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今朝平遺跡 縄文のビーナス 15:縄文の巴紋
昨年、豊田市足助町(あすけちょう)飯盛山(いいもりやま)山頂に登った時、10年前に登った時には祀られていなかった石祠が磐座に鎮座していました。それは明治初年度までここに祀られていた獄(いわ)の宮だと思われましたが、この獄の宮が現在は飯盛山の麓、西北西に祀られている足助八幡宮内に遷祀されていると思われるので、足助八幡宮に向かいました。つまり、飯盛山山頂に祀られている獄の宮は足助八幡宮に祀られている獄の宮の元宮(もとみや)ということになります。
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足助八幡宮は足助町の目貫通りとなっている国道420号線の北側に社頭が面しており、足助町の一ノ宮のような役割の神社でもあるので、足助町にやって来た時には必ず参拝している。
足助八幡宮は境内の変化の多い神社で、来るたびにどこかしら変化している印象のある神社だ。
昨年、やって来た時には南南東を向いた鳥居が新しくなっていた。
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形式は変わらず、台輪鳥居だが、全ての使用材が新しくなっていた。
木部は、以前のものは素木だったと思われますが、新しい鳥居は最初から琥珀色に染められているようで、防腐の役割もしているようだ。
銅板葺の笠木も美しい緑色にペイントされている。
鳥居に掛かっている社頭額も地色の黒が褪せていたのが、漆黒にリニューアルされ、金箔色の文字も鮮やかだ。
そればかりではなく、足助八幡宮社頭前の横断歩道脇の電柱も、おそらく鳥居に合わせて、雀茶にペイントされていた。
社号標には「足助八幡宮」とある。
鳥居の前に立って社頭額を見上げると、「八幡宮」の文字はおなじだが、額の細部の意匠に変化があり、何よりも金と墨の2色に緑が加えられ、3色の仕上がりになっていた。
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社頭から始まっているコンクリートでたたかれた表参道は鳥居の正面に設置された石造の蕃塀(ばんべい)前で左手にカーブして拝殿に向かっている。
右手にカーブしているのは脇参道だ。
この新しい鳥居の手前両側に設置されている狛犬は旧くてすばらしいもので、変わらず健在だ。
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最近の対になった狛犬ではなく、向かって左が頭頂に宝珠を持つ獅子、右が角を持つ狛犬のセットになっている。
本来は口を開けている方が獅子で閉じている方が狛犬なのだが、足助八幡宮の狛犬は珍しい形になっている。
鳥居をくぐって、表参道を左手に向かうと、銅板葺切妻造平入の拝殿前から延びて来ている、広い参道に出た。
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拝殿の屋根と向拝屋根は一体になっており、向拝屋根には唐破風が設けられている。
拝殿の奥には城山の尾根の頂がのぞいている。
拝殿前に進むと、注連縄とは別に手前の唐破風の軒下に左右から房が1つ下がった50cmほどの長さの竹の棒が突き出ている。
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唐破風の妻飾りからは左右に白い幣と思われる白い和紙(?)が下がっている。
これは足助八幡宮の唐破風の軒下には常に設置されているものなのだが、他の神社では見たことのないもので、どういう役割があるのか不明なモノだ。
賽銭箱には真鍮でレリーフにした左三つ巴の神紋が取り付けられていた。
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紋は黒く染められていたようだが、90%は剥げてしまており、地の真鍮が露出してしまっている。
巴紋は複数の縄文遺跡から出土したものに見られる旧い紋だ。
以下は岩手県大船渡市の大洞貝塚(おおほらかいづか)から出土した縄文晩期前葉の神式注口土器群にみられる複数の巴弧線紋だ。
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比較的近い場所では静岡市の清水天王山遺跡から出土している、縄文時代後期から晩期の土器群は巴弧線紋がみられるのが特徴で、「清水天王山式」と呼ばれているという。
それはともかく、拝殿前で参拝したが、創建は、天武天皇の白鳳二年(673)と伝えられ、祭神は以下とされている。
・品陀和気命(ほんだわけのみこと=応神天皇)
・帯中日子命(たらしなかつひこのみこと=仲哀天皇)
・息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)
ほか5柱
拝所の右脇には巨大な草鞋(わらじ)と「願い布縁結び竹」を組み合わせたものが掲示されている。
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拝殿脇の木造社号標によれば足助八幡宮では「除災/足の加護 足まつり」が行われており、草履の前に掲示された案内板『御神徳』には以下のようにあった。
当宮に伝わるご縁起には足腰の病を始め様々な有り難い霊験が記されています
足助は地名もさる事ながら以前は信州への中継地として大いに栄えていた宿場町でゆききする人々はこの先の険しい街道を旅する前に道中の安全を当宮に祈り感謝の〓を捧げてきました
足・交通・健康などの御神徳顕著なる神社として参拝を戴いています
足助八幡宮
拝殿と向かい合いうように「御足宮」の看板を掲げた銅板葺切妻造吹きっぱなし平入の社内にはほぼ立方体の基壇が設けられ、その上に大きな草履のオブジェが置かれ、御足宮の軒下は絵馬掛けになっていた。
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絵馬掛けには足の裏形の絵馬がびっしり掛かっていた。
草履のオブジェは石造のようで、その上に木造で枠取りして「足神」と浮き彫りされた社号標が置かれていた。
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御足宮前から西に延びる脇参道に入ると、大小4社の境内社が並んで、石段の上に祀られていた。
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本殿側(上記写真右側)から以下の境内社。
・天満社………祭神:菅原道真公
・秋葉社………祭神:火之迦具土大神(ヒノカグツチ)
・塩釜社………祭神:鹽土老翁神(シオツチノオジ)
・金毘羅社……祭神:大物主神
拝殿前に戻り、西側に回ると、3社の境内社が祀られていた。
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・稲荷社……祭神:宇迦之御魂神
・御鍬社………祭神:天照大神
・津島社………祭神:建速須佐之男命
拝殿の右手から足助八幡宮の右手に回ると、本殿は以下のようになっている。
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通常の桧皮葺(ひかわぶき)流造の本殿に白壁が組み合わされていた。
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初めて獄の宮の里宮を探すのが目的で足助八幡宮にやって来たのですが、境内社には見当たらなかったので、本殿の相殿に祀られているのでしょうか。足助八幡宮では「獄宮」と呼ばれているようですが、祀られていることに関する情報は見当たりません。