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麻生田町大橋遺跡 土偶A 110:竜神と竜王の場

豊橋市の石巻山頂上で奥の院の在処は登山道から分岐した通路にあることが判明したので、そこにある奥の院に向かうことにしました。

石巻山の山頂から2ヶ所あると聞いた分岐点を探しながら下山したところ、山頂側にあるはずの分岐点はどうやら、見過ごしてしまったようで、そう思いながら、登山道登り口側にあるという分岐点を目指して下山していると、左に向かって分岐して下っていく、段鼻に比較的新しい丸太を組んだ階段があったので、降りていってみることにした。
ただし、分岐点には何の案内表示も無かった。
階段が終わり、枯葉の重なった山道を下っていくと、トタン板を3色にペイントした小屋と、その手前の路肩に石柱の建てられている場所に出た。

石柱には文字が書かれているのだが、磨耗して可読性は無くなっている。
3色の小屋の屋根には雑草が繁殖していた。
山道の先の方を見ると、そこにも小屋が見えている。

3色の小屋はかなり荒れ果てているが、前面には大きな賽銭箱のようなものが置かれていた。

背後には背の高い石灰岩の崖が切り立っている。

小屋の正面に回ると、小屋の右側の柱は破損して倒れかかっており、板壁とトタン屋根もすでに損壊していた。

こうなるのは台風くらいしか原因を思いつかない。
小屋の奥、正面中央には湊鼠色(みなとねずみいろ)の神前幕が張られ、神棚の前の机には水玉などの神器が並べられている。
中央手前にある箱は、やはり賽銭箱で、その右側には岡崎御影石(みかげいし)の石柱が置かれていた。
この小屋は奥の院の一部のようだ。

奥の素木の神棚の中には代赭色に焼かれた土製品の竜神が納められている。

つまり、この建物はネットに情報があるように、竜神社ということになる。
神棚は明らかに土製品の竜神像に合わせて制作されたものだ。

賽銭箱の左右には対になった石柱にそれぞれ「少天狗」、「大天狗」と白くぺイントされている。

石巻山の尾根に祀られた板碑と対応したものだ。

両方の石柱共に傾斜した上部に円状の白い痕跡が残っている。
おそらく、「少天狗」・「大天狗」を表す何かが接着されていた痕跡だと思われる。
ところで、「天狗社」として独立した社殿に置かれているはずのものが、なぜ、崩壊寸前の竜神社の賽銭箱脇に置かれているのか。
ネットには写真もアップされている奥の院の立派な天狗社は、現在の奥の院では見つけることができなかった。
台風で全壊したのだろうか。

竜神と天狗の合祀された覆屋前の参道を、もう一つの小屋に向かって進んだ。

覆い被さるような岩壁の麓には銅板葺切妻造棟入の素木の建物が見えている。

残る、不動尊ということになるので、社殿風だが不動堂ということになる。
不動堂の左手には美しい文字碑が建てられていたが、歌碑のようだ。
不動堂の中をのぞいてみると、堂内は素木で統一されており、不動尊像は見えないようになっており、やはり、水玉などの神器のセットを乗せた三方(さんぽう)と花瓶に挟まれた「不動明王」と墨書きされた表札が置かれていた。

不動堂の背後の岩壁の途中には不動尊の持ち物である銅の利剣(りけん)が祀られ、賽銭箱が置かれていたが、そこまで登っていくのが難しい状況だ。

この利剣は剣の刃の根元に絡みついているはずの黒龍が破損しているようだが、不動尊の化身とされる倶利伽羅竜王(くりからりゅうおう)を表したものだ。

倶利伽羅竜王(倶利伽羅不動尊)は滝の麓に祀られることの多いものだが、ここでは湧き水があり、崖の麓に流れ出た水で「このしろ池」と呼ばれる池ができていた。

水は完全に透明で水底には苔が繁殖しているが、生物の姿は見えず、清浄な池だ。

池の上流側には水路を水溜りに利用した飲料水を汲める場所が設置されていた。

水を飲んでみたが、非常に柔らかい水で、豊川市の山岳部で汲める名水よりずっと美味しい水だった。

竜神、天狗、不動尊、倶利伽羅竜王、いずれも密教と関係のある要素だ。

(この項続く)

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奥の院からは降りてきた階段は戻らず、石巻神社上社の登山道入口に向かうと思われる別のルートに進みました。やがて、「奥の院をへて山頂に至る」という標識の前に出ました。奥の院への参道は登山道と3ヶ所でつながっているようです。


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