本刈谷貝塚 土偶 10:市杵島神社1
このページでは市杵島神社(いちきしまじんじゃ)の祀られた高津波町(愛知県刈谷市)の町名の謎について紹介します。
境内末社として市杵島社の存在する市原稲荷神社から北北東に位置する高津波町 市杵島神社に向かった。
高津波町 市杵島神社は本刈谷貝塚(もとかりやかいづか)のほぼ真北2.6km以内に位置している。
マスコミが大本営発表の南海トラフ地震にともなう太平洋沿岸地域の大津波リスクの存在を流布する中、「高津波町」とは、なかなか怖い町名が採用されたものだ。
下記MAP右は『刈谷町誌』(刈谷町誌編纂会 編/昭和7年出版)に掲載されていた刈谷市の新旧の汀線(ていせん=水際)を示した地図に手を加えたものだが、
その旧汀線は上記MAP左の縄文海進4mの時代の汀線と、ほぼ一致している。ただし、新汀線は現在の汀線と一致しているものの、旧汀線がいつの時代のものかという情報は無かった。
『刈谷町誌』のP25には刈谷町の字(あざ)「高津波」の項目があって、以下の記述があった。
高津波=肇創の時は詳でないが村説には、古へ高津潟と称せしを、後世高津波と称するに至った。
「高津潟」に関して、台地の浸食谷で潟をなしていたので高津潟と称したとする説があり、『刈谷市』公式ウェブサイトの「高津波地区」の項には以下のようにもある。
「古くは衣ケ浦の波が打ち寄せていた所からここを高津波潟と呼ぶようになり」
(https://www.city.kariya.lg.jp/kurashi/shiminkyodo/tiikishien/jichikaitanho/takatsunami.html)
波が打ち寄せていた高津波町の西端が汀線だったわけだが、現在その汀線に当たる場所には家下川(ヘッダー写真)が流れ、衣ヶ浦(ころもがうら=現衣浦湾)に当たる場所は三田町などの田畑地・逢妻川(あいづまがわ)・境川(さかいがわ)・境川西岸となっている。
市杵島神社の現在の社頭は社地の東側にあって、一般道から石鳥居までアスファルト舗装され、表参道となっている。表参道は北側が桜並木、鳥居前の左右に4対の常夜灯が並んでいるが、舗装面はかなり風化している。
表参道入口脇には「市杵島神社」と刻まれた板碑の社号標。その前には刈谷市の『歴史の小径』を案内するタイルをはめた石碑が設置されている。
その『歴史の小径』のタイル「市杵島神社」には、こう書かれている。
市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)と金刀比羅神(ことひらのかみ)が祀られている。仁孝天皇の御代(1717〜1846)に改めて氏神として祀られ、明治五年に村社に指定、東海道線開設により同24年現地に移転した。また、金刀比羅社、弁天神社が合祀されている。
平成13年3月 刈谷市教育委員会
ここでも、市杵島神社の前身は弁天神社だったことが解る。
金刀比羅神の前身も金毘羅権現だったろうが、現在は廃仏毀釈で主祭神には大物主命が当てられている。
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デジタル化された『刈谷町誌』で「高津波」の情報を探したのだが、画像情報であり、文字検索機能が無かったので、時間を要した割には、文字情報に関しては、このページの1行に満たない情報しか見当たらなかった。しかし、「刈谷市 新旧汀線」地図という、素晴らしい地図が見つかった。