麻生田町大橋遺跡 土偶A 62:仲裁者ククリヒメ
津島市中野町の八劔社(やつるぎしゃ)から同じ津島市内の北西290mあまりに位置する、舟戸町の白山神社に向かいました。レイラインAG上の白山神社は東起町(ひがしおこしちょう)白山社に続いて2社目です。八劔社の社頭前の道を西に向かい、県道129号線を越えると、路地はカーブを描き、両側には町屋が多く残っており、中には屋根神が祀られていたりする、新築の町屋も見られました。愛知県で町屋がもっとも多く残っているのが、ここ津島市なのです。
微かにカーブしている路地を走っていると、「白山神社」と刻まれた旧い社号標が路地に面し、南向きに建てられていた。
すぐ先には左右に1対の常夜灯が設置され、そこからコンクリートでたたかれた幅1.2mほどの表参道が奥に延びている。
社叢がおおい被さった石鳥居まで20mあまりだ。
ウナギの寝床のような社地の左手は駐車場になっている。
この駐車場が参拝者用の駐車場なのか、月極駐車場なのか不明だったが、社頭前の路地が狭いので、愛車はこの駐車場に駐めるしかなかった。
社頭から参道を奥に向かうと、10mあまりの場所の左右には対になった石灯籠が設置されており、石鳥居は伊勢鳥居であることが判った。
鳥居の奥には赤くペイントされた縦格子の扉が見えている。
鳥居の前に至ると、赤い扉は玉垣に付けられた鉄の神門で、神門の左手前には石造の灯明台も設置されている。
鳥居をくぐると、玉垣内には壁が藍白にペイントされ、切妻屋根を持った棟入の民家のような建物があった。
ただ、民家と異なるのは妻側に大きな窓が付いていることだ。
神門前で参拝したが、おそらく目の前の建物が覆屋で、屋内に本殿が納められているのだろうと、推測していた。
この神社に関する情報は現場にもネット上にも見当たらず、明らかになっているのは社名と住所のみだ。
例によって、総本社である白山比咩神社の祭神は以下となっている。
・白山比咩大神(ハクサンヒメ)
・伊邪那岐尊(イザナギ)
・伊弉冉尊(イザナミ)
白山比咩大神は菊理媛命(ククリヒメ)の別名とされているが、白山比咩神社の3柱の関係は正史では『日本書紀』の異伝(第十の一書)にだけ書かれている。
現世とあの世の境に位置する泉平坂(よもつひらさか)で伊奘諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)がいさかいを起こした時、菊理媛神が伊奘諾尊に何事かを伝えたことから、伊奘諾尊がそれをほめたとだけ書かれているが、ほかには情報は無い。
何を伝えたかという内容は書かれていないのだが、「ククる」につながる菊理媛命の名前などから伊弉冉尊とのいさかいをククる(仲裁する)ような内容だったと解釈されていて、そのために菊理媛命のキャラクターは「仲裁者」ということになっている。
「いさかい(諍い)」の語源は「イサナギ・イサナミの会合(かいごう)」だろうか。
覆屋だと思っていた、参拝した建物の西側に回ってみると、参拝した建物は拝殿で、裏面に渡殿が付いていることが判ったのだが、何よりも渡殿脇に、ここがアフリカだったらバオバブノキ認定を受けそうな巨木が立ち上がっていた。
その巨木の幹の表皮は基本白地なのだが、表層に黒ズミがあり、なぜか湿気が多いことから、渡殿側が苔生していた。
象の脚のような表皮に黒ズミがあるのはクロガネモチの特徴だが、クロガネモチは「金持ち」に通じることから、縁起物として神社には人為的に植えられることのある樹木だ。
この都合の良い場所に生えていることからすると、このクロガネモチも狙って植えられたものなのだろう。
渡殿の奥には社殿とは独立した石垣を組んだ基壇が設けられ、銅版葺素木造の白山社が祀られていた。
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津島市舟戸町 白山神社は名古屋市東起町 白山社と比較すると、社地も小さく、社殿も質素です。方や名古屋市、方や津島市であり、名古屋市の白山社は周囲にぎっしり住宅が詰まっていますが、津島市の白山神社の周囲は住宅で埋まっているのは60%ほどで、空き地が多いのです。この違いが神社に反映されているようです。