今朝平遺跡 縄文のビーナス 36:不動明王の利剣と羂索
愛知県足助町(あすけちょう)天伯神社から足助川に沿って上流に向かう県道33号線を登っていると、1.6km以内の左手に朱の鳥居と朱の幟が林立している場所に通りかかりました。
ここは足助町を出て桑田和町(くわだわちょう)に入っており、県道33号線の歩道に沿って、朱の鳥居、「不動明王」と刻まれた名号標、案内板『荻野不動明王』(ヘッダー写真)、木のベンチなどが並んでいた。
荻野不動明王側のように歩道の無い代わりに車を止められるように33号線に膨らみが設けられている車道の向かい側に愛車を駐め、朱の鳥居の前に立つと、参道はいきなり降りの石段になっていた。
石段の下には不動堂らしき建物、滝、小さな朱塗りの堂が見えている。
石段を中ほどまで下って、ふと正面を見ると、遠方に入母屋造棟入で躯体を朱塗りにした堂らしくない小堂が目の高さにあった。
小堂の右下に滝があり、幅を持った水が落ちている。
滝の高さは6mほどだろうか。
その滝に向かうように岸の端に銅板葺切妻造の堂が設置されている。
石段を降りてその堂に向かった。
堂には扉が無く、吹きっぱなしになっている。
堂内を見ると、正面の群青色の箱は逗子だろうと予測していたら燭台であることが判った。
ここには不動明王は奉られてなく、拝所であることが判った。
拝所は腰まで3方が白壁になっており、正面奥は格子窓、吹きっぱなしの両側面には縦格子が取り付けられている。
本来は4面が吹きっぱなしになっていたのが、拝所内を守るために正面以外の3面の窓の外側に透明なポリ塩化ビニルが張ってあった。
その透明なポリ塩化ビニルの窓を通して滝の瀑布が光を反射しているが、室内に下がっている千羽鶴も極彩色の瀑布といったところだ。
拝所を出て拝所脇の先端部に出ると、水の落ちる崖は上部が前に少し突き出ており、水が岩を伝って落ちるのでなく、上部から落ちているので、水量が少なくても瀑布になっていることが解る。
その滝の脇に人為的な基壇を設けて、銅板葺で、やはり扉の無い朱塗りの小堂が、こちらを向いている。
この小堂内以外に不動明王像は見当たらないので、小堂内に不動明王が奉られているのは確実だった。
手持ちだが25倍ズームで小堂の開口部を狙って撮影してみたが、思ったより光量が少なく、ブレブレだったが不動明王像らしきものが確認んできたので、10カットほど撮影した。
もっとも手ブレが少なかったのが上記写真で、ヨーロッパのバロック時代の作曲家のような頭髪をして右手に利剣を立て、左手に羂索(けんさく:紐)をかざしている木彫らしき不動明王像。
通常の憤怒像ではなく、和かな表情をしているように見える。
不動明王像の向かって左隣に途中で割り取られた石柱、そのさらに左隣にネクタイの先をひっくり返したような形の石造物。
逆に不動明王像の向かって右側には赤錆の出た錨(いかり)のようなものが置いてある(上記写真では1部しか見えない)。
よ〜く見ると、同じように赤錆の出たネクタイを逆さまにしたものが不動明王像頭部の向かって右後ろに立てかけてあるのに気づいた。
これを見てそれが利剣であることに気づいた。
同じように石造物の方も利剣だ。
桑田和町は小さな町なので、間違いなく、赤錆の出た利剣と錨は足助町に存在した鉄工所の職人が奉納したものだと思われる。
足助町には小舟を運搬に利用した巴川が流れているので、錨は需要があったのだと思われる。
石造の利剣は、それを見た石工が奉納したものかもしれない。
あるいは石造利剣が先かもしれない。
この利剣は現実の物を切るためのものではなく、人の迷いや煩悩を切り離す道具であることを示している。
また羂索は悪や邪を縛り上げたり、悩んだり、苦しんでいる人たちを救い上げるための道具とされている。
この不動明王に関して、表通りに面して掲示された板書の『由来』には以下のように書かれていた。
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不動明王像は滝のある場所に奉られることが多いのですが、東北では滝のある場所にはセオリツヒメが祀られていることが多く、セオリツヒメを祀った社と不動明王像が一緒に祀られている場合があります。十王堂、天伯神社、滝と、セオリツヒメの関わる場所がレイライン上に並んでいるのは偶然ではないと思われます。