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伊川津貝塚 有髯土偶 69:多様な表情の乳岩川と凝灰岩

愛知県新城市(しんしろし)川合(かわい)の豊鳳二十一弘法大師からさらに遊歩道を北上すると通路は再び、乳岩川に沿う道に戻りました。

中央構造線 愛知県新城市川合 桟敷岩
新城市川合 桟敷岩/乳岩
川合 桟敷岩

乳岩川の河床に転がる石は北上するに従い巨大化してきた。
再び遊歩道に沿った乳岩川の河床は積み重なった赤っぽい凝灰岩(ぎょうかいがん)で塞がれ、もはや水路は見えなくなっていた。

愛知県新城市川合 乳岩川 河床

さらに北上すると、途中で通路は乳岩川に架った橋を渡った。
遊歩道は乳岩川の右岸(西岸)に移り、同時に北上していた。

しばらく歩くと、右手の乳岩川に高さ3mほどの落差工が現れた。

新城市川合 乳岩川 落差工

乳岩川初の落差工だが水量はここまでの乳岩川最多で、このすぐ下流で水路が姿を消していたことが信じられない。
落差工の上流側も下流側も河床は赤っぽく、全体が凝灰岩質であることが判る。

落差工のすぐ上流側では落差工で水量が調整されていることから、水深は浅く流れはほとんど感じない。
しかし、やはり落差工の影響なのか、波紋が多く、光が美しかった。

川合 乳岩川 河床

巨石は姿を消し、大粒の砂利が堆積していた。
しかし、同じ上流を目指すカップル達で、この河床を覗き込む者は誰もいない。

上記河床の、すぐ上流では水面は完全に姿を消していた。

川合 乳岩川 河床

すぐ下流の河床よりも上流なのに、河床には大粒で丸まっている小石が混じっている。

さらに、そのすぐ上流では水深は深くないものの、河床全体が静かな水面で覆われ、後で振り返っても、最も美しい乳岩川となった。

川合 乳岩川 河床

河床には水を透して、美しい木漏れ日が当たっている。
丸まった石の多かったすぐ下流とは異なり、ここでは扁平な石が目に付く。

しかし、この上流では再び河床は巨石で埋まり、そこに土砂が堆積して長時間経っていることから、巨石の上を苔と雑草が覆い、樹木も痩せてはいるが、幹を伸ばしている。

川合 乳岩川 河床

乳岩川の水は山水画のように岩の隙間をうっすらと流れているのみだ。

このすぐ上流で舗装された遊歩道は終了した。
そこには新しい建物のトイレットがあって、地元ボランティアの人たちが車で運び込んだ手洗い用の水の入ったポリ缶が積み上げてあった。
建物の向かい側の土手の麓には複数台の自転車が並んでいる。
やって来た遊歩道では1台も自転車は見かけなかったが、他からの通路でもあるのだろうか。
ここが区切りになっているようで、いきなり狭くなった通路の入り口には『乳岩峡』の看板が出ていた。

愛知県新城市川合 『乳岩峡』看板

ここまで「ちちいわ」だとばかり思っていたのが「ちいわ」であることが判明した。
                                            
この看板には『桟敷岩』の看板が付属していた。
以下の内容だった。

この岩石は流紋岩質凝灰岩(りゅうもんがんしつぎょうかいがん)で二千万年前の海底……………………………………………………………………………………………………

『桟敷岩』看板

二行目は板が風化していて最初の2文字しか読めなかった。

この看板の脇の狭い通路を抜けると、そこは河床の上(桟敷石)だった。

川合 乳岩川 桟敷石

桟敷石には鉄砲水の残り水なのか雨水なのか、水溜りが点在しており、桟敷石に沿った谷が共に上流に向かっている。

水溜りでは、ここの流紋岩質凝灰岩の本色である赤褐色が表示されていた。

川合 乳岩川 桟敷石 水溜り

桟敷石の上を上流に向かうと、河床の途中に自然の落差ができている場所があった。

川合 乳岩川 落差

夏にはこの水路の中を辿れるようになっているのだろうか。

(この項、続く)

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流紋岩とは凝灰岩と同じ火山岩の一種で、花崗岩(深成岩)と同じ成分の石だという。その名称はマグマの流動時に形成される流れ模様が見られることに由来するそうです。火山岩は岩石全体の成分で分類されており、通常は白っぽいものが多いと言いますが、噴出条件や結晶度などにより色彩は多様で、黒い流紋岩もあるそうです。

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