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神官見習いに問題勃発!

【現役産婆うっしーの神官見習い日記.7】

前回の記事はコチラから

いやぁ、おじいちゃん(義父)の忌明けが終わったらいつの間にかもう11月も半分終わってしまいました。

だいぶご無沙汰でございましたが、おじいちゃんの忌明けも済み、いよいよ10月の縁日祭からご神事お手伝い再開と相成りましたが・・・

とある問題が勃発。

※今回の投稿は、ブラックうっしーがさく裂しますのでご注意ください。(「癒し家」を名乗る私とて、ダークな一面は持ち合せております。悪しからず。)

そもそも、私がなぜ神官の修行に入る流れになったかを簡単に説明しておきます。

元お坊さんになりたかった私は、大学入試センター試験で大敗。大きく進路を変え看護学校へ進学し助産師(産婆)になりました。

学生時代からお付き合いしていた主人とは不思議なご縁を感じていて、7年間の遠距離恋愛を経て結婚。

当時からスピリチュアル&インド好き(呼ばれる人)だった私は、義母が神官でありながら私と同じく「インドに呼ばれる人」という共通項を知ってより主人や義母とのご縁を強く感じました。

女性でありながら「我が道を行く」義母の生き方にも惹かれていきます。

共通項も多い私に対し、結婚後義母は全面的に信頼を寄せてくれましたが、

同時に自分の将来の面倒や、家業の事など引き継いでくれることを多く期待するようになりました。

私と主人は老後の面倒も含め、神職の跡継ぎをどうするかを長年考え続けてきましたが、

義母の体力低下も相まって、正式に後継するのであればいよいよ本格的に動かなければ間に合わないという事になり、

重い腰をあげ、主人は裏方(経営側)に回り私が神官として神職を継いだ方がよかろうという話になった次第です。(←今、ココ)


そんな矢先、わたくしの中で、プッツンとココロの中の何かが切れてしまいましてね。

私が結婚以来約23年間ずっとココロに負ってきた傷がとうとうラプチャー(破裂)してしまったのです。

その傷というのは、早い話が世間一般で言う「嫁姑問題」

ウチにもあった嫁姑問題

結婚している人なら誰でもブチ当たる問題ですよね?私だけではないはずww

ご神事の際に神官である義母の身の回りのお世話や裏方のお手伝いをさせて頂く私は一見、実の娘と間違われたりするのですが、「嫁」です。

よく大祭のご奉仕をしてくださる信徒さんに「先生とお嫁さんは仲がよくて羨ましい、うちは嫁と全然上手くいかなくてね~」って言われたりするのですが、

いやいや、何のことはない、うちにも嫁姑問題はあったのですよ。

嫁いで早23年。

転勤族の主人について回って義実家のそばに居なかったのでこれまではうまく現実的な話に発展することなくやり過ごしてきましたし、

共通項も多い私と義母の関係はそう悪くない、うまくいっている方だと思っていました。

がしかし、

高齢になるといろんなことが思うようにはいかなくなるんでしょうね。

さらに、おじいちゃんが居なくなった今、広いおうちに義母が独りで暮らしているのは不便だし、寂しくなったらしく

逢う度に同居の話をするようになり、同時に私や主人への依存とパワハラ的な言動も多くなってきました。

もともと、役職に就いていたキャリアが長く、鑑定士・スーパーバイザー、先生と呼ばれるお仕事を各方面でやって来られた方です。

押しが強く自分の想い通りに事を進めるのが上手な方ですので、しかたがない部分もあるかもしれません。

もともと、私と義母にはスピリチュアル&インド好きという共通の話題がありましたので、

そんな話題の時は何時間でも話していられる、とてもうまくいっている嫁姑関係ではありました。

が・・・

毎日一緒に生活するとなると、話は別ですよね。


同居については「船頭多くして船山に登る」って諺?があるように、同居するとうまくいかなくなることはわかっていました。

だけど、明確に同居の件を否定したこともありませんでした。

プライベートでパワハラ!?


長年、先生と呼ばれるお仕事をしてきた立場の人には当たり前と思える言動でも、

その言動を受け取る側は、浴びせかけられる言葉で気分を害して自信をなくしたり、不快な思いをしているんですよ。

自分の言動が他者に不快感を与えていることに全く気づかず、

すべて自分の意見が正しくてまかり通る、望み通りにしてもらえるという感覚の義母の言動は

まるでパワハラでした。(汗)


義母から期待されているとは承知の上で

「これは私がガマンすればいいだけの話」とすべてココロの奥底に封印してきたものの、

その憤りや苦しみが消えて無くなることは一切なく、

すでに傷の真下には膿がドロドロに溜まっていることは十二分に知りながらも、目を伏せてきました。

この傷はどんどん膨れ上がっていき、なんとか誤魔化してここまできたけれど、

おじいちゃんの告別式と忌明けのお手伝いが終わった瞬間、隠し切れなくなって、はじけてしまいました。

「我が道を行く」に巻き込まれる


人が千人居たら千人のお顔が違うように、家族もいろんな家族がいる。

家族と言えどもそれぞれの家庭にそれぞれのやり方がありますよね。

家事にしてもご神事のお手伝いにしても、義母の望み通りに整えられていないと小言を言われ、注意を受けていました。

ご神事に関しては全くの見習いですから、当然私が学ぶべき、改善すべきことは学び改善するよう努力しますが、

プライベートにおいては私もすべて義母のお望みどおりに動けるわけではありません。

そして、

「我が道を行く」に巻き込まないで

必ずしも、言われたとおりのやり方でないといけない訳ではなく、もっと効率の良い、今どきのやり方で対応出来ることもたくさんあるよね?と思うと腹が立ってきます。

(「後期高齢者に腹を立てても・・・」って冷静になれば思うけど、そうなれない自分がいてカオス)

嫁として老親の面倒をみたり、家の事を手伝うのは当たり前の事なのかもしれないけれど、

オカシイと思うことを自分のココロにウソをついてまでやるのは間違っていると常々思ってきました。

だけど、私は自分のココロの奥底にある怒りや残念な気持ちには向き合っていなかったのです。

それはなぜか?

長くなりそうなので次回に続きます。


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