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麻生田町大橋遺跡 土偶A 103:石灰岩の山系

豊橋市賀茂町小深田(こふかだ)の水路合流点の下流170m地点に架かった橋まで下りました。

小深田4番目の橋上〈上記地図内(1)の場所〉から下流側を見下ろすと、牟呂松原幹線水路(むろまつばらかんせんすいろ)に水があるのに比して、左岸側の用水路にはまったく水が無い状態だった。

牟呂松原幹線水路と等幅なのに、用水路に水がまったく無い状況は牟呂松原幹線水路全域の中でも、ここのみ。
左岸に農地が無いわけでは無く、左岸の丘陵側からは複数の水路があり、その水路の用水がおそらく水門で閉じられて、ここまで降りてきていない状況だと思われる。

上記の状況は小深田5番目の橋の下流側でも全く変わらず、その橋からさらに320m近く降って、加茂町富貴の橋上〈上記地図内(2・3)〉に出た。
橋上から上流側を振り返ると、左岸(上記写真右側)に果樹園が現れ、用水が復活している。

一方、下流側を見下ろすと、橋のすぐ下流左岸から新たな用水路が合流しているが、用水路内の水の流れはほとんど無く、土砂が堆積して雑草で埋まっている。

左岸はやはり、果樹園で埋まっている。
下流100m以内に位置する橋が見えているが、その奥には丘陵が立ち上がっており、水路はこの丘陵を迂回しているのが想定できる。

上記写真内に写り込んでいる石巻小野田町引越(いしまきおのだちょうひっこし)の橋〈上記地図内(4)〉まで下って、橋上から丘陵部〈上記地図内(4)〉を撮影。

この橋はすでに賀茂町を抜けていることになる。
地図を見ると、この丘陵は山名は付いていないレベルの標高のようだが、南4km以内に、かつては信仰の対象とされた標高358mの石巻山が存在し、町名の頭に冠している「石巻」は、その山系を意味しているようだ。
石巻山は東の静岡県の県境に連なる弓張山地の尾根の一部で、山頂は石灰岩の巨岩で構成されているという。
石灰岩は水分を含有しやすい岩で、このあたりの牟呂松原幹線水路左岸(東側)に水路が多く合流していることと無関係ではないようだ。
そして、この石巻山の隣の尾根には石灰岩が多いことから洞穴が形成され、縄文人が居住したことで知られる嵩山蛇穴(すせじゃあな)が存在する。

ところで、石巻山系の丘陵の麓に下流160m以内に架かっている橋が写り込んでいるが、牟呂松原幹線水路は右にカーブしているようだ。

この橋〈上記地図内(5・6)〉まで下り、橋上から上流側を振り返ると、途中から土砂の堆積と雑草で埋まっていた用水路(下記写真右端)に水が復活している。

この用水路だけ、牟呂松原幹線水路と比較すると水底にコンクリートの白さが残っており、水で埋まった時間が短いことが分かる。

一方、同じ橋上から下流側を見下ろすと、135度くらいの角度で水路が右(南西)にカーブしており、他の橋の4倍くらいの幅を持つ、この橋を支えるコンクリートの構造材が露出していた。

左岸は丘陵なので、土手が立ち上がっている。

上記の橋から下流90m以内に位置する石巻小野田町引越2基目の橋〈上記地図内(7・8)〉まで下った。

上流側を振り返ると、中央の牟呂幹線水路だけ、流れが速い。
そして、3つの水路にそれぞれ、金属パイプの手摺が堤防と分割壁に取り付けられている。
こうした手摺が設置されている場所は2カ所目だが、やはり水路内で何らかの作業を行うための補助用具だと思われる。

同じ橋上から下流側を眺めると、再び左岸の用水路内に土砂の堆積が見られる。

上記、石巻小野田町引越2基目の橋から下流170m近い位置に架かった石巻小野田町下切田(しもきりた)の橋〈上記地図内(7)〉に移動。
橋上から上流側を振り返ると、左岸(上記写真右端)側の用水路の幅が狭くなっている。

一方、下流側を見下ろすと、次の石巻小野田町下切田2基目の橋までは40mあまりしか離れておらず、左岸の堤防は複雑な形状になっており、それにともなって、少し広がった左岸側の用水路はさらに広がっている。

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豊橋市石巻小野田町下切田でカメラのバッテリーが遂に切れ、撮影不能となりました。
次の記事は、石巻小野田町の記事を書いたことから、急遽登頂した石巻山を紹介します。


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