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伊川津貝塚 有髯土偶 29:出現した周溝と消えた落葉

愛知県名古屋市南区呼続(よびつぎ)の稲荷山(いなりさん) 長楽寺の次の目的地、曽池遺跡は長楽寺、その前の記事で紹介した富部神社(とべじんじゃ)、呼続公園の3つの施設とほぼ重複していました。曽池遺跡は曽池を中心とした地域と思っていたのですが、呼続公園内で撮影してきた案内板の写真を見ていたら、地図内に曽池遺跡を示した図があって、それを見たところ、曽池は丸ごと曽池遺跡から外れていることに気づきました。しかし、撮影してある写真は曽池を中心に撮影してあるため、撮影し直す必要が出てきました。しかし、昨日は雨で撮影ができず、本日が晴れの予報だったので、本日を待って、朝から撮影し直したのですが、昨日の段階で曽池遺跡の水源は曽池遺跡の東南東280mあまりに位置する桜神明社とする情報に遭遇していたので、曽池遺跡を紹介する前に桜神明社の水源と曽池の間を辿ることにしました。現在水路が残っていない部分は推測になります。

愛知県名古屋市南区呼続 曽池遺跡
名古屋市南区呼続 曽池遺跡

『曽池遺跡 発掘調査概要報告書』(1996 名古屋市教育委員会)によれば、曽池遺跡からは縄文晩期の竪穴式住居や中世の掘立柱建物の遺構が見つかっており、曽池の周辺からは土師器や山茶碗が、グラウンド造成の際にも須恵器が出土している。
個人的に興味があるのは、とりあえず縄文時代なのだが、縄文人がこの地に住居を構えたのは飲料水が容易に手に入ったことは大きな要素だと思われる。
となると、曽池と周辺に位置する水源の存在は個人的に興味の魅かれるところなのだ。
そして、湧水は微量だが現在も曽池遺跡の範囲内に複数存在するようで、それが原因で谷の部分の湿地が保たれているのかもしれない。
一方で、呼読公園内の案内版「曽池の水源について」によれば、曽池の水量と水源を確保するために井戸から汲み上げた地下水も利用されているという。

とにかく、かつての塩付街道(しおつけかいどう)を辿って、朝9時半ころ南向きの桜神明社の社頭に到着した。

愛知県名古屋市南区呼続 桜神明社 社頭

社頭を通り抜けているのが塩付街道で、桜神明社の東側(上記写真右側)は名鉄の路線に面している。
桜神明社の社内には桜神明社古墳も存在し、桜神明社には複数のテーマで何度も訪れている。
社頭は狭い塩付街道なので、邪魔にならない場所に愛車は駐めてきた。
鳥居をくぐるとすぐ、表参道は左に折れ、西に向かっている。

それにしても、近年のGoogle Mapは図がかなりいい加減(褒めてないよ)に改変されている。
正確な距離を見ようと航空写真モードにしたら、航空写真にレタッチを入れて、入り口の位置が変更されていた。
航空写真の入り口をわざわざ書き換える目的がわからない。
何かの事故なのだろうか。

それはともかく、表参道を20mほど西に向かうと、今度は右に折れ、折れるとすぐニノ鳥居があり、その正面奥に拝殿が位置している。

名古屋市南区呼続 桜神明社 二ノ鳥居/拝殿

この拝殿の裏面(北側)に高さ約6m直径約42mの桜神明社古墳があり、その墳頂に桜神明社の本殿が祀られているのだ。
拝殿前で挨拶して西脇に回ると、拝殿と本殿の間に新しい建物あったが、幣殿ではなく、倉のようだ。

呼続 桜神明社 桜神明社古墳/本殿

この古墳は2段になっているので、下の段を利用して新しい建物は建てられたようだ。
曽池の水源はどこだろう。
縄文人のいたころは、まだ桜神明社古墳も桜神明社も存在していなかったので、この社地の何処かから湧き水があったのだろう。
社地内のうち、桜神明社古墳のある北側は禁足地になっているので、入っていくことはできないのだが、最初にここにやって来た時には墳墓の麓には入った記憶がある。

社地内には湧き水の痕跡は見当たらないし、井戸に関する情報も無い。
それで社地内を出て、社地の西側に沿った路地から桜神明社古墳の北側部分を観ようと、南側から路地に入り、北に向かった。

すると、社地内(下記写真右側)から出ている水溝とマンホールがあることに気づいた。

愛知県名古屋市南区呼続4丁目 路地 水溝/マンホール

まず、水溝だが、ちょうど、社地内の北側の禁足地(奥の横長のブロックを重ねた塀部分)と南側の参拝用地(手前の縦長の溝の入ったブロック塀部分)の境目から路地に出てきている。
おそらく、社務所で使った生活用水の排水のための水溝ではないかと思われる。
マンホールの蓋は下水管の蓋なので、この路地の地下を下水管が通っているのだと思われる。
水溝が西(曽池のある方向)に延びていることからすると、水溝の用水は地下の下水管には落とされていないようだ。

まずは桜神明社の禁足地部分を外側から観るために、さらに桜神明社の北端に向かった。
途中、住宅の間に挟まれて左(曽池のある西)に向かう、水路候補の路地を2つ見つけた。
住宅の間を流れている狭くて曲がりくねった路地は、元が水路だった場合があるのだ。

桜神明社の北端まで行って、禁足地内を見て驚いた。

名古屋市南区呼続4丁目 路地 水溝

なんと、桜神明社古墳の周溝に水が溜まっていたのだ。
(上記写真右下端はコンクリートブロック塀の上面だ。)
昨日の雨量が多くて溜まったのか、いつも雨が降れば溜まるのか不明だが、ここに水が溜まることを初めて知った。
ちょうど、倒れかかった樹木の根本まで水位があって、水の溜まる部分には1本も樹木が生えていないことからすると、いつも雨が降ると、この周溝はこの水位を保つようにしてあるのかもしれない。

もしかすると、ここに湧き水があって、周溝に水が供給できることから、ここに古墳を設けた可能性も考えられる。
湧き水は周溝のどこかにあって溢れた水を曽池に流していたのかもしれない。

排水に利用された当時の水路は航空写真を観ると、さっきの水溝の通っていた部分に可能性を強く感じる。
水溝の場所まで戻って、ワイヤーネットの塀越しに水溝の行手を見てみると、水溝の左側(南側)にデッドスペースが水溝に並行して奥に延びている。

呼続4丁目 路地 水溝/デッドスペース

これはかつては幅の広い水路が存在した可能性を示していると考えられる。
水溝は先で右にカーブして死角に入ってしまっているが、この先は私有地が続き追いかけられなかった。
だが、1本北側に並行して西に向かう路地があったので、その路地に入って行ってみた。
しかし、その路地は15mほどで壁に遮られ、西には抜けられなかった。
それで、さらにもう1本北側の路地に入って行ってみた。
今度は怪しい路地を30m近く抜けると軽四輪なら入ってこれる幅の路地に抜けた。
この幅の広い路地はクランク状に折れていたが、80mあまりで、旧東海道に抜けた。

途中の路地から私有地内を東(下記写真左手)から西(下記写真右手)に抜けている帯状の部分を撮影したのが以下の写真だ。

呼続4丁目 路地 私有地内

今度は旧東海道側から水路として桜神明社につながりそうな路地を探しながら旧東海道を南に向かった。
途中、2ヶ所、水溝に繋がりそうな場所があったが、2ヶ所とも旧東海道に面した部分が路地ではなく私有地で、中に入っていくことができなかった。
これは旧東海道を挟んだ向かい側も状況は同じで、中には入って行けなかった。

それで、清水稲荷神社の表参道を横切って旧東海道と並行して南北に延びる道に入り、北に向かった。

1ヶ所、やはりデッドスペースになっている路地、あるいは空き地を見つけた。

呼続4丁目 路地

これは路地の奥(東)に入って袋小路になっている奥側から南北に延びる道側(西)を向いて撮影したものだが、何のためのスペースなのか解らない空間だ。
奥の電柱の左側が清水稲荷神社境内。

電柱の右側が稲荷山 長楽寺境内で、すぐ右手奥に湧き水のあった谷が存在する。

長楽寺の石門から中に入ると朝ということで、各部所のメンテナンスの担当者がかいがいしく動き回っていた。
その中を谷に向かった。

驚いた!
前回やって来た時にはうず高く積もっていた谷の落ち葉は雨で流され、ほとんど姿を消し、水源のあった場所には白い砂地が露出していたのだ。
以下の写真は水源側の谷の土手の中腹まで降りて、土塁上を通っている表参道と、その下を通り抜けている水路の入り口と水源の砂地を撮影したものだ。

呼続4丁目 稲荷山 長楽寺 水源/表参道

以下の写真は土塁上に上がって、表参道を北に向かって撮影したもの。

呼続4丁目 稲荷山 長楽寺 表参道

(この項続く)

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昨年の10月に稲荷山 長楽寺の水路を見に来た時には、ほとんど水が無かったので、雨が降った直後の水路を見たいということも、本日撮影を決行する動機になりました。

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