御用地遺跡 土偶 46:荒神と犬帯
安城市新田町(しんでんちょう) 市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)の社頭に駐めた愛車に戻り、真北120m以内に位置する市杵姫神社飛び地境内外神社(けいだいがいじんじゃ)荒神社に向かうことにしました。
市杵島姫神社の東側に面した1車線道路を北に向かうと、90m以内で2車線道路との交差点に出ましたが、その2車線道路の北側には雑草で覆われた空き地が広がっており、その向こう側40mあまりの場所に杜が立ち上がっていた。
2車線道路を突っ切って、さらに1車線道路を北上すると、1車線道路から直角に分岐して西に延びる、舗装された表参道入り口右手角に「荒神社」と刻まれた社号標が設置されていた。
愛車を社号標脇に駐めて、表参道に入っていくと、20mあまりで、右手に石造の大輪鳥居のある場所に出た。
コンクリートでたたかれた表参道はその石鳥居をくぐって、真っ直ぐ北に延び、突き当たりに社殿が見える。
鳥居をくぐって社殿に向かうが、参道と社殿、狛犬以外に杜の中に存在する人工物は、他には何も無かった。
ほとんどが社叢の杜だ。
瓦葺切妻造平入の覆屋は鉄筋造で、木部にあたる部分は白くペイントされており、正面の連子窓付きの戸は黒つるばみ色のアルミサッシだった。
拝所に上がって参拝した。
何と!ここは新田町2ヶ所目の字「弁天前」だ。
ここにやってくることになった、もう一ヶ所の「弁天前」には建物が1軒も存在しないので、こちら側の弁天前への郵便物が間違って配達されることはないだろうが。
これまで、荒神を祀った神社は縄文期から祀られてきたものが核になっている可能性がある場合のあることから、気がついた場合は逃さず覗いてきた。
荒神には神仏両説はもちろん、竈神(かまどがみ)、三宝荒神とする説を始め、その荒神社によって様々な説が存在し、案内書の情報がなければ、何も特定することはできない。
この荒神社にも情報は見当たらないが、ここ新田町の荒神社は市杵島姫神社の境内外神社であることがはっきりしている。
つまり、市杵島姫神社の関係者の祀られた荒神社ということになる。
そのことから、諸説を検討してみると、市杵島姫の親神であるスサノオ信仰に関係した荒神社である可能性が考えられる。
縄文時代の文化を記録したとされる『ホツマツタヱ』から「荒神」に繋がるものを探してみると、「アラミタマ(荒神霊)」に関する記述が複数存在する。
『ホツマツタヱ』「天の巻16 ハラミツツシムオヒノアヤ(孕み謹む帯の文)」には以下のようにある。
荒神霊とは陽の霊と見られている。
つまり男神ということだから、スサノオは当てはまる。
日=アマテル
荒心霊=ソサノオ
月=ツキヨミ
天の巻16は妊娠した時に身につける孕帯(はらおひ=岩田帯)のことを伝える文(アヤ)だ。
現在は岩田帯のことを知らない人も増えているだろうが、戌の日に神社でご祈祷を受け、もらい受けるさらし布の帯のことだ。
AMAZONでも「岩田帯」はヒットするが、やはり、神社でご祈祷を受けてもらい受けるものだ。
息子の時は日本橋の水天宮で岩田帯を受けてきた。
岩田帯を身につけた時から妊娠の忌みに入ることになる。
「岩田」とは「(帯を)結わえた」に「岩のような強い子が生まれるように」という願いを掛けた名称だが、戌の日にご祈祷を受けることから「犬帯」とも呼ばれる。
戌の日とは12日に一度巡ってくる、十二支の戌に当たる日のことだが、戌の日となっているのは、犬の出産が多くの子を産む安産であることにあやかったものだ。
拝所で軒下を見上げると「荒神社」と金文字に彫られた扁額が掛かっていた。
額部分には勾玉の尾の先端部をくっつけて左右対称にしたパターンを並べた韓紅の浮き彫りが装飾されていた。
勾玉は胎児を記号化した形でもあり、まるで、この扁額を製作した職人が『ホツマツタヱ』の妊娠に関する項にアラタマ(荒神)のことが記録されていることを知っていて、製作したかのようだ。
ちなみに、勾玉を左右対称に組み合わせた形は下記、市杵島姫神社の神紋、三盛亀甲(みつもりきっこう)に剣花菱(けんはなびし)でも使用されている。
三盛亀甲の一つをクローズアップしてみると、亀甲枠内に三種の神器が収められていることが解るが、これは一つの見方だ。
まず、明快なものは、ここ荒神社の祭神である可能性のあるスサノオを表す劔だ。
これはスサノオが三種の神器の一つ、草薙剣を手に入れた人物であることによる。
そして、花菱の中央の管状花(かんじょうか)を八咫鏡とする。
そして周囲の舌状花(ぜつじょうか)の花弁を勾玉を向かい合わせて組み合わせたものとみる見方だ。
こういう見方をすれば、『ホツマツタヱ』にあった文(フミ)は、
日=アマテル=舌状花花弁=八咫鏡(やたのかがみ)
荒心霊=ソサノオ=劔=草薙剣
月=ツキヨミ=管状花=八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
三種の神器が胎児の健康を整える、皇位継承に関わる神器であることが解る。
ところで、氏子たちは当地の荒神のことを、どういう風に伝え聞いて祀っているのか興味を惹かれる。
だが、残念なことに、荒神を祀った場所で地元の人と遭遇したことが、今まで一度も無いのだ。
荒神にはいつも人気が存在しない。
参道を戻り、鳥居から外に出ると、正面に市杵島姫神社の杜が見えていた。
これを計算して荒神社覆屋の位置を決めたのだと分かる。
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新田町 市杵島姫神社を見つけるきっかけになったのは撮影済みの、こことは別の荒神社を地図上で探していて、こことは別の「弁天前」という字名を見つけたのが、きっかけでしたが、最終的にもう一ヶ所の「弁天前 荒神社」にやって来ることになったのは本当に不思議です。
やはり、シンクロニシティーは働いている。
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