今朝平遺跡 縄文のビーナス 44:林道の入り口
愛知県豊田市川面町(かわもちょう)奥山の名称不明の橋から足助川に沿って走る県道33号線を460mあまり下ると、足助川(あすけがわ)に架かった川上橋前に出ました。
川上橋はここまで下って来た足助川ではもっともコストのかかった橋で号線不明の舗装された2車線道路が通っており、足助川の左岸(下記写真向こう岸)に渡ったその道路は右手にカーブして登りになっているようだ。
また、足助川の上記写真向こう岸では足助川に沿って左に向かう分岐道も存在する。
ちなみに右手にカーブした道はトンネルを抜けて足助川の南1kmあまりを並行して流れている梨野川沿いの怒田沢町(ぬたざわちょう)に抜けるようだ。
川上橋の親柱は黒御影石が使用され、大きな銅板のネームプレートがはめ込まれていた。
川上橋の歩道は白い線が引いてあるのみで、しかも、そのほとんどが消えてしまっているのだが、通る車がまったくいないので、橋の中央まで出て、上流側を見下ろすことができた。
川床まではかなり距離があり、高所恐怖症の私には身を乗り出すのは無理な高さだった。
川幅はここまでで最大の20mあまりだが、足助川の河原は左岸は雑草がほとんど生えてなく、何らかの樹木の苗木が植えられているように見える。
一方、右岸はびっしりと雑草におおわれていた。
水面幅は3mくらいだろうか。
川床に埋まっている石や川縁の石は角の取れていない中型の石が主になっている。
橋の下流側を見下ろすと、川上橋の高さが高木の梢よりやや高いくらいであることが判った。
川床には上流側とは異なり、大型の石が多く見られ、橋から10mくらい下流までは川床は平だが、それ以降は階段状になって下っているようで、白い飛沫が立っている。
33号線に戻り、さらに下った。
一気に1.5kmあまり下ると、足助川に架かった橋の前に出た。
橋の親柱脇のコンクリートブロックには「枝玉橋」と刻まれた特殊な表面加工の施された金属製のネームプレートが取り付けられていた。
「枝玉」(川面町)とは足助川左岸川の字名で右岸は「伊保滝(いぼたき:川面町)」となっている。
「伊保滝」と言われると、「イボ取り伝承」のある滝を想像してしまう。
豊田市には伊保滝のほぼ真西184kmあまりの籠川右岸に面した「伊保町」が存在する。
「伊保滝」に関する字名由来の情報は無いが、『葵エンジニアリング』の公式ウェブサイトによれば、豊田市「伊保町」の地名の由来に関して、以下のようにある。
「イボは漢数字の五百を指し、家屋の戸数、あるいは水田が多く集まった郷を表現した地名と推察される。」
この由来は豊田市「伊保町」に関しては見事に当てはまっているのだが、「伊保滝」に関しては家屋、水田は皆無で、100%森林になっている。
滝のあるような流れも存在しないようなので、「滝」は伊保滝沿いの足助川に存在するのかもしれない。
一方、川面町「枝玉」に関しては他地域を含めて、情報は見当たらなかった。
枝玉橋は鉄製の手摺りを持つ欄干に既成のガードレールを組み合わせ、白色で統一した質素な橋だった(ヘッダー写真)。
ヘッダー写真向こう岸が左岸の枝玉だが、枝玉橋右岸が入り口になった林道 大日影線が枝玉に向かっているが、この林道は山間を通って足助町に向かっているようだ。
枝玉橋の中央まで出て、上流側を見下ろすと、川面までは川上橋に近い高さがあった。
水面幅はこれまでではもっとも広がっているようで、8mはありそうだ。
その河川敷は左岸に少し見えるものの、両岸は切り立っており、灌木が川面に覆いかぶさっている。
枝玉橋から10mあたり以上離れた上流の川床には比較的角の取れた巨石がいくつも転がっているが、枝玉橋の上流10mあたり以降は川床の石は少なくなっている。
左岸(上記写真右手)には大きなビニールハウスが設けられている。
枝玉橋の下流側を見下ろすと、枝玉橋の上流側から石の減った川床の状況は下流川にも続き、川床に見える石は姿が減っている。
しかし、枝玉橋に近い場所に谷積になった石垣の塊が川床に倒れている(赤丸部分)。
護岸の石垣が鉄砲水で剥がれて流されたようだ。
下流側も両岸は雑草と灌木で覆われ、川縁に出るのは難しそうだ。
左岸(上記写真左手)の丘陵上には畑地が見える。
住宅も8棟ほどが左岸側だけに存在する。
33号線に戻り、720m近く下ると、足助川に架かる鉄筋造りの橋の前に出た。
ネームプレートは見当たらないが、調べてみると、怒田沢橋(ぬたざわばし)であることが判った。
この橋の下流60mあまりで左岸側から足助川に合流している怒田沢川から名称を取っているようだ。
「怒田」という地名は各地に存在するが、千葉県君津市の「怒田(ぬだ)」の場合は湿地を指す「ぬ(沼地)・た(処)」からの当て字変更としている。
また、高知県大豊町の〈「怒田(ぬた)」の場合は「布田」からの当て字変更で、雑草の繁茂する湿地〉としており、いずれも「湿地」を意味しているが、ここ怒田沢橋周辺の状況には「雑草の繁茂する湿地」が当てはまっていると思える。
ところで、怒田沢橋は欄干が、ここまで経由して来た橋と比較して非常に強固な造りになっている。
大型トラックでも通る用途でもあるのかと推測したが、怒田沢橋を渡っている道は33号線から分岐する県道367号線であることが判った。
橋の造りが強固なのは県道としての規定があるのかもしれない。
367号線は梨野川面線ともいい、川面町の県道33号線と南3kmあまりに位置する豊田市梨野町を通っている国道420号線を結ぶ県道だ。
怒田沢橋上から上流側を見下ろすと、川面までの距離はずいぶん近くなって来ており、川縁の建物の2階の高さまで下がっていた。
川幅は10m近くあり、右岸(上記写真左岸)側は怒田沢橋の上流15mほどまでは40%ほどが土砂よりも河原石が主体で堆積しているのだが、その上流は中型の河原石がびっしりと川床を埋めてしまっている。
こんな川床は足助川では初めての状況だ。
その河原石で埋まった川床のすぐ下流側で、左岸側から水が足助川に噴出している(赤丸部分)。
地図のその部分には水路は記されていないのだが、小さな急流でも流れているのだろうか。
怒田沢川を足助川への合流点から遡って見ていくと、上流560m近い場所から畑地を通る用水を取っているようで、その水が怒田沢橋の上流側に落とされている可能性が高いと思われた。
左岸の樹木は非常に濃く、枝葉が足助川にせり出している。
一方、怒田沢橋の下流側を見下ろすと、足助川の中央に雑草に覆われた中州ができており、川床には大小雑多な非常に多くの石が転がっていた。
下流側は両岸とも樹木が濃く、下流を覆い隠している。
◼️◼️◼️◼️
足助川を辿っていて、足助川に架かっている橋が複数の林道の入り口になっていることに気づきました。足助川だけではなく、林道への分岐道の支点として県道33号線が並行して通っていることが要因になっています。林道をモーターサイクルで走る楽しみは経験したものでないとなかなか理解できないでしょう。しかし、人為的なものが自然の中に混じっている場所を辿ることを楽しみにしている私にとっては、日本列島各地のそうした林道も順次舗装化されてきており、オフロードだった林道は消滅しつつあります。そのために現在はモーターサイクルも「オフロード車」と呼べるカテゴリーの車種はほとんど姿を消してしまっています。理想的には購入した長ネギやゴボウをシート下に詰める買い物用スクーター、どんな林道にも入って行けるのを目的としたオフロード車、幹線道路なら日本列島のどこにでも行けるグランドツアラーの3車種を所有するのが理想なのですが、買い物用スクーターの能力が上がり、150ccのダート対応の軽量スクーターを手に入れたことから、オフロードにも高速道路にもダート対応の軽量スクーターで入って行けるようになっており、県内では所有しているグランドツアラーの出番はまったく無くなっています。