別れ2:私のモーターサイクル全史(上)
一昨年、スクーターのHONDAフォーサイトとともに、24年間2代に渡って乗り続けてきたモーターサイクル、HONDA マグナ V TWIN 250とも別れることになりました。
それまで5車種のモーターサイクルに乗ってきましたが、その中で最も気に入たモーターサイクルでした。
その理由の一つは林道用のモーターサイクルではないのですが、その足付き性の良さと、アメリカンバイクとしては軽量であることから、好きな林道に容易に入ることが出来ました。
もう一つの理由は250ccのモーターサイクルとしては最長のホイールベース(前後の車輪の間隔)を持つことから、250ccの車体としては珍しく、3ピースの後部トランクを設置できる車体で、そのトランクとタンデムシートを利用して、押し入れダンスくらいは平気で運べる能力もあり、大物の買物にも利用でき、10日間くらいの長距離ツーリングに必要な荷物も満載することができました。
実際、息子が5才の時から、海外に出るまでの16年間、毎年、夏休みは1週間〜10日間ほどのタンデムツーリングを行いました。
下記写真は、その最初のツーリングで、陽が落ちた浜松の浜岡原子力発電所周辺で撮影したものです。
初代マグナは18年間で16万kmに迫った段階でキーを紛失してしまい、それを機に新たなマグナに乗り換えようとしたのですが、すでに生産が終了しており、別の車種を検討したのですが、3ピースのトランクを設置でき、マグナレベルの魅力的な250ccのモーターサイクルが見当たらず、マグナを引き取ってもらったバイク屋に程度の良い中古のマグナを探してもらい、2代目のマグナを愛車としたものです。
このマグナは頻繁にトラブルを起こし、遂に部品供給が終了したことから、部品を手に入れるのに時間が掛るようになり、最後の年には実質的に7ヶ月しか乗ることが出来ませんでした。
これを切っ掛けに、長年新車情報に触れていなかった、各社のモーターサイクルのラインナップを調べたところ、2代目のマグナに乗っているうちに、“オフロード・バイク”というトレンドが終了し、2年以上前から新たなモーターサイクルのトレンドに“アドベンチャー・バイク”という、私の望んでいた方向性そのものといえるトレンドが起き、各社出そろっていることを知りました。
さらにそれらのアドベンチャー・バイクに伴って、取り付けられる3ピースのトランクも製品のラインナップが増えていました。
国内メーカー4社の中で、250ccで唯一、純正の3ピース・トランク(製品名:パニア・ケース)が存在し、デザインも最も優れている車種がSUZUKI Vストローム250でした。
初代マグナとは息子と東京から16年間、2代目マグナで名古屋市から8年間、本州四国を駆け巡った最高の愛車と別れるためにVストローム250を注文しました。
スクーターに続いて、モーターサイクルの個人的な全史を記録しておくことにしました。
🌟HONDA スーパー・カブ C100 (50cc)
最初に愛車にしたエンジンを搭載したビークルが高校時代に父親から受け継いだスーパー・カブでした。
このスーパー・カブで1年近く、高校通学の足にしました.
このC100は100m道路の交差点の信号待ちで先頭に居ない場合は、100m道路を渡り切れないこともあり、危ない思いをしたことがあります。
そして、1年近く乗った段階で、大型トラックの隣の路側帯にいたところ、左折した大型トラックに巻き込まれ、昇天してしまいました。
もちろん私は、こういう場合はいつも無傷で助かります。
当時は特に乗り物が欲しいという欲求も無く、免許も更新せずに20年以上が過ぎました。
●HONDA スカイ(50cc)
久しぶりにエンジンの搭載されたビークルが必要になりました。
それはスクーターで、『スクーター全史』の方に詳しく説明してあります。
●YAMAHA トレーシー CZ125 (125cc)
スクター以外のエンジンの搭載されたビークルが欲しくなったのは2代目のスクーターだったトレーシーで友人たちと初めてツーリングし、トレーシーがあまりにイージーな乗り物だったことから、長時間乗り続けるには退屈な乗り物であることに気が付いたからでした。
ギアチェンジやキック・スタートなど、ちょっとした“不便さ”を楽しみたくなったのです。
その時、たまたま友人の女性が、当分、乗らないからと、自分の愛車を1年間貸してくれることになりました。
🌟YAMAHA SR400SP
それがSR400SPでした。
このモーターサイクルも2年ほど前に生産が終了しました。
SR400は1978年に発売され、2021年に販売が終了するまで43年間も生産された希有なモーターサイクルです。
ただ,50ccであれば、1950年に発売され、現在も生産が続いているスーパー・カブが存在しますが、250cc以上のモーターサイクルとしてはほかに例の無い存在でした。
最終型はレトロな雰囲気を生かすために、ホイール(車輪)がスポークになっていましたが、400SPは最初に発売されたSRと同じくキャストホイール(鋳型で鋳造されたホイール)でした。
望み通り、キック・スターターでしかエンジンが掛らないモーターサイクルです。
キックはエンジンを掛けるのにコツや馴れが必要ですが、使いこなせるようになると、それが好きになる要素になります。
SRはエンジンが空冷単気筒で振動が大きく、トルクも大きいのですが、スピードはさほどでもないモーターサイクルで、時速45kmくらいでカーブを曲がるだけで、格闘技をしているような体験のできる乗り物でした。
🌟YAMAHA SRX400
SRに1年近く乗っているうちに、YAMAHAから新しいSRが発売されるという情報が出ました。
それがSRX400でした。
バイク雑誌の写真で見たSRX400のデザインは非常に気に入りました。
SRを返却する予定がありましたので、オプションの油冷システムを取り付けたSRX400を購入し、トレーシーを売却しました。
SRから乗り換えたSRXは軽快で、ギア音からハイテク・マシーンに乗っているという印象が強くしました。
トレーシーを購入したのに次ぐ、嬉しさでした。
1年半ほどSRXに乗っていると、すっかり馴れてしまい、不満点が出てきました。
エンジンのゴリゴリ感が気になるようになってきたのです。
SRから乗り換えた当初は遥かにエンジンは進化しているので、軽快に感じたのが、重くて鈍く感じるようになってきたのです。
もう一つはデザインの問題です。
バイク自体は置いてあると美しいのですが、交差点などでSRXに乗った他人と出会うと、実にその相手が不細工に見えるのです。
これはデザインの責任者がバイク免許を持っていないことで有名なデザイナーで、そこに問題があると思いました。
つまり,バイクのデザインは美しくても、人が股がって美しいかということを検討していないのではないかと推測したんです。
そして、SRXに少し嫌気が出てきた頃、夏休みになり、まだ息子はいなかったので、徹夜で入稿を済ませ、この年は10日間で四国を巡る予定で2時間半(個人的に最低単位の熟睡時間)の仮眠を取り、さっそく、東京から四国に向かいました、この出発前、エンジンを掛けるとエンジンから青紫色の湯気のようなものが立ち登っている感じがしました。
東名高速から国道23号線と25号線を経由し、西名阪自動車道を経由して、和歌山港に向かっている時でした、エンジンからカランカランという乾いた音がして、愛車がスローダウンしました。
エンジンが焼き付いたのです。
出発時に青紫の蒸気が立ち登っていたのはオイルが焼けて不足していたのだと思われました。
後になって、思っていたより早くエンジンオイルが燃え尽きてしまっていたことが判明しました。
SRXはセンタースタンドを持たない車体なので、エンジンオイルの量を確認するのが、一人ではできないのです。
自動車道の路肩で、電話を探さなければと思っていると(ケータイの無い時代です)スローダウン直後に追い越して行ったレーサーレプリカが自動車道の反対車線を迂回して再び戻って来てくれたのです。
彼はまだ若い大阪のペンキ屋さんで、タンデムで近所のYAMAHA店まで乗せて行ってくれることになりました。
そのバイク屋は大仙陵古墳(仁徳天皇陵)のすぐ西側に位置していました。
私を下ろすとペンキ屋の彼は去っていきました。
この日は東京を出発して3日目(金曜日)で、残りの夏休みがおじゃんになる状況でした。
その小さなバイク屋に愛車を引き取りに行ってもらい、修理するには、エンジンを乗せ代える必要がありそうなので、お盆休みに入ることもあり、パーツが届くのはツーリングの予定が終わるころになる可能性もありそうでした。
それで、すぐに購入できるモーターサイクルがあるか、バイク屋に聞くと、YAMAHA TDR 250なら明日には登録が可能だとのことだった。
それで、SRXを売却してTDR 250を購入し、大仙陵古墳の近所で1泊し、四国ツーリングに向かうことにしました。
(この項、続く)
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大仙陵古墳の周囲には呑み屋なども無く、時間を潰すのが大変でしたが、それでも、大仙陵古墳の西側の周濠を辿って南下し前方部の南側の入口を観に行きました。ここは古墳と言うよりも皇居にイメージが近いと思いました。古墳を模した皇居と考えるには人間が使用する建物が必要だが、そうした柱穴は残っていないのだろうか。
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