伊川津貝塚 有髯土偶 8:足を踏み鳴らす青面神
愛知県西尾市吉良町の秋葉神社から、さらに矢崎川の左岸(東岸)の堤防上を北上すると、100m以内で国道247号線にぶつかりましたが、そこから北は一方通行で北上できませんでしたので、北上できる右岸(西岸)に渡りました。247号線から矢崎川堤防上の道を480m近く北上していると、左手の堤防脇に剪定されたされたマキに囲まれた瓦葺で黒い堂のような建物の前に出ました。
その建物は矢崎川の堤防上の道路が狭いことから、安全に参拝できるように堤防を背にして南西向きに設置されていた。
その建物の上流側にスペースがあることから、そこに愛車を入れたが、そこには石祠、石仏、切妻造棟入で正面に素木の格子戸のある建造物が祀られていた。
石祠は何が祀られているのか不明。
石仏も仏種不明。
瓦葺の建物は比較的新しいもので、前にステンレス製の賽銭箱が置かれている。
格子戸越しに建物内を見ると、「庚申社」と墨書きされた弓張提灯が左右に下がっていた。
蒲葡色の神前幕の奥には後背を持つ六臂(ろっぴ:六本腕)の石造青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)が祀られていた。
ただ、頭部は廃仏時に削り取られたもののようで、削り取られた後の後背部を削って、頭部とわかるレベルで復元されている。
持ち物は右腕が矛と矢、そしてショケラ(女性形の三尸虫)だろうか。
左手が弓とショケラ(?)しか確認できない。
基壇には三猿(左から聞か猿・見猿・言わ猿)が浮き彫りされている。
青面金剛像の足元には素焼きの鶏像が4羽。
花活けには新しい花が活けられている。
まず、六臂の青面金剛像が刻まれた庚申塔(こうしんとう)というものが、愛知県では非常に稀少なもので、そうした希少な像の頭部が削り取られているのは本当にもったいない。
頭部が三面(3つの顔面)だった可能性もありえる。
「青面」というのはおそらく、インドのドラビダ族に由来する神像の肌の色が名称になったものだと思われる。
着彩像が以下だが、青面金剛像の99%以上が石像なので、色を観た人は少ないだろう。
この像ではショケラが男形となっている。
この像は片足を上げて踏み鳴らしているが、これが本来の青面金剛の姿で、石造で片脚立ちの像は観たことがなく、ほとんどが両脚を揃えて立っている。
青面金剛と複数の共通点のある像に以下のような蔵王権現像(ざおうごんげんぞう)がある。
「蔵王権現は役 小角(えんのおづぬ)が祈り出した日本固有の神」というのが定番の説明なのだが、肌の色、片足を上げて踏み鳴らしているポーズは青面金剛像との共通点だ。
これはヒンドゥーの神との共通点でもある。
上記企業広告の像は奈良県吉野の金峯山寺蔵王堂の蔵王大権現像だ。
蔵王堂の蔵王大権現は基本的に60年に1度開帳の秘仏だが、蔵王堂は東大寺の大仏殿に次ぐ、国内第2位の大きさの木造建築であり、3体の青面憤怒相の大仏が足を踏みならしている荒ぶる像は東大寺の柔和な大仏とは対照的な像で、観たらショックを受けるのは保証する(笑)
今年3月に特別開帳が行われたばかりなので、通常ならもう観られずに生涯を終えることになる人もいることになる。
しかし、現代はこうした荒ぶる神が必要とされている時代に入っているようで、特別開帳の頻度は高くなっている。
それもあって、私はすでに2度観覧している。
一方、青面金剛は江戸には多い神像で、特に目黒区の寺院周辺の路地ではよく遭遇する石像なので、東京人ならいつでも観られる。
そして、正面金剛が握りしめているショケラは60日に1度、人間の体から抜け出す虫とされており、60年に1度開帳の蔵王権現と無関係とは思えない。
話は吉良町の青面金剛像にもどるが、その青面金剛像の基壇の三猿は青面金剛を祀る、道教系の庚申信仰(こうしんしんこう)の「申(さる)」に起因するもので、人が悪事を働いたことを天帝に報告する三尸(さんし)の虫に対応したものだ。
悪事を働いたとしても、見ざる、聞かざるとして、天帝に言わざるでいて欲しいという庶民の願望に対応した像と言える。
また、青面金剛像の足元に奉納された鶏は夜を徹して行われる庚申信仰の早朝の終了を告げる動物である。
つまり、鶏が鳴いて世が開ければ、三尸の虫は活動できなくなり、自分の悪事が無事天帝に報告されずに済むことを意味する。
この庚申社から550mあまり北東に小山田神明社が存在することに気づいたので、そこも予定外で寄っていくことにした。
小山田神明社は山の頂に位置する神社なのだが、社頭がどっちにあるのか不明だったが、矢崎川の支流を目安に向かったことから、小山田神明社の祀られた山の北側から、モーターサイクルでは水平感覚が狂うほどの恐ろしい急坂の峠に登ることになった。
結果的に社頭は南側の麓にあることを知ったので、最後に降りた、その社頭から紹介する。
ただ、「神明社」と刻まれた社号表は南側を東西に延びている広域農道幡岡線に面していた。
広域農道幡岡線からはコンクリートでたたかれた表参道が北北西の山頂にある社殿に向かって一直線に延びていた。
表参道の両側には幟立の石柱が点在している。
日差しが強かったので、愛車は上記写真左手に見えている公民館の日陰に入れた。
社号標から奥に見える石鳥居までは50mほどだった。
鳥居の奥には森が立ち上がっている。
鳥居の前までやってくると、セオリー通りの神明鳥居だったが、すぐ先に2段の石段があり、その石段の上の踊り場から正面には石段が立ち上がっており、右手には脇参道が分岐していた。
私は愛車で社殿前まで登った後、この脇参道から鳥居まで降りてきたのだ。
鳥居をくぐって石段上の踊り場から2つ目の石段を見上げると、目の前の石段の中ほどに、もう一ヶ所の踊り場があるようだったが、問題はその先の石段だった。
壁にしか見えないのだ。
それで、見えている踊り場まで登っていって最後の石段を撮影したのが以下の写真だ。
一応、石段にはなっているが、石段状の壁と言った方が正確だ。
傾斜は45度ははるかに超え、60度も超えてるのではないだろうか。
以前にも三河で怖い階段に遭遇して記事にしているが、そこを超えている。
もちろん、この石段を登る気は無いが、すでに愛車で北側の裏参道から、この石段の上には登っている。
最後の石段の上を撮影したのが以下だ。
イヤイヤ、登りだって危険だよ。
石段が急であることから、間際まで石段が視線に入りにくく、落下する人がいたので、柵が必要になったのだと思われる。
恐る恐る、下に向かって撮影したのが以下の写真だ。
ギネスに申請できないのかな、この石段の角度。
(この項続く)
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上記石段のすぐ正面に拝殿は位置していました。神明社は全容が明らかな神社なので、総本社の皇大神宮以外は興味を惹かれるものに遭遇することがもっとも少ない神社であり、農業従事者でもないので、理由なく覗くことはほとんどない神社なのですが、超意外なものに遭遇することになってしまいました。そして、超は付かないものの、予想外のものがもう一つ存在したのです。