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麻生田町大橋遺跡 土偶A 54:アマテラスとサルタヒコの関係

岡崎市の岡町 神明宮境内に存在する神明宮1号古墳から神明宮の表参道を西北西に向かうと、140m以内で県道35号線に出ました。そこが神明宮の社頭でした。

愛知県内レイラインAG (岡町 神明宮)
愛知県内レイラインAG (岡町 神明宮/神明宮2号古墳)

県道35号線からコンクリートでたたかれた表参道が始まっている岡町 神明宮の社頭には
「村社 神明社」と刻まれた頭頂が頭巾型の社号標が建てられ、表参道の左右に森の始まる35号線から30m以上引っ込んだ場所に、対になった高さ4mはありそうな常夜灯が設けられている。

岡町 神明宮社頭

その常夜灯から石造の大鳥居(一ノ鳥居)までは10m以内だが、地図で見ると、大鳥居の左手が神明宮の社叢、右手は臨済宗妙心寺派の寺院宗徳寺の境内の森になっていて、社殿も寺院建築も見えない。

石造の大鳥居は伊勢鳥居だが、注連縄は更新されているものの、ひどく汚れている。

岡町 神明宮 一ノ鳥居

ここまで汚れている鳥居も珍しい。
石造の社頭額には「神明宮」と浮き彫りされているが、額の頭頂部は欠けている。

大鳥居をくぐると、表参道の左手の社叢だけが青竹色の金網塀で囲われている。
金網塀に沿って表参道を進むとすぐ、金網塀の内側に巨石が散らばっている場所に差しかかる。

神明宮2号墳 石室開口部?

よく見ると、横穴式石室の開口部らしきものが露出しているように見える。

この巨石が散らばっている場所の参道の奥側は円墳状の丘になっており、それが表参道を通すために削られているようだ。

神明宮2号墳南側

神明宮境内に神明宮2号墳があることは、神明宮1号墳のことを調べている時に知った。
金網塀はこの2号墳保護のために張られたもののようだ。
なので、2号墳脇を通り過ぎてしばらくすると、金網塀は絶えていた。

そこで、金網塀の切れた場所から社叢の中に入り、この2号墳の周囲を回ってみたが、日当たりの悪い1号墳と違って、2号墳の墳上には太く育った樹木が伸びていたが、自然に朽ちて倒れているものもある。

神明宮2号墳北側

神明宮2号墳に関する情報は『大和國古墳墓取調室』という、ウェブサイトにある
http://obito1.web.fc2.com/index.html

以下の情報しか見当たらなかった。

神明宮入り口の鳥居横にあります。径20mの円墳で竪穴系横口式石室が露出しています。

 『大和國古墳墓取調室』神明宮2号墳

森の中から表参道に出て、再び表参道が折れるニノ鳥居前まで戻ったが、ここまでの表参道はレイラインAGと角度が一致している。

岡町 神明宮 二ノ鳥居

二ノ鳥居はかなり旧いもので、鳥居上部の笠木と島木は1本石ではなく、2本の石を継いだもので、今ではほとんど見ることの無くなったものだ。
この石造明神鳥居から40m近い表参道が真っ直ぐ拝殿に向かっている。

拝殿前には、いずれも対になった旧い常夜灯、新しい常夜灯、狛犬が並び、旧い常夜灯の間からはコンクリート舗装に代わって砂利が敷きつめられている。

岡町 神明宮 拝殿

拝殿は比較的新しい瓦葺入母屋造の屋根を持つ建物で前面は全面が舞良子(まいらこ)を貼った板壁に舞良戸が閉め立てられている。
拝殿前の階段下で参拝したが、社前に掲示された旧い板書には以下のようにあった。

              《社記》
岡崎市丸山町字宮山一番地〓
   旧村社 神明社
祭神
天照大神 猿田彦命
由緒
此の地は古墳聚落をなし丸山の名はこれに因ると傳ふ
男川沿岸は古より伊勢と縁故深く特に當神社は伊勢神宮駐輩ありしと傳へ對岸〓斎宮行在地と傳る野々宮あり
松平氏(後の徳川氏)勃興するや家臣成瀬伊賀守國次丸山に居を構る
天正二年(※1574年:安土桃山時代)神領を寄進
〜以下可読性が無いので略〜    (〓=可読性のない文字)(※=山乃辺 注)

社前板書

天照大神と猿田彦命の関係は天津神と国津神の関係であり、日本神話では天照大神の命を受けて邇邇芸命(ニニギ)が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた。道がいくつもに分かれている所)に立って高天原から葦原中国までを照らしていたのが猿田彦命だった。
『日本書紀』では、猿田彦命の目が八咫鏡(やたのかがみ)のように、また赤酸醤(あかかがち)のように照り輝いているという姿であった。
「八衢に立ち」、「目が八咫鏡のように、また赤酸醤のように照り輝いているという姿」という描写は猿田彦命の正体がヤマタノオロチであることを暗示している。
また、天照大神は天宇受売命(アメノウズメ)に猿田彦命の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じている。
一方、『ホツマツタヱ』では猿田彦命はニニキネ(ニニギ)の八州巡りに合流している。
猿田彦命が八州の国津神であることも、ヤマタノオロチであることを暗示している。
サルタヒコはニニキネと合流した時、ニニキネは筑紫の高千穂に行き、自分は伊勢の南のナカタガワへ行くことを予言している。
また、8万年の間、アマテル(アマテラス?)の三種の神宝(サカホコキ・美しき鈴・地生太刀)をサコクシロ(高天)内宮で守り、ヤマト姫に与えている。

ところで、拝殿の東側には回り込むことができるようになっていたので、本殿を見に行ったのだが、神明宮としては当然だが銅版葺神明造の本殿で、鰹木も六本の陰数で千木は平削ぎ、天照大神を示していた。

岡町 神明宮 渡殿/本殿

本殿を囲っている瓦葺の築地塀と寺院から流用したものと思われる石造の欄干は神仏習合の可能性を示すものであり、岡町 神明宮の南に面した宗徳寺の前身の寺院の素性を暗示していた。

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岡町 神明宮は斎宮行在地の野々宮のあった地にしては宗徳寺とともに情報の少ない神社でした。

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