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中条遺跡 土偶B FIN:輪中の水屋

岐阜県海津市海津町にある木曽三川公園(きそさんせんこうえん)の展望塔を降り、展示室に寄りました。

●中条遺跡 土偶B

展示室に展示されているものは木曽三川地域の地形の歴史から生物に至るものまで、多様なものが紹介されていました。
動画で説明されているものも多く、時間が足りないので、観られたのは1本のみ。
写真で紹介できるものは木曽三川に生息する鳥類と魚類、その環境を再現した展示でした。
ちゃんとライティングもされていて、本物をあり得ない画角で撮影できます。
以下は河原に卵を産みつけたコチドリです。

8コチドリ

以下も木曽三川の水底を再現したものですが、日本には食品サンプルの技術がありますからね。

9木曽山川魚類

閉園時間が迫っているので、展示室を出て、輪中(わじゅう)の農家に向かいました。

農家前に到着すると家屋群は1.3mほどの石垣の上に配置されていました。

10輪中の農家

案内書によれば、明治時代中頃の比較的豊かな農家の復元で、母屋・水屋(みずや)・納屋で構成されているとあります。
石垣を取り囲む生け垣も、石垣の上の生け垣も流されて来たものが直接石垣に当たらないようにしたり、邸内から流れ出したものを止める役割があるのだと感じました。
生け垣は水は通すものの、物は通さないし、根が抜けて他のものに当たったりしても大きな傷をつける事もなく、人工的な塀より水害には有益だと思われます。
瓦葺の門が立派ですが、我が実家の門が伊勢湾台風の時、凧のように飛んで、隣の畑に刺さっていたのを思い出しました。
門の右手の白壁の家屋が納屋、門の奥の見えにくい家屋が母屋、門の左手奥の背の高い建物が、輪中特有の水屋です。
標準的な輪中農家の断面図は以下のようになっています。

11輪中の農家断面図

想定している浸水線は過去の経験則によるものでしょう。

かつての農家は以下の写真のように周囲を濃い常緑樹で囲い、舟を利用しており、車の普及する前の時代、狭い農道を利用するより、舟を多用していたようです。

12かつての輪中の農家

門をくぐって正面の母屋に向かうと、まず、異例に長い軒下に舟が掛けてありました。

13上げ舟

こうした姿から「上げ舟」と呼ばれていました。
自動車が普及した後も、水害時に使用するため各家庭の軒下に舟が保存されており、輪中の風物詩でしたが、水害のほとんど無くなってしまった今、舟は老朽化して輪中から姿を消してしまいました。

「上げ」は舟だけではなく、最も大切な財産である仏壇も「上げ仏壇」となっていました。

14上げ仏壇

上記写真は母屋の仏壇前に展示されていた建築模型ですが、仏壇を引き上げるロープは屋根裏の滑車を通して屋外から引き上げられるようになっています。
つまり、屋根裏に仏壇が入るスペースが必要になるわけです。
母屋自体は部屋が田の字造という4室が田の字型に並べ、間の襖や障子を取り払えば、自宅で冠婚葬祭が可能な1室に変化するようになっている。

15主屋田の字造

そして、この建物は洪水があった場合、流れて来たものが壁に当たって家が傾いたりしないように、水路の方向である南北面に壁は設けず、取り外しのできる障子戸だけにしてあり、水が通り抜けやすくしてある。

母屋の前庭を通り抜けて西の水屋に向かった。
母屋を洪水や伊吹おろしから守るために敷地の北西に設けられることの多い背の高い水屋だが、案内書には以下のようにあった。

洪水時の避難所として大切なものを高い場所において、水害から守るために作った小屋です。この水屋は住居倉庫式水屋と呼ばれ、典型的な水屋のつくりで、屋根は瓦で土の壁が多く、その上を板で囲んで雨や風に備えています。

背の高い(3mほどある)石垣の上の敷地いっぱいに黒く染められた簓子張り(ささらごばり)の板壁と白壁に包まれた切妻屋根の建物が水屋だった。
石垣に沿って、急な石段がついているが、ステンレス・スチールの手すりは見学者を守るためのもので、実際には着いていないと思われる。
足元のおぼつかない者では水屋は利用できないだろう。
水屋の石段を上がると、最初の部屋は土間になっていましたが、この水屋の屋内には以下のような4つの部屋がありました。

●土間
壁際に棚が組まれており、そこに甕が並べて保管されていた。
甕には味噌、醤油、梅干、飲料水などが、洪水に備えて備蓄されているという説明学がありました。
ここは「味噌部屋」とも呼ばれました。
●座敷
畳敷の部屋で、長持、箪笥、行灯などを備え、洪水が長期に渡る場合は、家主はここで寝起きしました

17水屋座敷

●倉庫
米、麦、切干芋、塩などの食料を、俵や桶に入れて普段から備蓄されていました。

18水屋倉庫

●二階倉庫
「ほり込み」とも呼ばれたと説明書にあるが、「放り込み」の意味だと思われる。
日常では使用しない道具などがこの部屋に保管された。

こうした洪水対策目的の石垣を持つ家屋は現在も輪中内で見ることができます。
だが、洪水のリスクがほぼ無くなった現在、新たに石垣を組んで、洪水時にしか必要のない水屋を築造して敷地を占める水屋を建造するケースはほぼ絶滅している。

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中条遺跡に引っ掛けてやって来た輪中の地だったが、近年は想定を超える地震に起因した津波や観測史に無い集中豪雨による被害があり、改めて水の怖さを突きつけられている状況だ。
もし、想定を超える天変地異が起きれば、それに対応するための新たな住居文化が起きる可能性は皆無ではないと思えます。

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