だに続けているという状態でした。

ひとまず滞在許可証はこれまでに話した書類の問題ですぐに就労に切り替えれそうになかったので、これまで通ってきた学校やアカデミーから通学証明を出してもらい学生として更新をして、イタリアに合法的にいれる様にしました。

本来であれば滞在許可証の期限が切れていても、更新の手続きをしていればその証明書類があるので働く事が出来ます。 
学生の滞在許可証ではありますが、契約団員(エキストラ)であれば一定の労働時間を超えなければ働く事も可能です。

ところが滞在許可証のカードを受け取るまではオーケストラ側というか、本社の放送局側が働く事を許可しなかったのです。
私の合格した先のオーケストラが他の多くのオーケストラとは違い、放送局という大きな会社で、本社がオーケストラの拠点のトリノとは違いローマにある関係や独自の規則の為に多くの制約を受けていました。

この辺りの事情は書くと長くなるので一旦省略します。

滞在許可証のカードが届いたら、とりあえず契約団員として働き、その時にオーケストラの人達に今の私の状況を話すと、多くの人が助けてくれました。
その中で、ステージマネージャーの奥さんがアジア人で同じく問題を抱えていた過去があった為に彼らが特に親身になってくれました。
結局、ステージマネージャーの叔父さんが住居証明の条件に合う家を持っていて、丁度前の住人が退去するタイミングだったのですぐさま賃貸契約しました。

あと、residenza住民登録も引っ越したらすぐにしに行きました。

住居証明の申請書類をすぐに市の住居証明申請の窓口へ持って行き(それも一度書類に不備があったので受け付けられませんでしたが)、ようやく申請が受け付けられました。

この時点でオーディションの合格から一年が経とうとしていました。


CIGL(Patronato)

住居証明と同時進行で、就労の滞在許可証の書き換えの準備もしていました。
CIGという確定申告や年金関係等様々な申請を手助けしてくれる所謂労働組合があります。
そこは滞在許可証の申請の書類作成も手伝ってくれるのでCIGLに予約を入れて、一人だけだと難しそうだったのでオーケストラの事務の人に付き添って貰うようお願いしました。

ところがここでコロナが流行り始め、ロックダウンが起こりCIGLに行けたのは3ヶ月も後の事でした。

ロックダウンが明けた後だった為、人の出入りや時間制限が非常に厳しく、逆に言えば予約を入れていた人は時間通りに事が進みました。

住居証明はロックダウン前に申請が通り、ロックダウンが明けた頃に住居証明の原本が手に入ったので住居証明はクリアしました。

滞在許可証を学生から就労への書き換えの場合、大学もしくはそれと同等の学校の卒業証明が必要となります。
卒業証明がない人はdecreto flussi という枠で申請しなければならないそうでいつでも申請出来る訳でもなく、人数制限もあるので難易度が更に上がるそうです。

CIGLには

  • パスポート

  • 現在持っている滞在許可証

  • 音楽院の卒業証明

  • 住居証明

  • codice fiscaleの証明

  • marca da bollo 16€

  • 前年度の収入証明

この書類を持って行き、オーケストラの事務の人が会社の書類を持って来てくれました。
この時は書類のコピーを取ったのと、申請するmoduloの記入だけだったので実際には次の機会に必要になります。
会社側は契約書、雇用者の身分証を持ってきていたと思います。
詳しくは conversione permesso da studio a lavoro で調べれば出てくると思います。


Immigrazione

 CGILで申請をした後、immigrazioneから招集がかかり、書類提出に行きました。

この辺りの記憶が曖昧ですが、一回目のimmigrazioneの招集でcontratto di soggiornoを貰ったと思います。
次の招集迄にcontratto di soggiornoを会社に記入して貰い、住居証明、パスポート全ページ、現在の滞在許可証、carta d'identità 、codice fiscale、前年度の収入証明、音楽院の卒業証明(それぞれコピー)、marca da bollo を提出しました。

これで終わりかと思いきや、immgrazioneで書類が受け付けられたという証明を貰って、先程提出した書類が返却されます。

これらの書類を全て郵便局のpermesso di soggiornoの申請キットの中に全部入れて、申請の手数料を払い送ります。

あとはこれまでやってきた滞在許可証の申請、更新の手続きと同じ様に指紋採取の日に出向き、その後日滞在許可証のカードが渡されます。


険しい道

この滞在許可証の切り替えが終わるのに気がつけば約2年弱掛かりました。

コロナの影響で予約が延期になった事が何度もあったので、もしコロナがなければもっと早かっただろうとは思います。
だとしてもこうしてまとめると結構やることが多く、一人で解決するにはかなり難易度が高いです。

私は元から就職した先のトリノに住んでいて、知り合いもいた事でオーケストラの人以外にも手助けしてくれる人や相談できる人がいて、とても助けられました。

決して簡単な道ではないし、申請が受け付けられなかった時は、なんでこんな目に合わなければいけないんだと落ち込んだ事も何度もありました。
演奏や教える仕事はそれなりにあったものの、就職すべきはずのオーケストラで働けない期間がいつまで続くのか、いつになれば雇用の契約が出来るのかわからず、経済的な不安もありました。
そんな事があってもなんとしてもオーケストラで働きたい、イタリアに残りたいという気持ちだけでなんとか乗り切ってきました。

私はオーケストラの後ろ盾もあるし、知り合いで助けてくれる人が多くいたのでまだ運がいい方だと思います。
他の方は滞在許可証の申請が受け付けられず、期限が切れたので仕方なく母国へ帰らざるを得なくなった人も何度も見てきました。
また、就労の滞在許可証を手に入れる条件が満たないのでアルバイトしながら学生をずっと続けている人もいます。

イタリアで生活する日本人は沢山いると思いますが、難なく滞在許可証を手に入れた人は私が知る限りでは一人もいません。
一人でも多くの真面目にイタリアで働きたいと真剣に思っている人が無事に就労の滞在許可証を手にいれる事を願っています。

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Sawa
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