牛乗山第三紀末波蝕巨礫群 (中):草の生えない砂礫群
愛知県岡崎市の臨済宗妙心寺派寺院、一畑山薬師寺の敷地になっているらしい牛乗山(うしのりやま)の更地部分から牛乗山第三紀末波蝕巨礫群(うしのりやまだいさんきまつはしょくきょれきぐん/以下「牛乗山巨礫群」)のある森になっている部分に登って行きました。
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森の中の通路には地面では無く、下記写真①(上記地図内①)のように、まるごと堆積岩(礫や生物の遺骸などが堆積して固まった岩)になっている部分も存在していた。
牛乗山巨礫群の石は石英片岩及び雲母片岩からなっているということなので、堆積岩の中でも火山由来の砕屑岩(さいせつがん)だと思われるのだが、表面を見ただけではまったく解らない。
ただ、一方方向に縞模様になっていることから、堆積したものが凝固した巨礫であることが推測できるし、こうした巨礫は片理が発達していて、薄く剥がれやすい特徴がある。
雲母片岩であれば、石を割れば断面にキラキラ光る細かな黒雲母や白雲母が見られるはずだ。
森の中の通路を進んでいくと、下記写真②のように丸い巨礫が地面に埋まっている状況になっている場合もあるが、この巨礫の場合は縞模様は顕著ではないものの、①の岩と同じく岩の色が赤っぽく、赤鉄鉱を含む石英片岩である可能性がある。
南に向かう巨礫の露出した森の中の通路を20mあまり進むと、突然森が開けた。
ここまで森が濃かったのに、雑草がまったく生えていない不思議な場所に抜けたのだが、写真③の奥の地面は波打って盛り上がり、その頭頂の潅木で覆われた部分が標高170mほどの牛乗山の頂きらしく、ここが牛乗山第三紀末波蝕巨礫群のようだ。
Wikipediaによれば、「礫(れき)」とは「砂、ゴマ粒よりも大きく、握り拳大程度までの大きさの石」と定義しているが、この山頂部周辺では地表に巨礫と呼べるような巨石は1コも見えず、「砂礫」と呼べる明るいベージュ色の砂粒が、丘陵形になった地表全面を覆っていた。
山頂部や尾根が土ではなく、明るいベージュ色の砂礫で覆われて禿山になっている光景は、これまで遭遇した記憶が無い。
このことから、牛乗山が地殻変動で盛り上がって山になったのは海底だった時代にすでに砂礫が、かなり積もって以降のことだったのではないかと思われる。
牛乗山第三紀末波蝕巨礫群という名称から、ここにやって来るまでは山に巨礫がゴロゴロ転がっている様を想像していたのだが、名称に含まれる「巨礫」とは砂礫に覆われた地下に存在する波打った巨石を指しているようだ。
砂礫に覆われた部分に雑草がほとんど生えていないのは、その部分だけ水掃けが良く、乾燥しているからのようで、山頂手前の丘陵が盛り上がって波打っている部分では少し窪みがある部分に水分が保存されやすいようで、そこのみ草が生えている。
写真③全体を見ると、中央部の砂礫の多い部分には草が生えず、両端と山頂部分は焦げ茶色の土が多く、その部分に樹木が生えている。
写真③の奥まで進んで、丘の高い部分から左方向(東方向)を撮影したのが下記写真④だ。
やはり、明るいベージュ色の強い砂礫の広がっている部分は草が生えておらず、樹木の生えている部分は青っぽい砂が混じってグレーになっており、地表に巨礫は見られない。
写真④の奥に見える、もっとも高い場所に上がってみると、その先は南に向かって下りになっており、やはり明るいベージュ色の波打つ丘が下っていた。
上記写真⑤のあたりで、複数人の女性の声が耳に入って来た。
団体さんが牛乗山巨礫群の見学にやって来てるのだろうかと思った。
写真⑤から南に丘を下って行こうとしている途中で砂礫群の中にポツンと1コ、拳大の、しかも波に洗われて角の取れている石が半分礫粒に埋まっているのを見つけた。
「波蝕巨礫群」というくらいなので、こうした波で洗われた丸石がもっと存在していても不思議じゃないのだが、こうした拳大の丸石は砂礫で覆われた部分では、この丸石くらいしか見かけなかった。
写真⑥を観ると、砂礫は突き固められたようになっており、雨が降っても水はその地面に吸い込まれずに下方に流れていってしまっているのではないかと思われる。
そのせいで、丘は波打ち状になり、丘陵部分には水分が無いので草が生えず、水の溜まりやすい丘陵の麓部分に樹木が生えているのだろうと思われた。
写真⑤の場所から少し南に下ると、左手に巨礫が地表に露出しているのが目に入ったので、東に方向転換してそちらに向かった。
崖に沿った場所に縞模様になり、左半分くらいの片理が剥がれ落ちている長辺が3mくらいある巨礫があった。
表面は焦げ茶色に灼けている部分が多いが、中身は砂礫と同じベージュ色のようだ。
左半分の片理が欠け落ちて、その下周辺に大粒のベージュ色の礫となって散らばっているのが見て取れる。
その部分は草が生えてなく、片理が欠け落ちていない丸みのある部分の下には砂礫が少ないことから、草が生えているのが見て取れる。
地殻変動で盛り上がって山となった牛乗山にはもともと、こうした堆積岩となる地層があって、この巨礫は石化して堆積岩となった岩山から剥がれ落ちた巨礫が横倒しになっているものだと思われる。
写真⑦の石の上に乗ってみると、そこから崖の下に向かって複数の巨礫の狭間が川床のようになって下方に向かっているのが見て取れた。
この上方に湧き水があった訳ではなく、雨水の流れ落ちる方向に砂礫が流されて、川床跡のようになったのだと推測できる。
川床のような砂礫の下方の両側にも写真⑦の石と同質の巨礫が露出している。
写真⑦の石の崖側に降りて、巨礫群と南の山並を撮影したのが下記写真⑨だ。
写真⑨の川床跡のようになった部分には拳大から直径30cmくらいの複数の玉石が巨礫に沿って転がっていた。
写真⑦の巨礫の北側には写真⑦の石のように表面の片理の線が太く濃くなる前の巨礫が地面に埋まっていた(写真⑩)。
この巨礫は地面から出ていた部分が剥ぎ取られて、中身が露出している状況だと思われる。
写真⑩の巨礫の周辺は赤鉄鉱を含む石英片岩が多いのか、赤く染まっている。
礫群がベージュ色なのは赤鉄鉱を含む石英片岩を含むからではないだろうか。
赤鉄鉱が草の生えない主原因になっているようだ。
だから、この部分は水が溜まりやすい場所なのにまったく草が生えていない。
写真⑩の左上には直径50cmくらいの片理の線の全く入っていない玉石も地面に埋まっている。
(この項続く)
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巨石をチェックしている間も、高齢女性の雑談らしき声が耳に入って来ていた。牛乗山はハイキングコースにでもなっているのだろうか。