麻生田町大橋遺跡 土偶A 45:豊受姫命と宝珠
予定外で岡崎市佐々木町の藤野稲荷神社の西側に接して、神明社が存在していました。この場所は地図によって、藤野稲荷神社が表記されていたり、神明社が表記されていますが、Google地図では藤野稲荷神社が表記されている場所を拡大表記しないと神明社が表示されるようになっていなかったため、藤野稲荷神社にやって来るまで神明社の存在に気づいていなかった。なので、2社の社頭が並んでいたのを見て驚いた次第。
今回のレイラインAM上に並ぶ神社は神明社を含めて11社ということになりました。そして、そのうちの3社、竜泉寺町 神明宮、針崎町 御鍬神社(おくわじんじゃ)、佐々木町 神明社と、3社が伊勢神宮と関連のある神社ということになりました。
藤野稲荷神社と隣り合っているのに、社叢に覆われて暗い藤野稲荷神社とは対照的に明るい境内となっている神明社だった。
神明社の鳥居は社頭から20mあまり引っ込んだ場所にあり、社頭には幟柱しかなかった。
ただ、表参道には社頭から白い砂利が敷き詰められており、石鳥居とその向こう、社頭から40m以内に位置する拝殿に向かって延びていた。
白い砂利を踏みしめて参道を進み石造明神鳥居前に至ると、鳥居から先の参道は砂利が絶え、コンクリートたたきに変わった。
鳥居の正面奥に位置する拝殿は瓦葺切妻造平入の建物だが、木部は新しくなっているようだ。
拝殿前に至ると、拝殿前だけ、参道は再び砂利が敷き詰められていた。
拝殿の木部は素木だが、ずいぶん赤味の強い材木が使用されている。
正面は板壁の中央に格子窓の付いた舞良戸(まいらど)が締め切られている。
基壇、土壇とも無く、直接地面に建てられているので、参拝用に横に長い踏み石が設置されていた。
拝殿前で参拝したが、境内に板書は無く、『愛知県神社名鑑』に以下のようにある。
社名から祭神は神宮内宮を総本社とする天照大神を予想していたが、神宮外宮を総本社とする豊受姫命だった。
豊受姫命の別名である宇賀之売命(ウガノベ)は宇迦之御魂神(ウカノミタマ)の別名でもあり、稲荷社がここ神明社に合併されたのはそれが所以となっているのだろう。
矢作川(やはぎがわ)洪水と三河地震、2度にわたって被災しているとは。
それにしても出来事を年代で追っていくと、当初、洪水に社殿流出した藤野稲荷社として祀られていたのが、いつの間にか神明社になっていて稲荷社を合併したという不思議なことになっており、由緒に混濁がみられる。
拝殿の左右の板壁には倒壊した拝殿から流用したものと思われる頭貫(かしらぬき)と蛙股(かえるまた)が装飾されていた。
頭貫と蛙股は本来は構造材で壁にくっ着くものでは無いが、あきらかに旧社殿のものを残すため、装飾として流用したものだ。
蛙股は波模様を浮き彫りにした凝ったものだった。
ところで、そんな蛙股の上、拝殿の桟には10コの小さな丸い窪みのある銀色の金属板が3つ取り付けてあるのだが、いったい何だろう。
本殿を観るために拝殿の脇に回ってみると、拝殿の裏面には瓦葺白壁の回廊が巡らされており、瑞垣内には瓦葺入母屋造平入の本殿覆屋が設置されていた。
この神明社には奇妙なものがいくつか存在した。
その一つが拝殿の屋根の左右の降り棟の鬼飾りだ。
左の鬼飾りには瓦に雲に囲われた「神」の文字、右の鬼飾りには波に囲われた宝珠が浮き彫りになっている。
「神」は神明社の頭文字、「波に囲われた宝珠」は「洪水に社殿流出した稲荷社」を表したものと解釈できる。
「波に囲われた宝珠」の意匠は拝殿の壁に装飾された蛙股と共通するものだ。
改めて一つ先の写真の蛙股の浮き彫りをチェックすると、波の真ん中にある丸いものは宝珠であることが判ってきた。
さらに、上記写真に写っている鬼飾り下の軒瓦の巴に入っている紋は三つ巴になっているのだが、「波に囲われた宝珠」鬼飾り下の2枚の軒瓦の巴にだけ藤丸紋が入っている。
その藤丸紋の意匠もこれまで見たことのない珍しい紋だ。
そして、もう一つ、「波に囲われた宝珠」鬼飾りの先の屋根には耳が破損しているものの、宝珠を咥えた使いの狐像が瓦に焼かれて装飾されていた。
このように社殿も神明社と藤野稲荷神社が混濁していた。
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この日、巡った神社はここまでで、ここからレイラインAMの西に位置する4社と2ヶ所の貝塚はすでに紹介済み、あるいは取材済みの神社・貝塚となります。