御用地遺跡 土偶 18:サドル形遺跡
安城市の塚越古墳のほぼ南230mあまりに位置する東川古墳(ひがしかわ)に向かいました。
東川古墳は県道44号線(岡崎西尾線)とローカルな道路の交差点の北北西30m以内に位置していた。
航空写真で見ると、自転車のサドルのような形をしており、原型がどんな形だったのか、まるで見当が付かない。
墳墓の周囲は畑地になっており、畑地は住宅で囲われている。
東川古墳の南側のローカルな道路の路肩に愛車を駐めて、上記航空写真❶の場所から撮影したのが下記写真だ。
今回、安城市と岡崎市で遭遇した古墳の中で最小の古墳だったかもしれない。
『桜井古墳群構成要素調査票』には東川古墳に関する以下のデータがある。
古墳の墳形●不明
築造時期●不明
埋葬施設●不明
出土遺物●不明
指定状況●未指定
古墳の規模●現状では南北約9m、東西11.5 mの長方形で、高さおよそ 0.9 mである。上部は平坦で、北側の台地とほぼ同じ高さとなってい る。
動植物●墳丘上に樹木。
調査歴●なし
情報は少ない。
現状の墳墓は全面が笹などの植物で完全に覆われており、手前は畑地にするためだと思われるが、削られている。
こちら側の畑地は墳墓の向こう側の畑地より、1.5mほど低くなっている。
44号線に出て角地にある住宅を迂回して北上し、その住宅の北側に東西に延びる狭い農道に入って、東川古墳の北側の脇に出た。
古墳の側面を撮影したのが高空写真内❷の下記写真だが、完全に笹で壁ができている。
墳墓の西側、航空写真の❸の位置から撮影したのが下記写真。
上記写真の墳墓左1/3が笹で、笹の中に不明の樹木が1本伸びている。
右2/3が不明の灌木。
こちら側も畑地にするために削られているように見える。
周囲の畑でホトケノザが栽培されていた。
このホトケノザは春の七草のホトケノザ(コオニタヒラゴ)ではなく、雑草の方で、人為的に栽培されているなんて、初めて知った。
今は鉢植えにでもされているのだろうか。
本来、雑草のホトケノザは食用にはされないものの、ごく小さな花だが、ツツジのように花を摘んでそっと引き抜き、根元の甘い蜜を吸うことができる。
名称の「ホトケノザ」は下記写真のように三段重ねになる葉が仏像の座す蓮華座のような形態をしていることに由来する。
食用になるホトケノザは別名をコオニタビラコ(小鬼田平子)といい、花は黄色で、小生は別種のタンポポかと誤解していた。
食用の方が「鬼」で、食べられない方が「仏」とは狙って名付けたような名称だ。
狭い農道脇ではピンク色の花びらの少ない椿が百花繚乱となっていたが、個人的には愛知県でピンク色の椿に遭遇することはほとんど無く、珍しい。
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東川古墳は寸法以外、ほとんど情報の無い古墳でした。
よく、消滅しないで、残っていたものです。