麻生田町大橋遺跡 土偶A 107:石灰岩の山
豊橋市の石巻山には蛇穴が存在しましたが、それ以前にも嵩山蛇穴(すせじゃあな)を取材していました。嵩山蛇穴は愛知県で、もっとも著名な縄文遺跡の一つで、おおよその場所は知っていました。
この記事は豊川市の麻生田町大橋遺跡テーマで書いているのですが、その関係で南から砥鹿神社(とがじんじゃ)里宮に向かっている途中で、嵩山蛇穴に通じるほぼ1本道である国道362号線を横切ることに気づきました。その日の目的とは異なる豊橋市の遺跡なのですが、嵩山蛇穴の誘惑には勝てず、いずれ、豊橋市出土の土偶を紹介するときに、必要になるからと、距離は少し離れていたのですが、観に行くことしました。それが2021年5月中旬のことでした。ところが、その後、現時点では豊橋市からは紹介できるような発表された土偶は出土していないことが判明しました。つまり、嵩山蛇穴の写真は土偶テーマでは発表の場所が存在しなかったのです。
ところが今回、複数の「石巻」を冠する町名を流れている牟呂松原幹線水路(むろまつばらかんせんすいろ)との関係で石巻山に登ったのですが、その動機となったのが、嵩山蛇穴と石巻山の蛇穴の混同だったのです。
ともに石灰岩質の地質であることから生じた洞穴です。そして、水を含有しやすい石灰岩質の地質だからこそ、牟呂松原幹線水路の東側の山岳部からは、牟呂松原幹線水路とセットで流れている用水に複数の水路が流れ込んでいるのです。そこで、石巻山に続いて嵩山蛇穴を紹介することにして、嵩山蛇穴の場所をGoogleMapで調べているうちに、嵩山蛇穴に向かう道筋に「嵩山の巨石」という史跡が存在することに気づきました。
しかし、このところ、雷雨の天気予報が続き、嵩山蛇穴の記事を書くまでに嵩山の巨石を観に行くのは無理だろうなとあきらめながら、天気予報をチェックしたところ、この9月の上旬に早朝6時〜正午の12時まで「晴れマーク」が出ていたのです。それで、弾丸で嵩山の巨石だけを取材するために豊橋市に向かうことにしました。片道1時間半ほどですから、雨が降り出す前に名古屋市内に帰って来られるでしょう。
最初に嵩山蛇穴に行った時には旧街道の姫街道を使用したのだが、帰途に嵩山蛇穴の少し下方で姫街道が、より広くて走りやすい国道362号線と接触している場所があることに気づいた。
嵩山の巨石はその接触点の下方160m以内に位置していた。
姫街道とは東海道に付属する街道の1つで、嵩山宿(すせじゅく)が存在した。
現在の嵩山町には「嵩山」という山名の表記は無く、シナ地域には少林寺などの道教や、仏教の道場の存在する、古代から山岳信仰の場として著名な嵩山(すうざん)が存在するが、もしかすると、嵩山(すうざん)に倣って、儒教者が名付けた地名なのだろうか。
嵩山宿の西隣が東海道御油宿(ごゆじゅく)、東隣が東海道見附宿で、姫街道の道程は約60km。
長い山越えの道で、長距離であることから、中世以降、浜名湖南岸の往来が盛んになると利用者は激減したという。
ところで、嵩山の巨石は362号線の道路下に位置していることと、362号線側には多少の樹木が茂っており、知ってなければ、その存在に気づくのは難しい場所にあった。
また現状、姫街道と嵩山の巨石の間は森になっていて、そちら側からも、その存在に気づくことはありえません。
ただ、旧い時代には今のように樹木は繁殖していなかったでしょうから、姫街道の利用者からはランドマークとなっていた可能性は充分あります。
慣らし運転を終えたことから、この日は初めて、その250ccの愛車で自宅を4時半に出発して、国道23号線(自動車専用道路)を経由して蒲郡ICで国道1号線に移り、豊川市内で国道362号線に入った。
西の牟呂松原幹線水路側から362号線を東に真っ直ぐ登っていくと、362号線の左手下に嵩山の巨石を見つけた。
この時間帯だと岩は日陰になっており、上面には葉の幅の広いノキシノブのようなシダが繁殖しており、岩の存在を消している。
おそらく岩の上に落ちた腐葉土に根を伸ばしているのだろう。
なので、腐葉土の溜まらない巨石の壁面にはまったく雑草が生えていない。
362号線には歩道があったので、歩道上に愛車を駐めた。
白いパイプのガードレールの下、3mくらいの場所に高さ7m×横長15mほどの白っぽい巨石が横たわっている。
やはり石灰岩だ。
362号線の歩道から、苔がうっすら蒸しているガードレールを乗り越えて急な斜面を下まで降り、巨石の麓まで降りてみたのだが、藪に遮られ、開けているのは362号線側のみで、側面や裏面に回り込める余地は無かった。
それでも、右側面はガードレール下の土手から撮影することができた。
この巨石の全体像を撮影するには362号線の歩道上から撮影するしかなかった。
362号線と姫街道の接触点まで登って、姫街道を巨石の東側まで戻り、森の中を通って巨石の裏面にアタックしようとしたのだが、おびただしい数の蜘蛛の巣がすべての樹木の幹の間に張られており、森に入っていくには恐ろしい数の蜘蛛の巣を壊すことになるので、断念した。
嵩山の巨石に関する案内板は無く、情報はネット上の「史跡」という情報のみだ。
おそらく、いつの時代かに、この巨石は東の山岳部から転がり落ちてきて、ここに止まったのだろうと推測できる。
脇に嵩山川が流れているのは、ここが低い場所であることの証明だ。
もし、嵩山蛇穴に居住した縄文人がいた時代なら、この巨石は認識されていたことだろう。
7時前にこの日の目的は達した。
ここからは昨年取材した嵩山蛇穴の紹介になる。
嵩山蛇穴に向かって姫街道を登ってくると、途中で姫街道は362号線の下をくぐって、362号線の南側に出た。
362号線を超えた姫街道は100mもしないでスプーンカーブで折り返し、ふたたび362号線の上を越えて北側に戻り、山岳部に向かっているのだが、姫街道下の362号線はすでにトンネルになっている。
スプーンカーブの先には分岐して南東に向かう山道があった。
その山道に入って120mあまりで右手に池があり、道路が倍に広げてある場所があって、その先は逆に入って来た道より狭くなり、舗装は磨耗し、未舗装路のようになっている。
広がった場所は登坂者のための駐車スペースらしいので、そこに愛車を駐めて、徒歩で細くなった道に入っていった。
60mほど歩いただけで、左手に「◀︎蛇穴/嵩山自然歩道」の道路標識が出ていた。
道路標識の脇からは森に向かって登って行く急な石段が立ち上がっていた。
石段の途中には石灰岩の巨石が露出しており、そのために登山道は大きな方の石灰岩を迂回して、右に向かっている。
縄文人がこの先に居住していた時代には、現在のように多くの樹木は茂っておらず、もっと、石灰岩が露出していたことだろう。
上記写真で登山道を迂回させている石灰岩の露岩は多くの亀裂が入っており、最後には全部、小型の石になってしまうのだろうが、すでに割れ落ちた石がこの露岩の下側に溜まっている。
露岩に近づいてみると、潅木が生えているが、これも根を張れば、その根は石灰岩を砕く要因になるのだろう。
さらに山道を登って行くと、石灰岩が溶けたチーズのように磨耗した奇岩の前に出た。
石の表面を観ると、降雨で溶かされたのだと思われるが、平ではないのに磨いたような岩肌をしている。
(この項続く)
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嵩山の巨石を観にくる途中、362号線沿いにセブン・イレブンが在ったので、そこで握り飯を購入してあり、嵩山の巨石の裏面の森の中で食べました。アサリのオニギリがすごく美味しかった。