今朝平遺跡 縄文のビーナス 68:不動の滝の巨石
昨年は山内丸山に行こうと考えていたのですが、折悪しく、町内の組長の役割が回ってきてしまったため、1週間から10日の遠出の予定を組むのが難しく、しかも夏以降雷雨の予報の連続が終わったかなと思ったら、1週間後には気温が急激に下がり、そのまま冬に向かってしまったため、東北へ向かうのは無理な状況になってしまいました。日帰りのツーリングすらも雷雨の予報の連続で、天候の変わりやすい山間部に向かうのは平野部より降雨のリスクがあり、しかも昨年から愛知県では里山での熊被害も増えており、愛知県の山間部でも幹線道路から離れた場所ではなおさら、熊のリスクが高くなっています。そうしたことから、林道に入るのも以前のように気楽にはできなくなっている状況の中、このままではどこへも行けないうちに年が過ぎてしまうと、焦って9月の中旬に巨石巡りのうちの一つとして向かったのが愛知県豊田市北條平町の大沢不動明王と不動の滝(文中では通称の「大沢不動の滝」と表記)でした。ところがこの記事を書こうと、地図で場所を調べていると、豊田市羽布町(はぶちょう)には正規の名称を「大沢不動の滝」としている滝が存在することに気づきました。
巨石巡りを目的として大沢不動明王と不動の滝に向かったが、興味のあるのは大沢不動明王ではなく、巨石に伴う不動の滝の方だった。
不動の滝に向かう前は稲府町(豊田市)にいたので、足助町を経由し、近道になる山岳部のマイナーな道を経由したことから県道486号線を国道475号線に向かうことになり、475号線から右(北)に向かう分岐道のあるT字路に出た。
T字路の北北西の角には豊田市木瀬町関連の山作り実行委員会の建てた「大沢不動の滝入り口」と朱書きされた看板があった。
大沢不動の滝に向かう道の大半が木瀬町を通っているのだが、肝心の大沢不動明王と不動の滝は北條平町に属しているという、両町は微妙な関係にあった。
看板の北側には「ほたるの里」の看板(上記写真は裏面)とT字路の方を向いた石祠が祀られていた。
この2基の看板と石祠は第3の町、豊田市御作町(みつくりちょう)に位置していた。
分岐道の入り口から90m以内の両脇は御作町なのだ。
つまり、木瀬町関連の山作り実行委員会は北條平町の観光資源のための看板を御作町に建てていることになる。
上記地図では細くて見えにくいが、486号線に並行して木瀬川が流れており、大沢不動の滝から落ちている水は木瀬川支流となって木瀬川に流れ込んでいる。
木瀬川支流は流れが緩やかで、ところどころが池溜になっており、「ほたるの里」の看板はこの支流でホタルが見られことを伝えているのだろうか。
御作町にあるT字路脇の石祠を見に行くと、コンクリートの縁石を持つプールの中に細かな白い砂利を敷き詰め、その奥に拝石と基壇を設け、基壇上に石造の屋根と躯体だけで構成された石祠が祀られていた。
石祠には「天神」と刻まれており、両脇には文字の入っていない石が置かれている。
ほかにも石の欠けらのようなものが置いてあり、石置き場なのか祀られている石なのかよく解らない状況になっていた。
「天神」というと一般に菅原道真公を指すのだが、周辺に住宅のない場所であり、菅原道真公が祀られているとは決まらない。
天神脇から分岐道を北に向かったが、分岐道を入る前の486号線でも1台の車とも出会わず、まったく人気の無い山道なので、熊のリスクがあった。
「出会ったら唸り声で脅す」というダチョウ倶楽部の寺門ジモンの提唱していたテクニックを使うしかないのだが、自分の幸運体質を信じて進んだ。
「大沢不動の滝入り口」から1.2kmほど登っていくと駐車場らしき、道が広がった場所に到達した。
もはやGoogleMapでは位置が表示されない山中だ。
駐車場に着く前に入って来た道の東側に並行していた木瀬川支流と、どこかで交差したらしく、駐車場の西側に水路の水溜があり、水路全面が砂場になっている場所があった。
ホタルには最適の環境ではないだろうか。
砂場以外の水路は雑草に覆われており、隠れ場も多い。
駐車場を通り抜けて、さらに北西に向かう道もあるのだが、水路は北に向かっており、水路と並行するように北に延びる脇道があるので、そちらに向かうことにした。
道はここからダートになっているので、徒歩者のための道のようだが、人がまったくいないのと、私のこの日の愛車はダート対応の小型スクターだったので、徒歩ではなく愛車で滝に向かうことにした。
熊と出会った場合、エンジン音で脅せるかもしれないというのもあった。
砂場前から120m近く進むと、右手がコンクリート垣階段状にして霊神碑を並べた塚が存在した。
最上段の中央に「御嶽神社(おんたけじんじゃ)」の板碑が祀られている。
脇には藤岡観光協会の建てた大きな案内板『御嶽神社「木瀬」』があった。
しかし、この場所は現在は木瀬町ではなく、北條平町であり、山頂のある東はなおさらだ。
かつての木瀬は北條平の方まで広がっていたということなのだろうか。
この塚の右脇から東の山頂に向かう通路があったので、途中まででも登ってみようと思ったのだが、入り口から草がすごくて、マムシのリスクもある場所なので、1歩も入ることができなかった。
御嶽神社 木瀬前からさらに奥に入っていくと道は細くなり、両脇の灌木の枝が完全に道を覆っていて、人がやって来ている気配はまったく感じなかった。
御嶽神社 木瀬前から50mあまり進むと、広場に出た。
広場の左手には社務所らしき建物があり、右手には水路があった。
北側の奥には一枚岩だと思われる巨石の土手が立ち上がっており、その岩の左端から水が落ちていた。
巨石の右脇には純白の仏前幕を張ったトタン張り切妻造棟入の不動尊らしき建物が見える。
愛車を広場の入り口に駐めて、まずは滝の巨石を観に向かった。
巨石には向かって左肩から袈裟状の複数の線が入っており、表面は黒紅から雀茶に焼けている。
また、左肩最上部が円筒状に岩が抉られており、そこから水が落ちている。
水の落差は5mとされているが、現場での印象では10m以上あるように感じていたので、ビックリだ。
下記写真は、なんとか現場の印象を伝えられないものかと、複数の写真を組み合わせてみたものだ。
不動の滝の水はここから北160mあまりに位置する大沢池から流れて来ているようで、この池の名称が不動尊の名称になっている。
大沢池までの道が開かれていれば見てみたいものだが、通路は無いようだ。
大沢池は3方を山の尾根に囲われた池で、自然にできた池のようだが、おそらく周囲のどこかから湧き水が流れ込んでいて、それが水源になっているのではないかと思われる。
不動尊の方を見てみると、水鉢には木曽御嶽神社の神紋が刻まれていた。
吹きっぱなしの堂内には大きな基壇が据えてあり、その上に1体の赤い火炎を背負った不動明王石像が奉られていた。
火炎の他には目と眉、頭髪が黒く染められている。
この不動尊の裏面を不動の滝から落ちた水は流れているようで、そのすぐ下流、不動尊の右隣に自然の地形を利用した塚があり、最上部に大きな板碑、ほかに複数の石碑や不動明王像が奉られていた。
塚の最上部に建てられた大きな板碑の麓に像高30cmほどの不動明王像が以下。
塚の右下の最下層に設けられた高さ50cmほどにブロックで囲った不動尊に奉られていた不動明王像が以下。
後背の火炎と右肩が欠けているが、像としてはこの不動明王像にもっとも魅力を感じた。
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大沢不動明王と不動の滝へのツーリングが2023年度最後のツーリングになってしまいました。