麻生田町大橋遺跡 土偶A 182:水好きには堪りません
岡崎市丸山町の加良須神社(からすじんじゃ)から、北の県道35号線に戻り、西に向かって国道1号線に入り、南を流れる乙川(おとがわ)に架かっている、上り下り2車線が二つに分離した大平橋に向かい南下しました。この橋は国道1号線が走っている橋ですので、車が絶え間なく走っているのですが、上り下りとも歩道が付いているので、乙川を見下ろすことができました。
大平橋はすでに大平町に入っています。
大平橋の上流側は、やはり両岸は鬱蒼たる森に囲まれており、上流右手に土砂が堆積して草に覆われた場所があるのが見える。
石はまったく水面上には見えず、透明度の低い流水だが、大平橋の近くでは水深の浅い瀬になっていることが判った。
波頭の波形を見るだけで、水深が推測できるようになってきた。
大平橋の下流側の歩道に移ると、乙川の左岸に馬が1頭いた。
この馬に関して、交通量の多いことから、車上から目撃した人は多く、この馬を目にしたことをネットに書き込みしている。
馬は一応繋がれているのだが、繋いだ紐が広い範囲を移動できるように、長いロープに通してあった。
この馬は岡崎市で春に行われる家康行列に使用される馬だという。
100年ほど前から複数頭が乙川両岸で飼育されてきているようだ。
上記写真乙川の奥にダムのように水を堰き止めている堰堤(えんてい)があるのが分るだろうか。
大平橋の中央まで出て、大平川堰堤(えんてい)を眺めたのが下記写真だ。
上記写真大平川堰堤の右端の根元に大平川神社があるので、向かった。
大平川神社の社頭に鳥居は存在しなかったが、石垣で囲われた土壇上に上がる石段は大平川神社脇を流れる用水路が乙川に合流している南々東を向いていた。
石段上左右に対になった幟立てが設置してあり、石段から正面奥に延びた表参道の突き当たりに石祠が祀られている。
石垣の土壇は洪水対策だと思われる。
社頭の石垣脇に愛車を駐めて、石段を上がり、石祠前に出た。
注連縄の張られた石祠は、よく見ると扉は存在せず、正面は枠取りしてあるのみで、石祠の形をした石造物と言ったほうが正確なもので、それが巨大な石の基壇上に設置されていた。
基壇の前には自然石の拝石が地面に埋められている。
拝石前で参拝したが、この大平川神社は掲示されている板書『大平川神社』には以下のようにあり、水神であることが判った。
「蛇篭」とは竹材や鉄線で編んだ長い籠に砕石を詰め込んだもので、古来から河川の護岸や斜面の補強などに使用されてきたもの。
大平川神社前に設けられた大平川堰堤はよくある、線状の堰堤ではなく、堰堤の下流側が幅20mあまりで5段の幅の広い階段状になった水遊び場に見えた。
5月の下旬ということで、水に入る人はいなかったが、週末ということで、多くの人が日光浴に訪れており、右岸側(上記写真手前)では複数の車が階段状の水際まで乗り入れられていた。
左岸では土手があって、車を川中まで乗り入れできないようだ。
それにしても真夏の子供達にとっては格好な水遊び場になりそうだ。
下記写真は堰堤と一番上の5段目だが、乙川の中央部では堰堤と5段目との落差は15cmほどしかない。
上流に見える青い主桁(しゅげた)の橋が大平橋だ。
下記写真は堰堤〜1段目まで。
5段目は水を被っているのに、水は5段目麓の溝で脇に流れ落ち、4段目には、ほとんど水が落ちていない。
下記写真は堰堤と、その左側に水がプール状に溜まっている部分だが、水深は20cmほどしかなく、安全にできているようだ。
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河川法や河川管理施設等構造令で定めるところでは「堰堤」とは英語の「Dam」のことだそうです。そうすると「堰(せき)」はダムではないことになります。「堰堤」、「ダム」と呼ぶには堤防の機能があることが条件になります。しかし、これは専門家の間での定義で、一般には「堰」も「ダム」と認識されているといいます。「堰堤」、「ダム」のほかに「砂防堰堤」、「治山ダム」、「鉱滓ダム」と呼ばれるものがあります。