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麻生田町大橋遺跡 土偶A 71:イザナミとホムスビ

愛知県内の2ヶ所の土偶出土遺跡、豊川市の麻生田大橋遺跡と刈谷市の中条遺跡を結ぶレイライン(仮に頭文字を取って「レイラインAN」と呼ぶ)上に並ぶ神社、神社関連の山と遺物、宿場、寺院を南東から北西に向かって辿りましたが、その多くが岡崎市に集中していました。
麻生田大橋遺跡を除くと、もっとも南東側に位置するのが岡崎市舞木町 愛宕社の奥宮で、まずはそこに向かいました。

●麻生田大橋遺跡土偶A

1MAP舞木町 愛宕社

2MAP舞木町 愛宕社

名古屋市内から国道1号線を東に向かい、舞木町で1号線から北東に向かって、畑の間を森に登っていく細い路地に入った。
30mあまり畑の間を抜けると、左右は住宅になり、さらに40mあまり住宅地を抜けると20mあまりある鉄橋が架かっており、鉄橋の下を名鉄名古屋本線が敷線されていた。
鉄橋を渡ると路地は急峻なアスファルト舗装道になり、その急坂を愛車に勢いをつけて登っていくと、10mあまりで「愛宕社」と刻まれた社号標の前に到達した。

1舞木町 愛宕神社社頭

この道は急すぎて、サイドスタンドしか持たない愛車を止めることができず、社号標前から左にカーブしている一般道に左折した少し先の山道脇に愛車を駐めた。
社号標の先から始まっている無舗装の表参道脇には小型トラックが止まっていて、神社のメンテナンスをしていた男性(後で氏子代表であることが判った)がいたが、こんな山の中の小社にモーターサイクルが入って来たのに少し驚いているようだった。
挨拶をして、山の上にある「奥宮秋葉社」まで、何分くらい掛かるのか聞いたところ、「奥社まで、そんなに遠くはないが、かなり急ですよ。」とのことだった。
小生はネット情報で山の上には「奥宮秋葉社」があるのだと思っていたので、ほかに「奥社」があるということに半分驚いた。
半分驚いたのは祀られている神が同じにしても、愛宕社の奥宮がなぜ秋葉社なのか疑問に思っていたからだ。
この疑問は山に登ったことで明らかになった。
ネット上に「奥宮秋葉社」と紹介されていたのは、この神社の境内に以下のような道標があったからのようだ。

↑奥宮
秋葉社

しかし、これは「↑奥宮秋葉社」という意味ではなく「↑奥宮と秋葉社」という意味だったのだ。
社号標の先の表参道は赤土の砂利道になっており、10mほど奥に石鳥居、鳥居の先は少し左にカーブしており、社殿の屋根が見えている。

緩やかな坂道を石造の明神鳥居まで登って行くと、鳥居の先は参道がコンクリートでたたかれていた。

2舞木町 愛宕社鳥居

表参道の左手は草に覆われた山の土手で、右手は谷になっている。

鳥居をくぐって80mほど登って行くと、2mほどの高さに石垣が組まれ、玉垣が巡らされた土壇上に瓦葺入母屋造平入の拝殿が設置されていた。

3舞木町 愛宕社拝殿

予想していたより立派な拝殿だ。

正面の石段を上がると、拝殿は軒下の浮き彫り装飾に手をかけたもので、注連縄も大きく、向拝の柱は裾を丸く細めた粽(ちまき)が石造の基盤に乗っており、禅宗寺院の特徴を持ったものだった。

4舞木町 愛宕社拝殿

拝殿の西50m以内には興円寺という宗派を名乗っていない寺院があり、かつて、愛宕社は興円寺の前身の寺院の鎮守社だった可能性がある。
拝殿前で参拝したが賽銭箱が用意されていなかった。
祭神は神社名鑑によれば以下だという。

伊弉冉命(イザナミ)
火産霊命(ホムスビ)

拝殿の軒下を見上げるとヘッダー写真の、見事な向拝拝み飾が装飾され、向拝の柱には初めて見る手挟(たばさみ)と呼ばれる装飾版(下記写真、細かい多くの渦巻きが浮き彫りされた長三角形の板)が斗栱(ときょう:軒を支える横棒)と屋根下の隙間に取り付けられていた。

5舞木町 愛宕社拝殿手挟

手挟は神社建築では、まず見ないものだ。

拝殿の左手には銅版葺流造の大きな境内社が祀られているが、この境内社に関する情報は境内にもネット上にも見当たらず、社名も祭神も不明。

6舞木町 愛宕社境内社

拝殿前の石段を降りて、拝殿の右側に回ると、先に紹介した「↑奥宮/秋葉社」の道標が出ており、拝殿脇から奥宮に上がって行く、以下のような参道が山の頂上に向かっていた。

7舞木町 愛宕社奥宮表参道登り

奥宮への参道は氏子代表に聞いていたほど急ではなかった。

山道を100mあまり登って行くと、巨大な貯水タンクの右脇を通り抜けた。
そこからさらに40mほどで、参道左手に石垣が組まれており、銅版葺流造の秋葉社が祀られていた。

8舞木町 愛宕社境内社秋葉社

秋葉社の祭神は愛宕社の祭神火産霊命の別名火之迦具土神(ヒノカグツチ)であり、ここに祀られているのはそれが原因だろう。

秋葉社からさらに30mほど参道を辿ると、奥宮の前に出た。

9舞木町 愛宕社奥宮

拝殿脇からここまで20分以内だった。
1対の石灯籠の奥に1.2mほどの高さに寺勾配を持つ石垣の基壇が組まれ、瓦葺切妻造平入で、前面全面が観音開きの板戸が閉じられ、閂(かんぬき)が掛けられている。
奥宮の右脇には円墳のような山頂が立ち上がっていた。
脇の山頂にも上がったのだが、森に囲まれているので、眺望は開けてなく、森が見えるのみだった。
奥宮で参拝して参道を下った。
下記写真は愛宕社本殿屋根が右手の樹木の隙間を通して見える場所まで下ってきた所だ。

10舞木町 愛宕社奥宮表参道下り

愛宕社拝殿前まで下り、社頭まで戻って来たが、社頭の東側は表参道沿いの谷を流れていた川を塞き止める堤防になっており、その堤防上から撮影したのが以下の写真だ。

11舞木町 愛宕社脇河床跡

現在は完全に空堀になっており、左奥に見える石鳥居が愛宕社の鳥居だ。
地図には水のある池が表示されているが、雨が降れば、池になることもあるのだろうか。
愛宕社の二柱の祭神のうち、火産霊命は密教寺院の鎮守として祀られたもので、その母親である伊弉冉命はこの池の前身である水路が存在したことで祀られたのかもしれないと、推測した。

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愛宕神社奥宮の祀られた山は地図には山名の表記のない低山で、国道1号線から奥宮脇の山頂まで、標高差は100mも無い山でした。しかし、この日はこの山も含めて3つの山を登ることになったのです。

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