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伊川津貝塚 有髯土偶 51:推肥発酵装置

愛知県田原市野田町に位置する水源貯水池から流れ出した汐川(しおかわ)は用水路として北西の大久保町田畑地にまっすぐ流れ、280m以内で右折し、南東にまっすぐ向かっていました。

1MAP 愛知県田原市大久保町 汐川
2MAP 田原市大久保町 汐川

汐川の右折部分には、やはり集水枡が設置され、上流方向を見ると、汐川水源貯水池の北岸と西岸の山裾に建てられた長い田原牛飼育厩舎が複数棟見えている。
ここから見ると、途中の農道沿いからは雑草に覆われてよく見えなかった汐川の水路は水源貯水池北岸堤防上を通っている農道のすぐ下からよく見える。

MAP2内① 愛知県田原市大久保町 汐川 集水枡 〈上流方向〉

ここから一つ上流側に設定された集水枡からここの集水枡までは汐川は畑地の中を通って来ており、ここで再び東西に延びる広い農道に面している。
鉄砲水が出た場合、一つ上流に設けられた集水枡が無ければ、急流を降ってきた汐川はそのままここの集水枡の突き当たりの壁にぶつかって水路外にまで飛沫をあげることがあるだろうが、水源貯水池の樋門とここまでの3ヶ所の集水枡で、それをある程度防げるようになっているのだろう。

同じ場所から汐川水源貯水池背後の山陵を見たのが下記写真だ。

MAP2内② 愛知県田原市野田町山陵/大久保町 汐川 〈上流方向〉

さらに同じ場所から汐川が向かう南東方向を見ると、以下の写真のように山裾の東端下に広がる畑地とその中に設けられた複数のビニールハウスが見えるがやはり水面はガードレール沿いの雑草に遮られて見えない。

MAP2内③ 田原市野田町山陵/大久保町 汐川 〈下流方向〉

汐川は90度折れたここの場所から南東に50mあまりで農道の十字路にぶつかり、汐川をまたぐ農道脇に下記写真のようにコンクリート造の暗渠の端が露出していた。

MAP2内④ 大久保町 汐川 暗渠/土管 〈上流方向〉

その暗渠の土管の端には雑草のクズが引っかかっており、やはり鉄砲水の場合には汐川水路の水が溢れることがあることが見て取れた。
しかし、汐川水路内には雑草が生い茂って水面はまったく見えず、水路内に土砂が堆積していることも水が溢れる原因になっていることが分かる。
汐川の畑地側の土手には謎の土管が口を突き出していた。
遠景を見ると汐川の左右から山陵が中央に向かって山裾を延ばしており、ここが南北二つの山陵の狭間に位置する田畑地であることが分かる。

この部分の汐川南側の畑地にはキャベツらしき野菜が植えられていた。

MAP2内⑤ 大久保町 キャベツ畑(?)

最初の農道十字路から、さらに南東に向かうと、次の十字路脇にもコンクリート造の暗渠の端が露出していた。

MAP2内⑥  大久保町 汐川 暗渠/彼岸花/土管 〈下流方向〉

この部分でも雑草で汐川水面は覆われているが、一部、水面が見える場所も出てきた。
暗渠の脇には鮮やかな紅色の彼岸花が開花していた。
野生の彼岸花のようだが、汐川がU字コンクリート壁で整備される前にモグラ対策で人為的に植えられたものの、名残りかもしれない。
水路脇なので、もっと多くの彼岸花が見られてもおかしくはないのだが、U字コンクリート壁に囲われていることから、水の溢れることのある暗渠脇でしか水分が取れないのかもしれない。
ここでも、畑地脇に土管が頭をのぞかせている。
汐川が東に向かうにしたがい、左右の山陵は開けてきている。

2番目の十字路から次の十字路までは110mあまり。
やはり暗渠のコンクリートが十字路脇に露出していた。

MAP2内⑦ 大久保町 汐川 暗渠/堆肥発酵装置(?) 〈上流方向〉

そして、初めて豊かな水面の望める汐川が出現した。
集水枡は農道からは見えない途中にも設置されており、汐川の支流からも水は流れ込んできているので、別方向からの流入があるようだ。
水路内の土砂が取り除かれているのも、水面出現の大きな要素だろう。
そして、ここにも土管があるのだが、雑草が畑地の土手から姿を消していることから露出しているものがあり、土管の用途が家畜の糞尿による堆肥(たいひ)を溜めておくための装置ではないかと気づいた。
土管からは地下を通して汐川に流れ落とすための塩化ビニールのU字パイプが延びていたのだ。
堆肥を発酵させるために土管に蓋はしないだろうから雨が降り込む。
その水を抜くためにU字パイプが汐川に延びているのだ。
つまり、この堆肥発酵装置(?)は昭和期には「肥溜め(こえだめ)」と呼ばれ、よくギャグ漫画のネタに使用されたものだと思われる。

同じ十字路の暗渠から北東方向を眺望すると、水路は幅が1mほどに広がっており、水面を保ったまま、まっすぐ延びており、行く手からは両側の山陵が姿を消した。

MAP2内⑧ 大久保町 汐川 暗渠 〈下流方向〉

水路幅はもっと上流から広がっていたのかもしれないが、ここまでは水面が雑草で覆われ、見えていなかったので確認ができていなかった。

上記十字路から次のT字路までは70mあまり。
そこにも暗渠の端にはコンクリートが露出しており、脇にはホシアサガオが百花繚乱となっていた。

MAP2内⑨ 大久保町 汐川 暗渠/ホシアサガオ 〈下流方向〉

ホシアサガオは同じヒルガオ科のヒルガオより、花が小型(直径1.2〜1.5cm)で、漏斗型の中心部が濃い赤紫の星形に染まる。
これが名称になっているのだろう。
上流にも咲いていたので、種がここに流れ着いた可能性があるが、大豆畑にとってはその生育が阻害され、防除の難しい蔓性の強害雑草であり、南米原産の外来種だという。

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大久保町は戦国時代には大窪郷(おおくぼごう)として所在しており、江戸時代には田原藩の渥美郡大久保村となったといいます。周囲を山陵に囲まれ、窪地と見られていたことが名称の由来になったのでしょう。

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