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岐阜県博物館 1:岐阜にシュメールの女神
noteに記事を書き始めて5年4ヶ月。ひょんなことから、マガジンにしてある『私のシンクロニシティー』以来、初めて愛知県外に飛び出した記事を書くことになりました。この記事は時間軸では『私のシンクロニシティー』の前の出来事で、2020年8月上旬のことでした。直後から武漢風邪の流行が起こり、腰の引けた県知事によって、遠出がしにくい状況になってしまったため、記事を書くには及ばない中途半端な取材になっていたところ、愛知県内で麻生田大橋遺跡(あそうだおおはしいせき)、伊川津貝塚(いかわづかいづか)でも土偶が出土していることに気づき、それを記事に追加することになり、ここまで紹介するなら今朝平遺跡(けさだいらいせき)の土偶も紹介してしまおうとなったもので、ますます岐阜県の土偶からは遠ざかってしまっていました。そのまま、4年半が過ぎてしまっていました。何と、大学なら入学して卒業してしまっています。それで岐阜県の土偶を記事にするために、岐阜県ではどんな土偶が出土しているのか知るため、まずは岐阜県最大の博物館である岐阜県博物館に向かいました。
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岐阜県博物館は県庁所在地の岐阜市ではなく、岐阜市の北東に面してV字形に広がった奇妙な形の関市に存在し、そのV字の股の内側には美濃市が挟まっている。
名古屋人としては関市というと、「関の孫六(まごろく)」から名刀や「よく切れる包丁」を連想し、刃物産地のブランドになっている。
「関の孫六」とは刀匠である「2代目孫六兼元」のことだ。
ちなみに三島由紀夫は孫六兼元で切腹している。
それはともかく、以下が世界の刃物の三大産地とされている。
日本=関市
ドイツ=ゾーリンゲン
イギリス=シェフィールド
日本ではシェフィールドよりもゾーリンゲンの方が知られています。
以下が日本の刃物の三大産地とされている。
堺市(大阪府)
関市(岐阜県)
燕・三条(新潟県)
そんな関市には岐阜県置県100周年記念事業として計画された岐阜県百年公園があるが、北側から津保川(つぼがわ)を南に渡り、関記念公園線を南下すると、岐阜県百年公園の入口に設けられた140mあまりの水路を挟んだ美しい並木道があり、その脇の駐車場に愛車を入れると、あとは西南西に位置する岐阜県博物館に登って行く160m以内の道を辿った。
途中、アスファルト舗装された道路で見つけたのが、ヘッダー写真の森の掃除人ニホンキマワリだった。
森の豊かな百年公園は朽木を食料にするキマワリには掃除のしがいのあるフィールドだ。
坂の上にたどり着くと、角ばった鏡面のカーテンウォールを2本の円柱で支えたビルディングがそびえていた。
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ここの入口で初めて体温測定器と遭遇したが、基礎体温が標準より高いので、感染者と認定されたら困るなと思いながら、無事入館できた。
最初の展示室で遭遇したのは2万7千年以上前(旧石器時代)の石製のスクレーパーだった。
スクレーパーとは、ナイフやヘラと同じ用途の工具のことだ。
獲物の皮や脂肪をかきとったり、骨や木を削るのに使用された器具とみられている。
複数のスクレーパーを組み合わせたところ、以下の1コの原材料の石になったのを見せたのが以下の石だった。
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石器時代の合体ロボみたいだが、よく組み合わせできることに気づいたものだ。
これを分解した一部が以下のナイフ形石器だ。
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以下は採集地不詳の下呂石の槍先。
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下呂石とは下呂温泉の東に位置する火山、湯ヶ峰の溶岩が凝固したガラス質安山岩のことだ。
下呂だけで産出する特徴的な石なので、考古学では「下呂石」と呼ばれている。
ガラス質であることから、薄く割り取ると縁が刃物のように鋭く、旧石器〜弥生時代の人には魅力的な石で、特に槍先や矢じりに使用された。
260km以上離れた千葉県、直線距離で北に約100kmの富山県でも縄文時代に下呂石の矢じりが使用されており、原材料になる下呂石は下呂で分割され、すでに交易されていたことが解る。
下記地図は下呂石の見つかっている遺跡までの距離を示す地図だ。
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次の広いガラス室の展示のある部屋に移ると、そのガラス室には縄文時代の洞窟の中という設定で、地面に様々なものが展示されていた。
その中には郡上市美並町(ぐじょうしみなみちょう)で出土した、以下の御物石器(ぎょぶつせっき)が、展示されていた。
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「御物」とは「天子の持物」の意だというが、明治期に展示されたこの石器に「御物となった石器」というネームプレートが付けられたことから、そのままの名称になっている謎の用途の磨製石器だ。
謎の用途の石器=呪術的な道具とされている。
その隣には関市武儀町(むぎちょう)で出土した独鈷石(どっこいし)が展示されていた。
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「独鈷(とっこ)」とは金属製の密教仏具のことだが、この独鈷石は流線型の躯体に2枚の鍔(つば)が付いたもの。
原石は少なくとも鍔の直径だったはずだから、凄い労力をかけて削り出した一体整形の石器で、同じ一体整形でアルミニュウムから削り出されているApple社の製品を彷彿とさせるものだ。
両端に打撃の痕跡は無く、用途不明であり、やはり呪術的な道具とされている。
以下は郡上市白鳥町で出土した石冠(せっかん)。
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冠に似ていることからの名称だが、形はスタンプやハンガー、文鎮の方が似ている。
北海道では縄文時代前期の石冠が出土しているが、中部地方西部を中心に近畿地方や東北地方に分布するものは縄文時代晩期のものだ。
尚、石冠を模した土器が東北地方から出土している。
そして、土偶だ。
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この土偶に関しては「土偶」のネームプレート以外、一切、説明が無かった。
意味不明なので、事務所に行って学芸員に説明を聞こうと思って話しかけたのだが、忙しいのか、興味が無いのか、ほとんど相手にされなかった。
時々、こういう女性の学芸員と遭遇するが、男性でこのタイプの学芸員と遭遇したことはない。
それでも、展示されている土偶は複数の土偶であることだけは判明した。
だが、二つなのか、三つの土偶なのかさえも説明が無かった。
その形態から3つの土偶と判断した。
最初の土偶は腰から上の上半身だ。
実際には横向き(たぶん)に置いてあったが、頭部と思われる部位が上に来るように回転させて以下に表示した。
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頭部には目と口と思われる3つの窪みがあり、左に頭を捻っているように見えるが、爬虫類ぽい。
頭部から胸にぶら下がっているように見える塊は何だろう。
まさか、臍の緒の塊?
右腕は下に垂らしているのだが、左腕はカットされているように見え、割り取られているようには見えない。
ヘソの高さに横線が入っている。
2つ目の土偶は肩から腰までの胴体で腕は無い。
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正面を避けた部分に2列と3列、縦に縄文が入っている。
2列の縄文は腰から肩下まで延びているが、3列の方は、やはり肩まで延びていたのが、擦られて消えているように見える。
3つ目は胸下から股までの胴体で、ヘソの窪みと正中線が入っている。
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女性用のパンティーのような三角形と正中線は、よく土偶で見かけるものだが、これは以下に表示されるシュメールの女神イナンナ像とほとんど同じ表現。
上記3点はいずれも、発掘場所の情報が無く、発掘場所を見に行きたい私の目的には役に立たない展示だった。
ただ、土偶のAとBは不明な部分があって、興味を惹かれたのだが、これ意外に情報が無いので、似た他の土偶に遭遇しないと、新しい情報は入ってこないだろう。
(この項、続く)
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関の孫六の使い手として知られる人物に、新撰組で実戦最強とされた斎藤一(はじめ)がいます。関の孫六も実戦向きの刀であることで知られており、主に中級武士たちに使用されたとのことです。上級武士は刀を指揮に使用することはあっても、めったに切り結ぶことはないので、実戦向きではない短い名刀を使用しました。それでも指揮官が切り結ぶような状況は敗戦が濃厚な状況であり、しかも指揮官は刀よりも鉄砲で狙い撃ちされる可能性が高い。同じ新撰組の土方歳三は五稜郭の戦いで馬上で指揮を執っているところを被弾し、落馬したとされ、その場で絶命したとされる説がある。一方、斎藤は幕末を生き抜き、明治期には警視庁に入所、警部にまで昇進している。斎藤一が映画に主な役所で登場するようになったのはインターネットが普及してからのことで、今では海外から外国人が墓参りにくるようになっている。