今朝平遺跡 縄文のビーナス 86:帝の登山口
2012年10月 愛知県豊田市猿投神社(さなげじんじゃ)の社頭脇に愛車を駐めたまま、猿投神社の社地の東側に沿って北に延びる一般道(東海自然歩道)を辿ると、猿投神社の社地に駐車場。猿投神社の北190mあまりの場所には猿投山登山者用駐車場もありました。愛車を取りに戻るのも面倒なので、そのまま猿投山山頂を目指すことにしました。
登山者用駐車場から80mあまりで西側を並行して流れていた籠川(かごがわ)を西側に渡った。
籠川から舗装された緩やかな登り道をさらに進むと、430m以内の右手に石祠が祀られていた。
石祠には何も刻まれていないが、左脇に「水神」と刻まれた板碑が立てられている。
不明の石祠と水神碑が祀られているのか、あるいは水神社石祠とその社号標なのか不明だが、榊はそれぞれに1対づつ生けられていた。
石祠から道を挟んだ向かい側も森になっているが、水路があった。
ただ、水は干上がっている。
地図に表記の無い水路だが、籠川だと思われる。
道側には潅木に混じって竹が見られる。
これらはGoogleMapなどに表記の無い要素なので、上記地図内の表記ポイントは正確ではない(他のポイントはGoogleMapに表記のあるポイントなので正確)。
さらに70m近く進むと、水路に橋が掛かっていたので、下流側を撮影した。
やはり、水は干上がっているが、水路は広がり、深くなっていた。
両側の森は痩せていた下方部分と違って豊かになっている。
そこから90m以内で水路が集合している場所があって、トロミル水車の施設があった。
地図に「トロミル水車」の表記があったので、何だろうと思っていた。
赤くペイントされた鉄製の水車と攪拌器らしき装置が連動しているようで、攪拌器らしき装置はコンクリート製の切妻屋根が葺かれた吹きっ放しの建物に収まっていた。
傍に掲示された案内板『トロミル水車(復元)』には以下のようにあった。
「サバ土」に関してはネットに以下の説明があった。
「サバサバした性格」はサバ土からきているようだ。
「トロミル」に関してはネトに以下の説明があった。
観て予想した攪拌器ではなく、もっと激しい粉砕機だった。
当初はサバ土を水で流し込んでいるのかと思ったのだが、水車の下は水路なので、真横から水車を見ると右手(山頂側)の石垣の上から水を落として水車を回しているだけのようで、サバ土をどうやってふるいにかけているのかは想像がつかなかった。
手作業なのか機械化されているのか。
トロミル水車前から530mあまり、緩やかな坂道を進んでいくと、左手の土手に埋まる形で屋根型の巨岩があった。
傍の立て札には「愛知県高原国定公園 お倉岩」とあり、立て札の太い杭には「東海自然歩道 環境庁 愛知県」とある。
歩いてきた道は「東海自然歩道」であり、「愛知県高原国定公園」の範囲を調べてみると、 Wikipediaには「飛騨木曽川国定公園と天竜奥三河国定公園に挟まる森林、渓谷、河川地帯を補完している」とあった。
愛知県より広い範囲だと言える。
国立公園が環境大臣の提案によって審議され、決定されるのに対して、 国定公園は関係都道府県から環境大臣への申出によって審議され、決定される違いがあるという。
お倉岩を土手の上側から見下ろしたのが以下の写真。
花崗岩のようだが、形が好いので目に付きやすい巨岩だが、いつの時代にか地下から湧き上がってきたものだろうか。
上記写真を見ると、舗装された東海自然歩道の向こう側は谷になっているものの、水路は見えない。
お倉岩から90mあまりで、東海自然歩道から分岐した猿投山中腹に向かう階段があり、その分岐点に「御門杉(みかどすぎ)」と呼ばれる杉が幹を伸ばしていた。
「みかど(御門)」という読みはこの記事を書くために調べて判ったものだが、「帝(みかど:天皇)」のことであり、猿投神社に祀られている二人の天皇、景行天皇と垂仁天皇(すいにんてんのう)に由来する命名なのだろう。そう思って見ると、同じくらいの杉が2本並んでいるように見えるが、撮影した時には登り口の門の役割をする「ごもんすぎ(御門杉)」かと思っていたので、2本並んでいることを意識して撮影してなく、根元が一つなのか2本別の杉なのか確認できない。
ネット上の写真を探して確認しようとしたのだが、みなさん、ここを紹介していても、杉の写真は撮影していないのか、ほとんど紹介されておらず、たった1カット、私と同じ角度で撮影した写真があるのみだった。
やむなく、自分の撮影した写真をルーペで拡大して見ると根元は一つになっているように見える。
ここは「猿投山登山口」とも呼ばれているようだ。
いずれにしても東海自然歩道は退屈なので、いよいよ階段を登って登山することにした。
ただ、登山道に入っても階段が多く、撮影したいものに遭遇することは特に無く、1kmあまり登ると、別の登山道にぶつかり、登ってきた登山道はその登山道に吸収される形になっていた。
登ってきた道は階段が多くてハードだった記憶があるが、脚が鈍ることはなく、この登山道に出るための通路だったという感じだ。
新たな登山道を進むと、20mも進まないうちに通路の路面が石っぽくなり、その通路の右手にお倉岩に匹敵する巨岩が現れた。
ただ、お倉岩ほど形に特徴が無いのと、この直後から奇岩、巨石がゴロゴロしている場所に出るので、この岩レベルでは名称など与えられない感じだ。
周囲の樹木はよく育ったアベマキも見えるが、ほとんどは痩せてヒョロヒョロした樹木だ。
花崗岩は養分をほとんど含まないので、植物にとっては良くない環境だ。
さらに先に進むと、長年にわたる落葉が重なってパウダー化したような地面に埋まった巨石が増え出した。
周囲の樹木は密度が高まり、その分、森は暗くなり、太くはないがしっかりした幹の樹木と本当に痩せてツルに近い形状の潅木が増えた。
上記地図に表記した「大岩展望台」まで5分くらいの場所であることが後で解った。
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ネットで猿投山の樹木を調べてみると、「スギ、ツガ、ケヤキ、エノキなどの巨木がたくさんある」と書かれている説明があった。また「頂上付近に猿投山の南斜面中腹を一周する全長約3kmの自然観察路があり、ヤマアジサイ、ミズヒキ、ヤマジノホトトギス、アキチョウジなど種々の植物が観察できる」とありました。
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