見出し画像

御用地遺跡 土偶 FIN:山神社の石棒

新城市の大宮 岩倉神社本殿裏面に鎮座している磐座前から拝殿前に戻り、表参道を社頭に向かうと、鳥居に至る右手前に河原石を組んだ石垣を持つ基壇上に9棟の石祠が並んで祀られていました。

●御用地遺跡 土偶

1MAP岩倉神社

その石祠群の裏面は土手になっていることから、土手に沿って、土留めを兼ねたコノ字形のブロック塀が設けられ、石祠前には笹竹が立てられ、注連縄が張られていた。

画像3

拝殿側(上記写真右側)の最初の石祠がもっとも大きく、近くに寄ってみると基壇上には砂利が敷き詰められていた。
寄って行った石祠の扉は失なわれており、石祠内には河原石が収められ、その石に「牛頭天王(ごずてんのう)」の文字が打ち出された銅の表札が立て掛けられていた。

12牛頭天王社

この石祠は牛頭天王社ということになるが、その浜床には扉の柱穴が左右2つづつ残っており、石祠の浜縁(はまえん)には竹と白い和紙の紙垂(しで)を組み合わせた御幣が持たせ掛けられ、湯飲みが1コ置かれている。
石祠内の石と表札、御幣と湯飲みが置かれているのは9棟すべての石祠に共通していたが、御幣は風で飛んでいるものもあった。
銅の表札なんて初めて見たが、地元のホームセンターに製作してくれるサービスがあるのかもしれない。
この表札は風で飛んだり、文字が退色して見えなくなったりしないのが好いのだが、何よりも装飾としての存在感がある。

牛頭天王社の左隣の石祠には「稲荷社」の表札。
牛頭天王社と、この稲荷社の石祠だけが9棟の石祠の中で際立って大きい。

稲荷社の左隣の石祠には「御鍬社」(おくわしゃ/祭神天照大神)の表札。

御鍬社の左隣の石祠は9棟の石祠の中でもっとも小さく、「金比羅社」(祭神:大物主神)の表札は石祠内に収まらないので、石祠の外側に立て掛けられていた。

金比羅社の左隣の石祠は9棟の石祠の中で3番目に小さな石祠で、石の扉が残っており、石祠内には下の2文字「山社」だけが見える表札が入っていた。

13○山社

石は入れられるスペースが無いようだ。
浜縁は欠け、石祠にも浜縁にも地衣類が繁殖している。
この石祠は、おそらく「大山社(祭神:大山祗大神)」だと思われる。
石祠の右脇には金比羅社の石の扉が落ちている。

大山社の左隣の石祠は石の扉が石祠に立て掛けてあり、祠内に「作神社」の表札。

14作神社

石作神社や鏡作神社は知っているが、作神社なんて初めてだ。
もしかすると、石神社(しゃくじんしゃ)・御作神社(みさくじんしゃ)の系統の1社なのかもしれないと推測したところ、この作神社に対して、大山 亮さんからコメントがあり、作神の存在が確認できたことから、作神を調べてみたところ、『世界大百科事典』の【田の神】の項目に以下の説明がありました。

…水稲農耕を主とする日本では民族信仰として農神をまつる習俗は古くからあり,記紀には稲霊(いなだま)の〈倉稲魂(うかのみたま)〉や穀神の大歳神(おおとしのかみ)の名がある。民間では,この農神は一般に田の神というが,東北地方では農神(のうがみ),山梨・長野で作神(さくがみ),近畿で作り神,山陰東部で亥の神(いのかみ)などとも呼ばれる。東日本ではえびす,西日本では大黒を田の神と考える地方が多く,漁業神・福徳神とは別の信仰となっている。…

新城市は地域的には長野が近いので、長野の作神が勧請されてきたものである可能性が大きそうです。

作神社の左隣の石祠には外側に石の扉と直方体の石棒が立て掛けられており、石祠内に「山神社」(やまがみしゃ/祭神大山咋神)の表札。

15山神社

石祠内の表札の裏面には河原石ではなく、2本の石棒が納められている。
それで、石棒(=柱?)1本が1社の山神社として、3社の山神社が合祀されているのではないかと推測したのだが、本当のところは判らない。

山神社の左隣の石祠には「秋葉社」(祭神:火之迦具土神)の表札。

秋葉社の左隣、9棟目の石祠には石の扉が石祠に立て掛けてあり、祠内に「荒神社」の表札。

画像8

ここの状況からすると、祭神はスサノオと推定できるが、私見ではアラハバキであると考えている。

この9棟の石祠で最大の謎は大山神社の石祠の外側と石祠内にあった、3本の直方体の石棒だった。

9棟の石祠を見た後、社頭に向かおうとして、石祠群の祀られた基壇が隅にある、砂利が敷き詰められた矩形のスペースの端の表参道に面した場所に、1基だけ常夜灯が設置されていたが、竿(さお)部分に「津島牛頭天王社」と刻まれているのに気づいた。

17津島牛頭天王社

18津島牛頭天王社

「津島牛頭天王社」とは現在の津島市に総本社の存在する津島神社(主祭神:建速須佐之男命)のことだ。
この常夜灯はこの石祠群の中でもっとも大きな石祠である牛頭天王社と関係のあるものと思われる。
岩倉神社には素盞嗚尊が祀られており、その関係で岩倉神社の周辺に祀られていた津島牛頭天王社がここに合祀され、時間を経て石祠となったものだろうか。

◼️◼️◼️◼️
御用地遺跡から出土した後頭部結髪(けっぱつ)土偶を元にして巡ってきた安城市を中心とした遺跡や神社巡りはこれで終了ですが、安城市は神社の多い場所であり、多くの時間を楽しむことができました。
愛車が修理待ちになってしまったことと、雨が続いていることから、大宮狐塚 石座神社と大宮 岩倉神社の一部が取材できずに終了になってしまったのが残念。
御用地遺跡シリーズを引き伸ばすために、noteの記事作成を3日に1度ペースだったのを4日に1度ペースに落としていたのですが、ついに間に合わずに終了となりました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?