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麻生田町大橋遺跡 土偶A 149:プレーンな朱社
豊橋市牟呂大西町の牟呂用水に架かった無名の橋から、南東90mあまりの同じ牟呂大西町の住宅街に位置する素盞男神社に向かいました。
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陽はかなり傾き、素盞男神社の社頭は南側にあり、一般道に面した石造の明神鳥居は南々東を向いていた。
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社頭に社号標は無く、鳥居に掛けられた銅の社頭額には「素盞男社」と文字が浮き彫りされている。
鳥居の奥は広がっており、社叢は深くない。
正面奥に見えるのが拝殿のようだ。
社頭脇に愛車を駐め、縁石内に細かな砂利を敷き詰めた表参道に上がり、鳥居をくぐると、20m以内に瓦葺入母屋造平入で向拝屋根を持つ拝殿が50cmほどの高さの石垣上に設置されていた。
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垂木や濡れ縁、賽銭箱の木口まで白色が入れられ、アクセントになっている。
向拝屋根の下に上がって参拝したが、祭神は社名になっている素盞嗚命(スサノオ)一柱のみで、創建は大宝元年(701年)という古社だった。
拝殿前を降り、西脇に回ると、拝殿の側面は正面と同じく舞良戸で閉め立てられていた。
木口の白色は拝殿の階段にも入れられていることが判った。
拝殿裏面の幣殿も瓦葺で裏面の本殿とつながっている。
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拝殿と本殿の鬼瓦には丸に五つ瓜唐花紋が入っていた。
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丸内に入っている「五つ瓜唐花紋」は素盞男神社の総本社である津島神社の神紋と同じものだ。
拝殿の東側にも迂回してみたのだが、玉垣で囲われた瓦葺流造の本殿を見上げると、4ヶ所に懸魚(げぎょ:妻飾り)を装飾した特徴のある本殿だった。
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境内社は本殿の東側に並べて祀られていた。
拝殿にもっとも近い場所には瓦葺切妻造平入で吹きっぱなしの覆屋があり、屋内には不明の2社の境内社が祀られていた(下記写真右端の建物)。
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上記写真中央の社が若宮神社で、素盞嗚命の御子神が祀られている訳だが、素盞嗚命は多くの御子神を持つ神なのだが、情報が見当たらないので、祭神は不明だ。
若宮神社の左隣には朱塗りの鳥居と覆屋を持つ境内社が祀られていた。
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その覆屋はまだ新しく、瓦葺切妻棟入で扉には縦格子窓の付いたモダンな建物だった。
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躯体部には突起が無いよう、プレーンに仕上げられている。
軒下には素木に「三ノ木稲荷大神」と墨書きされた表札が掛かっていた。
縦格子窓から屋内を見ると、奥の白壁の前に設けられた朱塗りの棚には抱き稲紋を白抜きした神前幕が掛かっており、棚には社や陶製の使いの狐像、神具が並べられていた。
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三ノ木稲荷大神の左隣には、これも瓦葺切妻造平入の新しい屋根を持つ、吹きっぱなしの覆屋が設置されていた。
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屋内に祀られた銅板葺屋根を持つ境内社には表札があり、向かって右が秋葉社、左が津島社だった。
両社の設置されたコンクリートでたたかれた棚の木口が緑色に染まっているが、改築される前の旧い社の屋根の銅板から落ちた緑青ではないかと思われた。
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この素盞嗚神社の境内には三河海苔養殖の祖である芳賀保治翁の壽蔵像銅像があるらしいのですが、その存在に気づきませんでした。芳賀保治は安政4年(1857)にここ牟呂村(現・牟呂大西町)の庄屋の家に生誕した人物で、村政や産業ほか、多方面で地元に貢献した人物ですが、特に海苔の養殖による貢献で知られた人物とのことです。