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麻生田町大橋遺跡 土偶A 64:陰陽を整える

津島市橋詰町の秋葉神社の目の前には天王川の流路が廃止されたことで残された天王川の一部が大きな池となり、広がっていました。この池を中心にして津島市最大の祭、天王祭が行われるのです。

●麻生田大橋遺跡土偶A

1MAP橋詰町 秋葉神社

2MAP橋詰町 秋葉神社

3MAP『尾張国海西郡津島之図』

橋詰町 秋葉神社の南々東向きの境内は社頭を東西に通っている一般道から5mあまり引っ込んだ形で玉垣で囲われていた。

1橋詰町 秋葉神社社頭

社頭の玉垣の外側には一般道に向け、「秋葉神社」と刻まれた社号標。
境内の入り口には石造伊勢鳥居が設置され、コンクリートでたたかれた表参道が鳥居をくぐって奥に延びているが、参道の奥には1本柱の石造の献灯台が見えるのみだ。
社頭の道路を挟んだ向かい側に広い三角の空き地があったので、そこに愛車を突っ込んだ。

秋葉神社の鳥居をくぐると、表参道の両側には献灯が並んでいた。

2橋詰町 秋葉神社表参道

右手奥に剪定された灌木の垣根があって、その向こう側に銅版葺屋根がのぞいている。

表参道は鍵形に2度折れて、灌木の垣根の正面に2mほどの高さの石垣が組まれ、瑞垣の中の中央に「秋葉神社」、向かって左に「金刀羅宮」、右に「大土社」の石板の表札が表示された3社が祀られていた。

3橋詰町 秋葉神社

石垣の前には砂利を敷き詰めた玉垣で囲われたスペースが取ってある。

3社の中で興味を惹かれたのは初めて遭遇した「大土社」だ。

4橋詰町 秋葉神社大土社

橋詰町 秋葉神社に関する情報はネット上に紹介された写真しかなく、大土社の祭神に関する情報は見当たらない。
大土社の総本社を探すために「大土神社」でネット検索してみると、神戸市に大土神社があり、祭神が天照皇大神とあった。
天照皇大神が祀られているのなら、一般には「神明神社」とするところなので、「大土」という地名があるのかもしれないと考えたが、地名に「大土」は存在しなかった。
しかし、橋詰町 秋葉神社を振り返ってみると、秋葉神社の脇に天照皇大神が祀られているというのは違和感がある。
ほかに「大土神社」がないか調べてみると、津島市今市場町1丁目に大圡社が存在し、石神様が祀られているという情報にぶつかった。
「土」が「圡」となっているのが気になったが、今市場町1丁目の場所を調べてみると、大圡社はこの記事の最上記の地図内に表示したようにレイライン内に祀られている神社であることが判った。
しかし、Google地図に表記されている場所をストリートビューでチェックしても、その場所には2階建ての民家があるのみで、神社らしき建物は見当たらなかった。
Google地図の場所表記はあてにならない場合があるので、YAHOO!地図で検索してみたところ不思議なことが起こった。
愛知県津島市の住所+大土神社で検索しているのに、以下のように石川県の中のポイントが表示されたのだ。

6大土町 大土社

拡大してみると加賀市の大土神社(おおずちじんじゃ)で、祭神は天照大神となっており、神戸市の大土神社と同じ祭神なのだが、加賀市大土神社の場合は町名が「大土町」となっている。
それでも天孫族であるアマテラスと「大土」という名称にどうしても違和感があるのと、大圡社の石神様が気になっており、改めて津島市の今市場町1丁目全域をチェックして大圡社を探してみることにした。
すると、Google地図の表記のある場所の北西30mあまりの場所に大圡社を見つけた。
改めてその大圡社を大圡社に南面している県道側からストリートビューで見てみると、見覚えのある社頭だった。

7今市場町 大圡社社頭

調べてみると、7年前に訪れたことのある神社だったのだ。
この神社に来た時の目的は大圡社ではなく、社内に祀られている石が目的だったので、社号標を見て「大玉社」なのかなと思ったらしく、撮影した写真は「大玉社」の名で整理してあった。
正しい社名「大圡社」の「圡」は「土」と同じ発音で同意だという。
それではなぜ、二種類の「オオツチ」の社名が存在するのか。

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「大圡社」の方は上記のように社名の文字の画数の陰陽を整える(交互に並べる)ためだったと思われる。
そのために社名も「大圡神社」ではなく大圡社にしたのだろう。

大圡社   大圡神社   ※「神」の本来の漢字は「示申」で、10画になります
三四七   三四十七
陽陰陽   陽陰陰陽

陰陽を整える隠し技は「点」を追加すること以外にもあり、旧い社号標で、こうした系統の社号標を見かけることがあるが、それも風化とともに姿を消していっている。
陰陽を整えることは個人名でも行われ、姓名学では陰陽が交互に並ぶ名は良い運気の名ということになっている。

山乃辺 時久
三二五 十三
陽陰陽 陰陽

小生のハンドルネームは陰陽を整えてあります\(^ェ^))/
姓名の運気を表す画数の合計の3つの数字を、すべて良い数字としつつ、陰陽を整えるのは至難の技です。
自分の姓名の画数が良い数字しかない人は、自分の名の陰陽が整っているかどうか、確認してみてください。
陰陽が整っていなくても、自己責任でお願いします。
「山乃辺 時久」は3つの画数の合計の数字も整っている奇跡の名前です。
名称登録しておけば、商品になるかも。
「山乃辺 時久」モナカ😊

冗談は置いといて、『owari-oyajiの放浪記』というサイトに
https://owari-nagoya55.hatenablog.com/entry/65272759

今市場町 大圡社に関する唯一の詳細情報がありました。

大圡社は「津島神社」の境外社
 創建 : 不明、古い祭礼図から1781年(天明元年)以前に遡る
御祭神 : 大土御祖神
 末社 : 石神社、琴平社
この二社、元は今町辻に鎮座していたが1910年に焼失、1914年にこの地に遷座したもの

上記にある末社石神社が石神様であり、大圡社の祭神は大土御祖神(おおつちのみやおのかみ)ということになる。
大土御祖神であることが判れば、その総本社は神宮外宮の摂社土宮(つちのみや)ということになる。
伊勢神宮崇敬会によれば、大土御祖神は外宮域の地主神であり、宮川の氾濫を治める堤防守護の神として祀られた神だという。
堤防守護の神ということから、今市場町 大圡社は天王川の堤防下に祀られ、かつての天王川堤防上の秋葉神社内に勧請されたのかもしれない。
秋葉神社境内社大土社から今市場町 大圡社本殿まで440mあまり。
『古事記』によれば、大土御祖神は大年神(オオトシ)と天知迦流美豆比売神(アメシルカルミヅヒメ)の御子神とされている。

不思議なのは神戸市と加賀市の大土社の祭神が大土御祖神ではなくアマテラスになっていることだ。
この謎は神宮内宮に大土御祖神社が祀られていることと、関係がありそうです。
神戸市と加賀市の大土社は大土御祖神の名前が売れていないことから、大土御祖神社の本社である内宮の神アマテラスにすり替えられた疑いが生じることになります。
しかも大土御祖神社の祭神は誰でも大土御祖神だと思うよね。
ところが大土御祖神社の祭神は以下三柱となっており、大土御祖神は影も形も無いのだ。

・大国玉命
・水佐々良比古命
・水佐々良比賣命

外宮境内別宮土宮、内宮摂社大土御祖神社、今市場町 大圡社、橋詰町 秋葉神社境内社大土社、この4社の関係を整理すると以下のようになっている。

●神宮 外宮境内別宮土宮今市場町 大圡社
                →橋詰町 秋葉神社境内社大土社
●神宮 内宮摂社大土御祖神社=今市場町 大圡社とは無関係

ここでも神宮の外宮と内宮の間には大人の事情がありそうです。

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石神様についても書こうと思っていたのですが、本文が長くなりすぎたので、次の機会にしようと思います。


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