中条遺跡 土偶B 2:盗人木のミケツ
ここからは、土偶B(仮称)の出土した愛知県刈谷市内にある重原本町の中条遺跡(なかじょういせき)と高津波町の市杵島神社を結ぶレイライン上に存在しているものを紹介していきます。
土偶の出土した中条遺跡周辺の興味惹かれる場所は土偶Aの項で廻りつくしましたので、土偶Bの項ではレイラインを設定して、基本的に愛知県内で関連施設を訪問することにしました。
中条遺跡と龍神市寸島比売命を祀った市杵島神社を結んだライン上を調べたのですが、東西にそれぞれ1ヶ所づつの関連地を見つけました。
その東側に存在する竊樹神社(ひそこじんじゃ)は岡崎市矢作町(やはぎちょう)に位置する御気津神(みけつかみ)を主祭神とする神社です。
これまで、土偶を龍蛇神とばかり関連づけてきたのですが、バラバラになった屍の各所から穀物などが生まれたとするハイヌウェレ型神話のことを考えると、土偶をバラバラに粉砕して地面に散布する行為は、まさに種蒔きの御神事に当たるものなのです。
「御気津神」とは穀物などが生まれた神話から食物をつかさどる神に転じた神のことであり、その名称は「御食津神(みけつかみ)」の字意を昇華した漢字にアレンジしたものとみられます。
そして、ハイヌウェレ型神話の存在するオオゲツヒメ(大気都比売神) 、ウケモチ(保食神)、ワクムスビ(稚産霊)の総称といっていい神でもあります。
さらに、ワカウカノメ(若宇迦乃売神)、ウカノミタマ(宇迦御魂)、トヨウケ(豊受大神)も御気津神を発展させた名称と言えるものなのです。
ウカノミタマを伏見稲荷大社から勧請した神社は最も数の多い神社で、コンビニより社数は多いと思われますが、ウカノミタマの名で祀られる場合は、ミケツカミの本来持つ、神の食物をつかさどる役割から、商売繁昌・家内安全などの庶民の待望する役割にシフトしている側面が強くなっています。
理屈はともかく、神に提供する穀物を栽培している人たちの祀った竊樹神社に向かいました。
その神社は、このあたりでは国道1号線と並行して走る名鉄電車の矢作橋駅南口の碁盤の目状に区画整理された住宅街の一角にありました。
玉垣の巡らされた竊樹神社の社頭にたどり着くと、石造の靖国鳥居と「竊樹神社」と刻まれた社号標は見事に真西を向いていました。
初めて遭遇した漢字「竊(ヒソ)」を『ウィクショナリー』で調べてみると、簡体字「窃(セツ)」の源字のようで、訓読みの「ひそ(かに)」が当てられたものでした。
密かな樹(竊樹=ひそこ)とはどんな意味なのだろう。
「竊(ヒソ)」には別に「ぬす(む)」といった訓読みも存在する。
おそらく、この「ぬす(む)」という人聞きの悪い読みを忌避して「ひそ(かに)」という読みの方に変更したものと思われます。
ネット上に紹介されている社歴によれば、1954年に碧海郡矢作町大字矢作四区字祇園に鎮座していた竊樹社(御気津神)を、現在地の大字矢作五区字盗人木十一組に神社の社壇、祠及び社務所の新築を開始し、分祀して勧請したものだという。
下記はその時代の盗人木竊樹社の写真らしい。
おそらく、当時の人聞きの悪い住所「盗人木」の当て字を「竊樹」と当て字変更した上で読みも体裁の良い訓読みの方を選択したものだろう。
竊樹社名からわざわざ盗人木という字名を採用するはずがないからだ。
字名が盗人木ではない分祀元の大字矢作四区字祇園の社名が竊樹社のはずはないから、竊樹社の元社名は「祇園社」だったのではないだろうか。
それにしても「盗人木」とは、結婚相手の親がこの住所に訪ねることになったりした際には驚くことだろう😄
ところで、三河では西でも鬼門でも全く気にしないで神社は祀られ、祭神の掲示も無いのがデファクトスタンダードとなっています。
もし、ネット情報が無ければ、余所者が参拝にやって来ても、楽しめる要素は人為的に建造されたものと社叢くらいしか存在しないでしょう。
おそらく地元の人たちも、その多くは何が祀られているかよく知らないでお祭りを行なっていると思われます。
まあ、それでも構わないのが神道の利点というものですが。
鳥居の奥には中心軸を少し右にズラして、社殿が存在しています。
境内は真っ平らで、境内の左手側の一部は公園になっています。
社頭前の路地は狭く、玉垣沿いに愛車を駐めて鳥居をくぐりました。
まっすぐ社殿に向かうと、拝殿の銅板葺屋根には外削の千木と5本の鰹木が乗っている。
両方とも男神を示すもので、祀られている女神御食津神と一致していない。
ここに分祀される前の祇園社(スサノオ)の社殿をそのまま踏襲したのだろうか。
本殿の屋根を航空写真でチェックすると、千木の形式と鰹木の本数は拝殿と同じだ。
拝殿の木部は土器色に染められ、中央には黒つるばみ色のアルミサッシのガラス格子戸が閉まっている。
拝殿前左右に、まんじゅう形に剪定された樹木が対になっているのだが、向かって右のまんじゅうは幹の上に乗っているだけに目立っている。
対になっている狛犬の基壇の高さと拝殿からの距離が揃っていないのが気になる。
拝殿前で参拝して、ガラス越しに本殿を見ようとしたのだが、自分の背後の景色が写り込んでいて、本殿がどうなっているのか、よく視認できなかった。
本殿の様子を観ようと、拝殿の左右に迂回してみたのだが、倉庫の施設や、生垣に縄が張ってあるのに邪魔され、さらに拝殿の裏面には瓦葺白壁の塀が巡らされており、潅木の隙間から神明造の本殿の銅板葺の屋根の一部が確認できただけだった。
一番、気になった拝殿前の幹の上のまんじゅうを下から見上げると、何と、この樹木の葉からすると、この樹木は杉であることが判った。
幹は皮が剥いであるようで、原寸の盆栽みたいになっていた。
この神社の主祭神御気津神を示すようなものはこの境内には何一つ存在していなかった。
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御気津神を示すようなものが存在しないこの竊樹神社では、どんなお祭りが行われているのか気になりました。