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今朝平遺跡 縄文のビーナス 76:県下唯一の廣見神社
愛知県豊田市野口町の野神社(のじんじゃ)社頭から、飯田街道(国道153号線)を東の足助町に向かったのは、やはり2012年7月のことでした。1.5kmあまりで飯田街道沿いに銀色の幟柱の立った社頭に差し掛かりました。それは豊田市井ノ口町の廣見神社(ひろみじんじゃ)でした。
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下記写真は飯田街道と並行して、南側に東西に延びる農道から眺めた小山の中腹に向かって立ち上がっている石段の上に社殿の存在する廣見神社。
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この小山は北東1.4km以内に山頂の位置する黍生山(きびゅうさん)の麓に位置している。
「廣見」の「廣」には桓武平氏を示す「黄」が入っているが、「廣」は広い廊を示し、黍生山頂に設けられていた足助七城の一つとされている黍生城の城郭の見える場所だったのかもしれない。
そして、ここ井ノ口町にも井ノ口城跡があるというが、黍生城の出城だろうか。
黍生山は低山であることからなのか、近年まで「山」は付かずただ「黍生」と呼ばれていたようだ。
「黍生」は降雪の多い地域でも生い出る穀類の「黍(キビ)」を指すだけに、全国の里山に存在する地名だ。
飯田街道から見上げる廣見神社の石段は途中に踊り場があり、石段の上に見えるのは神門だろうか。
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石段の麓脇には「村社 廣見神社」と刻まれた社号標。
石段の向かって左脇には村落の中を通り抜ける舗装路が存在する。
その舗装路の脇に愛車を駐めて、廣見神社の石段を登った。
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踊り場下まで石段を登って上を見上げると、神門かと思えた社殿の両翼に塀は存在せず、拝殿であることが判った。
拝殿の向かって右半分は竹藪に覆われている。
さらに石段を登ると、拝殿は瓦葺切妻造平入の前面を格子戸と格子窓で覆い、木部を防腐剤で赤褐色に染めたシンプルで美しい建物であることが分かった。
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拝殿前に上がって参拝し、殿内を見ると奥の渡殿とは床が続いておらず、拝殿と渡殿の間には素木の格子戸が締め切られ、その格子戸前には燭台が設けられていた。
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渡殿には両側の窓から光が入っており、床には段が設けてあるように見え、渡殿と本殿の間にも格子戸が締め切られているようだ。
肝心の本殿に祀られている神に関する情報や由緒は失われている。
廣見神社に総本社とする神社は見当たらないので、同じ社名の神社から推測してみようと周辺の廣見神社を調べてみると、愛知県にはここ1社しか存在せず、隣接県にも1社づつ、以下の2社が存在していた。
岐阜県可児市 廣見神社 主祭神:雷神大神(イカヅチ)
三重県桑名市 廣見神社 祭神:天照皇大神・豊受大神・多度神
可児市 廣見神社の雷神大神は雨乞いの神として祀られたもので、桑名市 廣見神社の三神はいずれも伊勢神宮と関係のある神であり、両社とも農耕との関わりで祀られた神社である可能性がある。
井ノ口町 廣見神社の麓には朝日川が流れ、その両岸は農耕地になっている。
このことから、可児市 廣見神社、桑名市 廣見神社のどちらかの神と共通する神が祀られていた可能性もあり、あるいは農耕と関わりのある別の神が祀られていた可能性も考えられる。
井ノ口町 廣見神社の向かって右奥には2社の境内社が祀られていた。
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この2社の境内社には表札が付けられており、祭神が明らかになっていた。
廣見神社本殿側の銅板葺流造の社の切妻屋根の葺れた表札には「御鍬之神(おくわのかみ)」と墨書きされていた。
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社名は御鍬社であり、御鍬之神とは豊受大神のことだと思われる。
桑名市 廣見神社の祭神と共通する神だ。
もう1社の境内社はトタン張り切妻造棟入の社となっている。
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表札には「山之神 大山祇神」とある。
ここに最初に祀られた神である可能性がある。
この後はいよいよ足助町に到達することになる。
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飯田街道は街道として成立する前から武田軍などが軍事目的で使用した道のあった場所であり、それを迎え撃つための城が複数築城されています。そうした城があるとすれば、戦闘に巻き込まれた神社仏閣が焼き払われることもあったでしょう。こうしたことから由緒書や社宝が失われることもあったと思われます。