麻生田町大橋遺跡 土偶A 160:乙川を見下ろす天照大御神
岡崎市千万町町(ぜまんぢょうちょう) 八剱神社から県道333号線に戻り、乙川(おとがわ)を下流に辿るため、西に向かいました。
333号線を390mあまり辿ると、乙川に架かった新行防橋に到達した。
橋上から上流側を見下ろすと、深い谷になっており、乙川の護岸はされていなかった。
川床には大きな砂利や石が積み重なっており、それに蔦性の樹木が覆い被さり、自然のままだ。
一方、下流側はというと、右岸は杉の枝葉が川面に覆い被さっており、左岸はネット柵で囲われた水田になっている。
その水田と乙川の間に農道が通っている。
自然石で覆われた川床は平らな部分がまったく無く、透明度の高い水が流れている。
新行防橋を渡ると、333号線を1.8km近く西に辿り、木下町の乙川に架かった神明橋まで、川筋を明快に見られるポイントは無かった。
神明橋上から上流側を見ると、60m以内に何やら複雑な護岸の成された場所が見えた。
333号線から乙川に沿った道がそこに通じているので、見に行った。
左手は濃い森になっている。
複雑な護岸は、さっき寄ってきた八剣神社脇を流れていた鳥川に設けられていた水路の逆流を防ぐ装置(下記記事159のヘッダー写真)のスケールを大きくしたもののようだった。
水路段差の上側の段の川床には水路と平行に2列にコンクリートブロックを並べた筋が見えるが、これは対岸に渡る足場のようだ。
乙川の両岸に水田があるので、行き来するために設けられたのだろう。
この逆流防止装置と神明橋の間に「村社 神明宮」と刻まれた社号標があり、その脇から長い石段とコンクリート舗装された道が丘陵上に延びていた。
石段の上には南東向きの石鳥居と社殿が覗き、石段の両側には高木が伸びている。
石段脇に愛車を駐めて石段を上がって行くと、石鳥居は靖国鳥居で、踊り場に設置されていた。
鳥居をくぐって、さらに短い石段を上がると、その上に4間幅の銅板葺切妻造平入の拝殿が立ち上がっていた。
屋根には天照大御神を示す8本の鰹木と内削の千木が乗っている。前面は全面に舞良戸が閉め立てられ、中央は格子戸になっている。最後の石段を上がって拝殿前で参拝した。境内建てられた板碑『神明宮社記』の沿革には以下のようにあった。
格子窓から殿内を見ると、幣殿と本殿はつながっており、幣殿入り口には紺地に十六菊花紋を白抜きした神前幕が張られている。
拝殿の西側に回ってみると、幣殿、本殿覆屋も銅板葺で、柱と桁を真紅に染めた特徴のある建物で、板塀は白く染めた部分と三河の材木によく見られる赤みの強い三河材(杉)が素木で使用されていた。
本殿覆屋の鰹木は拝殿より2本減って、6本となっている。
本殿周囲に祀られた境内社は無く、境内の北東に外れに石垣を組んだ土壇が設けられていて、その上に寺勾配の石垣を組んだ基壇上に石祠が祀られていた。
この祀り方は沿革にある「山王宮」ではないかと思える。
そうであれば、祭神は大山咋神(オオヤマクイ)ということになるが、情報は見当たらない。
山王宮を下って神明橋に戻り、橋上から下流側を見ると、上流側では穏やかな水流のスピードが高くなっており、川床も自然のままで、両岸から低木の潅木と雑草が迫っていた。
右岸は畑地で、左岸には森が迫っている。
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ここに天照大御神が祀られているのは、水田が存在するからです。水源からここまでは水神、龍神の姿はありません。